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麻布流儀参加者 現在 378
北葛西
ベトナム料理 フォー専門店 PHO365

オーナーである妻(ベトナム・フエ出身)が作る本場のフォー
お店情報
店名 ベトナム料理 フォー専門店 PHO365
住所 134-0081東京都江戸川区北葛西2丁目22-18Google Mapで見る
交通アクセス 都営新宿線船堀駅より、徒歩12分 営団地下鉄東西線西葛西駅より、徒歩15分
電話番号 080-4818-2707 
営業時間 昼;11時30分~14時00分 夜;17時30分~20時30分
定休日 月曜日
URL
麻布流儀特典 「麻布流儀」の合言葉で、お楽しみ特典有(当日の状況による)
備考
麻布OBオーナー情報 店舗オーナー;グェン・ティ・レ・マイ/オーナーの夫;1993年麻布卒。アメリカンフットボール部
麻布OBオーナーインタビュー
いつから経営されていて、お店をやられたきっかけなどを教えてください。
写真一番右がオーナーの夫の大野艶士さん。

フォー専門店として、2019年2月に開店しました。開店当日は東京には珍しい大雪だったにもかかわらず、多数の方がご来店くださいました。前年夏より店舗付住宅として建築が始まっていたので、近隣の方々の注目を集めていたことや、1月に外壁が完成した段階で早めに看板を掛けたのも効果的だったようです。

「ベトナム料理店を開店しないか」、とオーナーである妻(ベトナム・フエ出身)と話し始めたのは、実は10年以上前からです。当時はタイに駐在していたのですが、仕事の意味や家族の幸せについて話し合う中で、自然と話題にあがってきました。私がタイ駐在の際は来訪者も多く、深夜までの業務対応が当たり前でした。また、待遇は民間を含めた海外駐在員では世界最低水準。一方、妻とは実はすぐに結婚を決めてしまったこともあり、彼女の人柄や経歴等もよく知らなかったのですが、祖母が王宮料理人だったこともあってか料理が得意で、しかも東京で開店したいという希望を持っていたことがわかりました。タイ駐在前に、東京の有名なベトナム料理店を食べ歩いた際に、「丁寧に料理していない」・「もっときちんと料理したベトナム料理を日本の方々に楽しんで欲しい」といった感想を私が強く持つようになっていたことも重なったのだと思います。

結局、タイに2年弱、その後の転職もあってベトナムで8年弱、合計10年近くを海外で過ごしてから日本に帰国したのが、2015年末。ベトナム料理店開店の話が再び挙がったため、不動産会社の紹介を経由して何件も検討しましたが、計算すると経営が全く成り立たないのです。「開業資金、店舗賃料、水道光熱費、人件費等の固定費を、単価から限界利益率を設定して…。こんなの、ムリじゃん!」と。飲食業では、「2年で50%、5年で90%が閉業する」と言われますが、その所以も納得できてしまうほど。。今、そのリスクを取ることは難しい、、、と、実は1年以上踏みとどまっていました。

ちなみに、3人の子どもたちは全員ベトナム生まれ。一戸建てに居住の時には300㎡以上の4階建て、マンションでも最低130㎡で大きなダイニングに、プール・テニスコートが付設した生活環境でした。日本では、サラリーマンが住めるマンションは、広めとは言ってもたかだか80㎡くらい。子ども達が誰も文句を言わないのが不思議なほどでした。そんな子ども達もどんどん大きくなってくると、文句は言わなくてもさすがに限界を感じ始めてきました。結論として比較的立地条件がよい所に店舗付住宅を建て、家族とのバランスもとりながら、開店・営業しようということで現在の形に至りました。店舗付住宅のローン返済・ワンオペでの運営が、最も効率的だったためです。

「彼女の人柄や経歴等もよく知らなかった」というのは結婚を決めたのは交際(らしくなって)から、わずか2日ほどだったため。結婚までの準備期間も短く、実はあまり話す間もなかったのです。

そもそもの出会ったきっかけは、私の両親がNGO支援を行っていたベトナムの古都・フエを訪問した際、彼女のご実家が営むお店の店先で私が写真を一緒にとってもらったことでした。その後、再会や文通を経て、来日した際に東京観光に連れている間に、いつの間にか結婚することに。(本当に、「いつの間にか」…)

当時は大学院生だったのですが、妻のご両親から「結婚に際しては、(研究職ではなく)就職するように」との申し入れがあったこともあり、就職活動を始め、修論提出・諮問審査が終わった段階で結婚することとしました。ベトナムでの婚姻手続き・盛大な結婚パーティーの後、日本でも麻布同期に幹事を担ってもらって渋谷でパーティーを開催。(みんな、ありがとう)

妻は、結婚当初は日本語はほとんど話せなかったのですが、半年後の大喧嘩の際に、突然 流暢な日本語で文句を言い始めたのです。「どういう吸収力だ?!」と驚いたことを今でも覚えています。本当に、口喧嘩が強い。日本語で言い負けるので、そもそも喧嘩をしなくなりました。

そして、結婚2年ほど経ってから、次第に妻のことがわかり始めました。妻の祖母が王宮料理人だったこと、地元の資産家であること、更には曾祖父がグェン王朝第12代皇帝に仕えた大統領級の方であったこと(歴史書に名前が登場すること)等がわかってきました。良い意味でわがままなところや、おてんばなところ、論理的で正義感が強いところ、いつの間にか周りが動いている(動かされている)ところも、何となく理解できるようになってきました。(泣)
麻布時代のことを教えてください。
中2の頃までは、予習をしたり、特に生物・数学・英語あたりを楽しんで勉強していた記憶があります。ただ、それ以外にも楽しいことが多く、中1から高3まで一貫してアメリカンフットボール部で練習に明け暮れていましたし、授業中に焼き立てパンを買いにいったり、下校時には仲間とウィンズやパチンコにもよく通っていました。麻雀、ボーリング、ビリヤードと本当によく遊んでいたと思います。今でも、当時つるんでいた仲間には感謝しています。

高校1年の実力考査で、100番以内には余裕で入っていることもわかりました。小学生の頃から、タイムマシンや宇宙戦艦ヤマトをつくりたい、と漠然と思っていたんですよね。なので迷わず理系を選択しましたし、物理・化学を選択しました。ところが、今思えば本当に何も知らなかった。学業についてはやるべきこと・努力すべき程度もわかっていなかった。結果的には高3の最後の頃は成績はひどかったですね(苦笑)。そして、浪人確定でした。
卒業後のことも教えてください。
一浪して慶應大学に入りました。理工学部だからか、適度に素朴で・明るくてあまりに居心地がよかった。当時は東京大学のアメフト部が旋風を巻き起こしていたこともあり、「東京大学でアメフトに没頭する」と決意していたのですが、それが揺らぎ始めました。結果的に、退学して退路を断ち、再度 東京大学を受験して合格しました。大学では、アメリカンフットボールをより本格的に取り組もうと決めていたので、練習一色の学生生活でした。それでも1・2年次には語学やクラスの仲間との旅行等も合間で楽しみました。一方、3・4年次に本当に勉強をしなかったので、反省も込めて大学院に進学しました。

一時期、研究職にも憧れましたが、就職を選んだのは先のとおりです。小学生の頃から、両親が経営していた設計事務所の関係もあり、身の回りに中国、韓国、ベトナムの方々と接する機会が多かったこと、学生時代に海外旅行で見聞したことの影響から、国際協力に身を投じようと決心し、国際協力事業団(当時)に入団しました。技術研修員の受入、コンサルタント調達の契約、そしてタイ駐在等を経験しましたが、自身の縁・強みであるベトナムに関係する仕事をしたい、と転職を決意。

ベトナム・メコンデルタの奥地で、2年弱ほど日本米の契約生産事業を率いることとなりました。一気に事業規模を3倍に拡大するミッションもこなして、約800戸の農家と1,800ha程で栽培・生産し、当時の日本食ブームにものって北米・東南アジアを中心に輸出しました。日常業務としては、主要な農家を巡回して協力を求めたり、栽培チームと技術指導に赴いたりするのですが、バイクに乗って木で組み立てられただけの橋をわたったり、終いには道もないので、張り巡らされている水路をボートで移動したりして隅々まで活動を展開していました。私には夢のような仕事で、今でも忘れられない時間です。

その後は日系食品企業のベトナム進出プロジェクトに参画しました。F/Sで工業用地の選定や資材調達先の調査などから、工場建設・管理部門統括等を担いました。ゼロから会社を創り上げることの難しさも楽しさも経験することができました。当時 採用したベトナム人スタッフの優秀なこと。人があってこその会社、ということも身に染みて学ぶことができました。その後は同社の東京本社で勤務し、上場企業の運営・経営に携わっていました。一方、世界で通用する人材に近づくために、実務経験だけでなく、経営に関する理論も身につけなければ、と感じていました。自費で、休職せずに、英語でMBAを。10年以上の実務経験があれば、Executive MBAの方が適していることもわかり、最終的には米国系のHULT International Business Schoolを選択し、Global Executive MBAプログラムを1年半かけて修了しました。上海キャンパスのクラスメイトは、ドイツ、カナダ、スイス、フランス、南アフリカ等 世界中から集っており、バックグラウンドも多種多様。そこを拠点に、ドバイ、ロンドン、ボストン、サンフランシスコ等のコースにも参加する必要がある、かなり歯応え・やりがいのあるカリキュラムでした。

現在ですが、やはり海外事業に従事していたい、という想いが再び強くなってきたことから転職を決め、政府ファンドと契約して東南アジアのメディア事業の経営に携わっています。海外赴任前提だったものの、コロナ禍等で渡航が延期となっているため、週末の昼時で妻の店が混雑するときは、掃除・皿洗い等を(無給で)手伝っています。
麻布流儀メンバーへの特典についての補足をお願いします
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その他ご自由に発言ください
開店して嬉しかったことは、facebookで見てくれた麻布の同窓や先輩が来店してくれること。卒業式以来会っていなかった友だちが、ふらっと立ち寄ってくれる。自宅だとちょっと遠慮してしまっても、お店だともっと気軽に会うことができる。時間さえ許せば、貸切にしてゆっくりもてなすこともできる。レストランを持つということは、そういう楽しみも増えることなんだな、と感じています。

麻布の同窓生は、山手線から西側が圧倒的に多かった。店は東京の東端。それでも、来てくれる。いつか都心か、西側に出してみたい。そうすれば、もっと気軽に立ち寄ってもらえて、おもてなしもできる。場合によっては、麻布OBのためだけの専用個室を設けてもいい。そういう意味では、いつか都心にカフェを持ちたい、という夢もあります。麻雀専用ルームも設けて、いつでも集まれる。誰もいなければ、片隅でゆっくりと本を読みながら一日を過ごす。そんな生活をしてみたい。更にカウンター4席だけの小さな寿司屋も持ちたい。「オレの知り合いが握ってくれるからさ」といって、超VIP扱いでもてなしてくれるお店。そんなの、いいじゃないですか。今でも握れますけれど、その際にはきちんと修行をして、しっかりとおもてなしの準備をしますよ。

僕は60歳前にはベトナムに拠点を移す予定なんです。末っ子も大学卒業くらいなので、ちょうどいい頃かな、と。日本の平均年収またはそれを切ってしまうゾーンの方々を対象にした、ロングステイまたは永住拠点をつくるという構想を持っています。日本では年金生活もままならない方であっても、ベトナムであれば、お手伝いさん付・庭付の穏やかな生活を過ごすことができる。貯金までできる。小規模なパイロットプロジェクトをできるくらいの土地は、既に確保してあるんです。アセアンでも屈指の政治的安定・治安が確保されているベトナムに、妻も私もそれぞれが人脈を含めたリソースをもっているため、他ではできない構想を実現できると考えています。

メガトレンドの中では、2050年にかけて中印のGDP規模(PPPベース)が圧倒的に成長する一方、日本は相対的に現在の4位から8位へと転落していく。世界に類を見ない超高齢社会、少子化対策に有効な手を打てない、エリート教育を重視しない、基礎研究への予算配分が少ない、といった現状から、私は日本の将来には悲観的です。歴史・文化・自然を何とか維持しながら、格差が広がった社会で、一部の富裕層が政治経済活動をリードせざるを得なくなると見立てています。私は、穏やかな余生を過ごしたい方をサポートしたい。加えて、貴重な子ども達、特に経済的に恵まれないお子さんに、幅広い経験や教育の機会を提供していきたい。大賀校長が『地球の医師』と話された言葉は、なぜか今でも心に残っています。それらが私なりの『地球の医師』としての取組みであり、きっと社会課題解決に一石を投じることができると考えています。そこまでできれば、こんなに好き勝手で幸せな人生はないのでは、と感じています。

3分の1はベトナム、3分の1は東京、残りは世界旅行。妻とは、引退後についてそんな話をしています。

麻布OBが経営しているお店の情報を自選・他薦問いませんのでぜひ教えてください。 オーナーの方には簡単なインタビューをお願いしています。また麻布流儀メンバーへの簡単な特典をご用意いただけると幸いです。よろしくお願いいたします。