“シャリっ”とするアイスとワクチン接種。
「アメリカのいろんな街に行くとさ、オレ必ずあのアイスクリーム食べるんだよ。ほら日本でも売ってる、あのドイツっぽい名前のアイス。
そうするとね、いつものあのアイスが出てくる場合と、“シャリっ”とするアイスの場合がある」
友人Aが言った。

photoACより
シャリっとするアイス?
「アメリカって広いじゃない?
だからさ工場で作ったあのアイスクリームも冷凍のまま適温で消費者まで届く街と、運んでる間に溶けちゃって店舗でそれをもう一回冷凍して売る地域があるわけ。 そうした再冷凍したものは氷の粒子が出来ちゃうから、シャリっとするわけ」
なるほど。
「この街の流通網はどっちかなってわかるから、あちこちの街であのアイスクリームを食べ比べるんだよね。
もちろん一回溶けちゃうような地域で売る製品はそれに合わせた製品づくりをしてるんだけど、それでも再冷凍の時の“シャリっ”は出ちゃう。」
へえ。
「でね、話は飛ぶんだけど、よく“日本の農産物は最高。これを輸出すれば大儲け”みたいな話あるじゃない?あれで見落としてるのはここ。流通。
日本の農家とかの野菜や果物、これは最高だとオレも思うよ。
でも、その“最高”を“最高”のまま消費者のもとに届けるのに日本の小売業者がどれだけの労力やコストをかけているか。そこが見えてないんだよな。
だからそういう流通網が無いところに“最高”の農産物を輸出したって期待通りにはいかないよ。
運んでる間に味が落ちるんだから」
なるほどねえ。
そういえば『サイゼリヤ』の会長も、野菜などの食材は保管時の温度と湿度、経過時間および輸送時の振動で味が落ちると書いている(①)。牛乳が振られ続けると水分と脂肪分に分離するように、ほかの食材も輸送時の振動などで味が変わるという。
あるいは日本人の起業家がニューヨーク近郊のイチゴの野菜工場建てたニュースを読んだけど、あれも日本からイチゴを輸出した場合は流通上の課題が起こるのだろう 。
“最高”のものを“最高”のまま消費者に届けるため、日本の卸や小売業の人たちは常に努力している。
だから小売業の人たちは、誇りを持って「小売・“流通”業」と名乗るのだろう。
翻って、我々医療者は行政の強力なイニシアチブのもと、相当なスピード感で全国でコロナワクチン接種を行った。
これは誇るべき成果だけれど、もちろん医療者だけの力ではない。
マイナス80℃で保管されるべきワクチンをマイナス80℃のまま全国津々浦々まで届けてられる国は少ない。日本は数少ないそうした国の一つだ。
都市伝説のたぐいかもしれないが、日本では全国津々浦々に回転ずしチェーンにマイナス80℃のものを安定して流通させていたため、それがワクチン配送の基盤となったとのうわさもある(ただしこの部分は要検証)。
今日この時間も、どこかでトラックは走り続けている。
心からの感謝を。
①『サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい』正垣泰彦(日経ビジネス人文庫 2016年)
(『カエル先生・高橋宏和ブログ 2023年3月21日を加筆修正)
人の顔が覚えられない新社会人に贈る名刺活用術。
出会った人の顔と名前を覚えるのがとても得意な人がいる。
名前を覚えるための記憶力のことをドイツ語でnamengedächtnisというのだが、もちろん読めない。この単語のことは米原万里氏のエッセイで知った。このnamengedächtnis(読めない)の優れた人というのは、一度会った人のことをとてもよく覚えていて、どこかで再会してもすぐに「○○さん!」と思い出したりする。
友人T氏もまたこのnamengedächtnis(読めない)の優れた人なのだが、一度その秘訣を聞いたことがある。
「毎日いろんな人と会うじゃない?その日の終わりにさ、その日あった人のことを思い出すようにしてるんだ」
素晴らしい秘訣だ、マネしようと思って早幾年月が経つ。
僕自身が一時期やっていたのは、誰かとお会いしたときにデジカメとかで記念撮影して、それをプリントして一枚はお礼状とともに相手に送る、もう一枚は自分の記憶強化用にストックして時々名刺とともに眺める、という手だ。
さてこのnamengedächtnis、そろそろしつこいから「人の顔と名前を覚える能力」とするが、たくさんの人と出会う人気稼業では必須だ。
たとえば毎日たくさんの有権者と出会う政治家の方々にとって、「人の顔と名前を覚える能力」が優れているとそれだけで強力な武器となる。芸能人や水商売の人なんかも同様だ。
人気稼業の取引相手である有権者とかファンとかは、政治家や芸能人に名前を憶えてもらっていると正直うれしい。「××さん、久しぶりですね」なんて覚えてもらっていれば感激するのがほんとのところ。有権者やファンは、自分のことを覚えてもらっているとますます応援しようと思うわけで、だから人気稼業の人にとっては「人の顔と名前を覚える能力」は武器なのだ。
実際、生き残っている人気稼業の人の多くは記憶力や「人の顔と名前を覚える能力」に長けている。鈴木宗男氏も、秘書時代には200件くらいの電話番号を頭に叩きこんでいたという(佐藤優『野蛮人のテーブルマナー』講談社 2007年 p.89)。
だが、人気稼業の人すべてが「人の顔と名前を覚える能力」に長けているわけではない。そうした場合どうするか。名刺交換の場を利用する。

(photoACより)
まず、偉いポジションになると秘書がつく。この秘書には、元気がいい若い者を任用しておくとよい。
で、どこかで誰かと出会って、「△△さん、どうもご無沙汰です!」と向こうから先に挨拶されたとする。誰だっけと思い出せなくても、すかさずこの若くて元気のいい秘書に「どーもどーも、秘書の××です!うちのセンセイがお世話になってます!」と名刺を出して挨拶するように言っておく。
そうすると自動的に秘書とどこかの誰かが名刺交換をする流れになるから、そしたら秘書に「あー□□社の◎◎さんですか!」と相手の名刺を元気よく読み上げさせるのだ。
そこからはスムーズに「◎◎さん、最近いかがですか」と呼びかけられるというわけだ。
「人の顔と名前を覚える能力」がイマイチだけれど、秘書がいない場合どうするか。やはり名刺を利用する。
どこかで一度会っているのだが、正直どこの誰か思い出せない場合、もう一度名刺交換するか微妙な空気になる。
だから定期的に、自分の名刺のデザインを変える習慣をつけておく。
そうすると「どーもどーも!名刺のデザイン切り替えまして、これが新しい名刺です」といって自分の名刺を差し出して、相手の名刺をゲットして名前を確認できるのだ。
もし相手がまるっきりの初対面でも、新しい名刺を差し出して「これ新しい名刺です。名刺のデザインを切り替えまして」と言えば、多少奇妙な感じにはなるが話題づくりのためかと解釈してもらえる(と思う)。
そんなに頻繁にデザインを変えられないよ、という方にはこんな手がある。
名刺の裏や二つ折りの名刺の一面に、3か月分ほどのカレンダーを入れておくのだ。
これだと四半期に一度、カレンダー部分だけを差し替えるだけで「名刺新しくしまして」と言える。「ぼくの名刺カレンダー付きなんですよ、以前にお会いしたのは確か…」と相手から前回あったときの情報をスムーズに引き出せるわけである。
こんなふうに「人の顔と名前を覚える能力」がイマイチであっても多少の工夫はできるわけであるが、やはり本来、お会いする方の顔と名前はしっかりと心に刻むべきだろう。上に述べたのはあくまで姑息な策で、厳しいようだが、お会いする方の顔と名前を逐一憶えていないようでは社会人としていかがなものか、と言わざるを得ない。
そもそも社会人というのは……、失礼、宅急便が来たのでこの話はまた。新しいデザインの名刺が届いたから受け取ってくる。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2018年10月23日を加筆修正)
非メモの魔力。

日面仏、月面仏ー「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」のはざまで。

photoACより
「明日死ぬかもしれないから、後悔しないよう好きに生きる!」。
医者稼業をやっていると時々そんな人に出会う。
その都度、そうですねと言いながら曖昧な笑みを浮かべる。
だが人生100年時代、明日死ぬリスクとともに、これから数十年「生きてしまうリスク」というのもある。
「明日死ぬかも」と言って大酒を喰らいタバコを吸いまくったりして不摂生をし、それも影響して病気となり闘病生活を送る場合だってある。
「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」の間を、ぼくらは生きているのだ。
禅の高僧が体調を崩し、死に瀕していた。
「お加減はいかがですか?」と尋ねられたその高僧はこう答えた。
「日面仏、月面仏(にちめんぶつ、がちめんぶつ)」
(末木文美士『『碧巌録』を読む』岩波現代文庫 2018年 p.155-170)
上掲書によれば、日面仏とは1800歳の長寿の仏、月面仏というのは一日一夜の短命の仏だという。
高僧がどういう思いで臨死の場で「日面仏、月面仏」と言ったかは不明だが、「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」を同時に背負う我々もまた、日面仏であり月面仏であるのかもしれない。
中国古典『荘子』逍遥遊編では朝菌(ちょうきん)や蟪蛄(けいこ)、冥霊(めいれい)や大椿(だいちん)の話が出てくる。
朝菌は朝の間に死んでしまうきのこ、蟪蛄は蝉でともに短命。冥霊は500年を春とし500年を秋とする大木であり、大椿は8000年を春とし8000年を秋とする大木である。
(森三樹三郎訳『荘子Ⅰ』中公クラシックス 2001年 p.7)
古代人から見れば現代日本人は永遠に生きるといってもいいほど長寿だ。
しかしまた、新型感染症や事故などであっという間に世を去るかもしれない運命でもある。
我々はまた、朝菌であり蟪蛄であり、そして同時に冥霊であり大椿であると言えよう。
新しい年が始まった。
2023年もまた、「明日死ぬリスク」と「長生きリスク」のはざまで、あいかわらずよくわからぬまま歩んでいくことになるのだろう。
今年もよろしくお願いします。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2023年1月1日を加筆修正)
医者は患者のどこを見ているか。

(illustACより)
「患者さんが診察室に入ってきて椅子に座る。そのときの歩き方で、もう診断がつくようじゃないとね」
F先生が言った。
今から二十数年前、ぼくが研修医のころの話だ。
注意深い医者は、歩き方からも病気を推測する。
例えばパーキンソン病の患者さんでは、猫背気味で歩幅は小さく、腕の振りも目立たない。
あるいは脳梗塞の患者さんなら、片方の脚を引きずって入ってくる(ことがある)。
小脳の病気なら脚を左右に幅広に開いた歩き方だし、正常圧水頭症の患者さんならそれに加えて足をあまり持ち上げずまるで床に足が磁石でくっついたような歩き方になる(ことがある)。
診察室のドアを開けて椅子に座るまでの間の数秒間は、病気についての様々な情報を与えてくれる。
ぼくが生業としている神経内科という科では、診察室のドアを開けた瞬間から診察は始まっているのだ。
歩き方以外にも、医者は患者さんの外見から色々な情報を読み取る。
貧血の人はやはり顔色が白いし、肝臓がすごく悪ければ白目のところが黄色く染まる。
まぶたの内側、鼻よりのところにぷくっとした膨らみがあればコレステロールが高いのではないかと疑う。「眼瞼黄色腫」というやつで、モナ・リザの絵にはこれがあるからモナ・リザはコレステロールが高かったのではないかという説がある。
黒目をペンライトで照らせば、白内障の手術をした人は眼内レンズがキラッと光るし(本当)、さらによくみれば眼内レンズに印刷された「Nikon」の文字が見える(ウソ)。
目のまわりがやや黒ずんでいて、長いまつ毛がたくさん生えている人は、聞いてみると緑内障の点眼薬を使っていたりする(緑内障の点眼薬の一部でまつ毛が生える副作用がある。そのうち美容用に改良されて転用されるかもしれない)。
病気に直結しない場合もあるが、患者さんの服装も大事だ。その人の年齢や状況、季節などとかけはなれた服装の場合、精神的なアンバランスさを内包している場合がある。
また、服をよく観察すると、動物の毛がついていてペットの存在を教えてくれることがある。
手もまた雄弁だ。
何本かの指が欠損していれば、工場勤務で事故により指を失ってしまった過去があることがわかるし、場合によってはアウトローの世界の人のこともある。
左手の薬指に指輪があれば配偶者の存在を期待できるし(いわゆるキーパーソンがいるかいないかは、治療にあたって非常に大事だ)、指輪ではなく指輪の入れ墨が左手の薬指に入っている場合、「年少リング」といって、若いときに「ヤンチャ」過ぎた可能性がある(地域と時代による)。
歯もまた大事で、一時期流行ったいわゆるシンナー遊びの経験者では、歯が溶けていることがある。
シンナーを常習していた場合、空き缶に入れて吸っていた人は前歯中心に溶け、ビニール袋に入れて吸っていた人は全体的に溶けるという。
話し方もまた、多くの情報を与えてくれる。
症状を話すときに「発熱」ではなく「熱発(ねっぱつ)」という表現が飛び出せば医療関係者かと身構える。
患者さんが「仕事でレクが忙しくて」という言い方をしたときには官公庁の人かもしれない。レクはレクチャーのレクである。
「どこどこへ行って、“じご”、熱が出て」という話をした方は自衛隊出身者だった。“じご”は、そのあと、みたいな意味の自衛隊ワードで、漢字だと“事後”と書くのだろうか。
こんなふうに今日もまた五感を研ぎ澄ませて診察に当たるわけであるが、残念ながら味覚だけはまだ使う機会がない。
付記:味覚を診断に使った例として、その昔、アフリカから奴隷を連れてくるときに奴隷商人がアフリカ人の顔をなめて「味見」した話がある。汗をかきやすい奴隷は顔が塩辛く、塩辛い奴隷は長い航海で塩分と水分を失って脱水症になりやすく航海中に亡くなる可能性があるから、塩辛くない奴隷を選んで連れて帰った、という。その結果、現代アメリカのアフロ・アメリカンで奴隷にルーツを持つものは塩分感受性が高く、白人に比べ短命である、という仮説があるそうだ(スティーヴン・レヴィット他『0ベース思考』ダイヤモンド社 p.103-107)。
永井明先生の『ぼくが医者を辞めた理由』の中にも、生化学の教授が「医者は五感を使って注意深く患者を診なければならん」といってリンゴジュースで医学生をだます話が出てますね。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2019年11月16日を加筆修正)
「あたまの良さ」と「あたまの悪さ」の間で。

(photoACより)
まあなんだ、みんながみんなひろゆき氏みたいだったら世の中回りませんな。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2022年6月10日に一部加筆修正)
世間というものは、同情はしてくれても助けてはくれない、という話。
「タカハシくんね、世間というものは、同情はしてくれても、助けてはくれないものなんだよ」
Y先生が言った。
そのころぼくは大学院生で、免疫学の勉強のためにY先生の教室に通っていた。冒頭の言葉を聞いたのは、ぼくが車上荒らしにあった話をした時だ。

(illustACより)
Y先生の研究室では、毎週何曜日かの朝に大学院生が持ち回りで英語論文を読んで内容を報告しディスカッションしあう抄読会があった。その抄読会の席では、論文ディスカッションとともに、身の回りのことを簡単に報告しあう習慣があった。
その席で、ぼくは最近車上荒らしにあった話をしたのだ。
Y先生のもとでやろうとした樹状細胞の培養実験はモノにならずに途方に暮れる日々だったが、この「世間とは、同情はしてくれるが助けてはくれない」という言葉を聞けたことは生きる上で非常に参考になっている。
例えば、車上荒らしにあえば、まわりの人は「ひどい目にあったね」と同情はしてくれる。だが、当然ながら誰か車の修理費用を出してくれるわけではない。
仮に誰か「修理費用出してあげるよ」と助けてくれたとしたら、それは稀有な例で例外的なものとしなければならない。
なお、困っている人を助けなくてよいという文脈でこの話をしているわけではないことを強調しておきたい。
ただ、自分が困ったときに、「世間が助けてくれて当然」と思っても報われないだろう。世間というものは、同情はしてくれても助けてはくれないものだからだ。
世間というものは同情はしてくれても、助けてはくれない、ことが多い。
だから人間は、ムラとかクニとかの相互扶助の仕組みを人工的に作り上げなければならなかった。
you know,『もし我々が天使ならば、政府なんて要らない』。
繰り返しになるが、ミクロ事象としての個人の生き方として、助けあわなくてよいといっているわけではない。
ただ、心のどこかで「世間というものは同情してはくれても、助けてはくれない」というある種の諦観を持って生きると、また肚のくくり方も変わってくるし、もし誰かに助けてもらえたら感謝の仕方も変わってくるだろうなくらいの話である。
ここまで書いてきてふと思い当たったことがある。
そうは言っても、今までぼく自身、たくさんの人に助けてもらったじゃないか、と。助けてくれた人の顔が浮かぶ。
たくさんの人に助けてもらった事実と、「世間は同情はするが助けてはくれない」という言葉と、どう整合性を取るのか、という疑問が浮かんだ。
その答えは、イナヅマのように降ってきた。
ああそうか、今まで助けてくれたのは、「世間」じゃなかったのだ。
今まで助けてくれたのは、顔の見えない、得体の知れない「世間」じゃなかった。今まで助けてくれたのは、友人であり、家族であり、同僚であり、上司や先輩や後輩だったのだ。
そう思うと、ぼくの心の中に、助けてくれた人たちへの深い感謝の念が生まれた。
世間体という言葉があるように、ぼくらは「世間」というものを気にしながら生きている。
世間というものを気にしないで生きていくことは難しい。だが、同情はしてくれても助けてはくれない世間を気にしすぎるあまり、目の前の友人や家族や同僚や上司や先輩や後輩といった生身の人間との関係性をおろそかにしてしまうことはまた、愚かしいことである。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2020年1月31日を加筆修正。時が経ってあのオチがつかえなくなったので…)
「何かやりたいけど何をやったらいいかわからない」「何者かになりたいけどそれが何かはわからない」という若者への無責任な11のアドバイス
「何かやりたいけど何をやったらいいかわからない」「何者かになりたいけどそれが何かはわからない」。
そんな思いにとらわれたことのある人は少なくない。
青年期特有のものなのか、人生100年時代には周期的に襲ってくるものかはわからない。
若かりし頃の、そうした自分自身に向けてアドバイスするとしたら何というか考えてみた。順不同です。
①自分の本当にやりたいことをやれ。
当然ながらこれはナンセンスなアドバイスである。
そんなものがわかっているのなら悩んでいないわけだから。
右往左往、行ったり来たりしながらそうしたものがうまい具合に見つかったらラッキー、そしたらやってみなはれ。
②なんでもいいから手当たりしだいにやってみなはれ。
手ごたえは手探りでないと掴めない。
やってみないとわからないことは山ほどあるし、やってみてはじめて自分の向き不向きもわかるというものだ。
キャリア形成における偶発性の持つウエイトの大きさを指摘し「ハプンスタンス・アプローチ」を提唱したクランボルツは、「情熱は行動によって作られる。必ずしも情熱のあとに行動があるわけではない。まず行動があり、そのあと情熱が生まれることも多い」と述べている(『その幸運は偶然ではないんです!』ダイヤモンド社p.76)。
③適性なんかそうそうわからない。
自分に何が向いているかなんてのはわからない。
iPS細胞でノーベル賞もらった山中先生も、整形外科医としてキャリアをスタートさせた。整形外科医としては不器用なほうで、周囲から「ジャマナカ」と言われていたという。
大事なことは、ノーベル賞受賞者ですら、キャリアをスタートする前には自分が整形外科医に向いていないことも基礎研究に向いていることもわからなかったということだ。
④来た仕事はひとまずなんでも受けてみよ。
自分に何が向いているかは世間が決めてくれる、という考え方である。
漫画家しりあがり寿氏は独立するとき、自分が漫画家として何がやりたいかわからなかったそうだ。
そこで氏のとったアプローチは、来た仕事は何でも受ける、というものだった。
〈きっと何でも受けていれば、自分がダメな分野の仕事はこなくなって、自然に仕事の幅が収斂してゆくだろう。逆にいつまでもいろんな仕事がくればそれはそれでいいじゃないか(略)〉(『表現したい人のためのマンガ入門』講談社現代新書p.164)と考えたという。
この話は、「何をしたいかわからない」段階の話なので、来た仕事を何でも受けているうちに自分自身で適性に気づいたり、仕事の好き嫌いがわかってくればシフトチェンジして構わない。
⑤「あるべき社会」「あってほしくない社会」から考えろ。
自分のことはよくわからないが、他人のことはよくわかる。
「何かやりたいけど何をやったらいいかわからない」段階では、思い切って「あるべき社会」や「あってほしくない社会」から考えてみる。
やなせたかし氏がアンパンマンを描いたのは、「世の中で一番の悪は、“飢え”だ」と思ったからだという。アンパンマンが自分の顔を差し出すのは、〈ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えません(略)〉(『あんぱんまん』収載「あんぱんまん について)とやなせ氏が考えたからだ。
「あるべき社会」や「あってほしくない社会」をまず考え、その実現や回避のために自分ができることやれることを探すアプローチもある。
歴史を振り返れば人類のほぼ全ては食うや食わずで必死でやってきたわけで、「何かを成し遂げたい」「何者かになりたい」というのは言ってみればまあ贅沢な悩みであるわけだけれど、悩みは悩みなわけで、無責任なアドバイスもあってもいいだろう。贅沢の果てに病気になったとしても処方箋は必要なように。
⑥自分の本当に好きなことをやれ。
これまたナンセンスなアドバイスである。
こういうことをいう大人は多いんだけど、そんなものがあったら悩んでいない。
というわけで次。
⑦自分の好きなもののために動け。
自分が何をやるのが好きかわからなくても、自分の好きなものはわかるかもしれない。
自分の好きなもの、“推し”のために何が出来るか考えてみる。
エイベックスは、もともと社長が自分の好きなダンスミュージックを広めるために輸入レコード販売業をはじめ、それが発展してできた会社だという。
サブカルの王様みうらじゅん氏も、自分が前に出たいからではなく自分の好きなものを広めたいから動くという。
〈私が何かをやるときの主語は、あくまで「私が」ではありません。「海女が」とか「仏像が」という観点から始めるのです。〉(『「ない仕事」の作り方』文藝春秋kindle版1115/1490)。
好きなものがあれば好きなものが、好きな地域があれば好きな地域がより輝くために自分が何が出来るか考えて動く。そんなアプローチがあってもよい。
自分のためには頑張れなくても他人のためには頑張れる。そんな側面が、人間にはある。
⑧得意なことをやれ。
「やりたいこと」や「なりたいもの」がわからなくて動けないのであれば、得意なことをやる。徹底的にやる。
亡くなられた瀧本哲史氏が書いていた戦略の中に、「楽勝で出来ることを、徹底的にやる」というものがあった(『戦略がすべて』新潮新書p.95など)。
自分だけのしっかりした人生を歩み、「生(せい)の実感」を得たいのなら、楽勝でできること=「強み」を活かすのがもっとも手っ取り早い。
何故なら、
〈1 人の才能は一人ひとり独自のものであり、永続的なものである。
2 成長の可能性を最も多く秘めているのは、一人ひとりが一番の強みとして持っている分野である。〉から(〈〉内はマーカス・バッキンガム他『さあ、才能に目覚めよう』日本経済新聞出版社p.12。原題は『NOW,DISCOVER YOUR STRENGTH』)。
⑨自分が徹夜できることをやれ。
「自分が好きなこと」「自分が得意なこと」もよくわからない場合、自分が何のためなら徹夜できるか考えてみる。
映画『紅の豚』の中に登場する若き飛行艇職人フィオは依頼された飛行艇の設計を夢中でやっているうちに徹夜になる。そこまでして没頭できる飛行艇づくりが彼女の天職であるということだ。
秋元康氏は今の年齢になっても明け方まで作詞するという。作詞が彼の天職であるということだ。
自分が何なら徹夜できるのか考えるアプローチは、数年前に気づいた。ある研究者がSNSに「論文書いててまた徹夜になっちゃいました」と書いていたからだ。
論文を書くことは研究のすべてではないが、最重要プロセスの一つだ。
ぼく自身は論文を徹夜で書く根性はなく、当然ながら研究分野では到底勝てないと遅まきながら思い知らされた。
そのかわり、もし必要なら医療機関の運営のためなら徹夜できる。だから今、医療機関の運営に携わっている。
このアプローチ、徹夜できることをやれと言っているが徹夜しろとは言っていない。
いやむしろ、〈「徹夜はするな。睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに、美容にもよくねえ」〉。
⑩まわりの人に聞きまくれ。
友人知人親や兄弟姉妹というのは、あなたが思っているよりもはるかにあなたのことをよく見ている。
「何かやりたいけど何をやったらよいかわからない」「何者かになりたいけれどそれが何かはわからない」、そんな思いにとらわれ身を焦がすほどの状況になったら、素直にまわりの人に聞きまくるのも手だ。
「君は〇〇が向いている」とか「××がいいんじゃない?」とか、それこそ無責任なアドバイスをたくさんもらえるだろう。
このアプローチで大事なことは、だれか一人の人の言うことを盲信しないということと、あくまで決定権は自分で握るということだ。
一人の人の言うことを盲信するとろくなことがないが、あくまで参考意見としてたくさんの人に聞きまくることで見えてくるものがある。
さて、話は変わるが、ストレスフルな現代社会を生き抜く、特にメンタル面に効くライフハックをご存知だろうか。
その一つが「心の中にオカマバーのママを住まわせる」というものだ。
グジグジ悩んでいるときも、「な〜に悩んでるのよっ。アンタなりによく頑張ってるじゃない。いいから早くそのボトル空けちゃいなさいよ!アタシも忙しいんだから!」とダミ声で励ましてくれる。
というわけで、グジグジ悩む若者に向けてのアドバイスの11番目はこちら。
⑪悩んで動けない時は、とにかく時給が高くなりそうなことをリストアップして眺めろ。
え何?「結局、金か」って?
…ま〜だグジグジ悩んでんの?!ほんといいご身分ね!
人間なんてね、有史以来み〜んな食うや食わず、食っていくため食わせるために必死のパッチで頑張ってんのよ!
それが何よ!何かやりたいけど何をしたらいいかわからない、だって!?アンタ何様のつもりよ?
アタシがアンタのために10コもアドバイス考えてあげたんだから、グジグジ悩んでないでとっとと動きなさいよ!
「でも…」ですって?!アンタ、アタシに刃向かう気?
まあいいわ、そんな時はね、何でもいいから時給が高くなりそうなものを全部リストアップしてみなさいよ!
何?「オレは金のために働くんじゃない」、ですって?!
アンタね、お金は大事よ!
お金で買える幸福は少ないけど、お金で回避できる不幸は多いんですからねっ!
何やるにしたってタネ銭は要るし、そんなにお金要らないなら、有り金全部アタシに寄越しなさいよっ!
だいたいね、仕事するのにかっこつけてお金の話ぼやかすのなんて東京モンくらいよ!
ニューヨークだってロンドンだって上海だって北京だって、仕事の話するなら「で、それなんぼになるん?」ってみんな聞くわよっ!
お金のこと軽んじるんなら、道頓堀に沈めるわよっ!
いい?よくお聞きなさい!
「何をすべきかわからない」、なんて時はね、とりあえず時給が高くなりそうなこと全部リストアップしてみなさい。
で、上から順にずーっと眺めていくと、「あ、この仕事、金にはなるけどオレはやりたくないな」とか「あんまり金にならないけど、この仕事ならやってみたいな」とかって心が動くから。
人間ってね、選択肢が与えられると途端に賢くなるから。
大事なのはね、ストレス発散も含めて時給計算すること。
8時間やって2万円もらえる仕事があっても、それがイヤな仕事で、仕事のあとキャバクラで1万5000円散財するような仕事じゃ、トータルの時給は下がるからね!
アタシら水商売でも、アブク銭稼いでてもストレスためてホストに貢いでトータル時給下げるコ、たくさんいるからね。そんな仕事なら、時給高いリストのランクは下がるからね。よく考えてリスト作りなさいよ!
あとね、いくら時給が高くても、自分で自分が嫌いになるようなことはあんまりやんないほうがいいわよ。
仕事とは縁が切れても、自分自身とは縁が切れないんだから。嫌いになった自分とずっと付き合ってくってのはシンドイからね。
とにかくね、心が動かないときは体動かしなさいよ!手を動かして足を動かして汗かいたら、心も動き出すから!「この仕事やりたくないな」でも「この仕事、もっとやりたいな」でもどっちでもいいから、心が動いたら次に進む道も見えるでしょ。
いい?わかったらとっとそのJINRO飲んじゃって!アタシも忙しいんだから!
というわけで皆様よい一日を。
ぼくも『脳内マツコ』を回収して、今日も仕事に取り掛かることにする。

(photoACより)
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2020年7月21日、25日、27日を加筆修正)














