社会や組織に変わり者が必要なわけ~ゾウリムシの繊毛の話
(イラストはシルエットACより)
ここ30年ばかり、心の片隅にゾウリムシがいる。
出典を確認すべく最近やっと取り寄せた上前淳一郎著『読むクスリ 15』(1991年 文藝春秋)にはこんなことが書いてある。
ゾウリムシは草履に似た微生物で、そのまわりには小さく細い毛、繊毛がびっしり生えていて、それがボートのオールのようにおんなじ方向に動いている。そのためにゾウリムシはすいすいと前へと進んでいくが、数百本の繊毛の中に数本だけ、全然別の動きをしている奴がいるというのだ。
なんでそんな非効率的な動きをしている奴がいるのか、数百本が全く同じように動いていたほうが無駄がないじゃないかと思って観察してみると、なんと勝手な動きをしている奴が大活躍する瞬間がある。ゾウリムシが、方向転換するときだ。
つまり、まっすぐ進んでいたゾウリムシが大きく方向を変えるとき、今まで少数派だった勝手な繊毛の動きに、ほかの数百本が動きを合わせることによって、ゾウリムシはスムーズに方向転換をするのだという。
そしてコラムはこう続く。
実は会社や組織というのもこれと同じで、5%程度の異端や異分子がいてこそなにかあったときにスムーズに方向転換できるのではないか、と(上掲書 p.132)。
それで思い出すのは東大理学部数学科出身の元大蔵官僚、髙橋洋一氏だ。
髙橋氏の著書にはこんな一節がある。
『大蔵省は話題づくりのために二年に一人くらいの割合で、変わった経歴の人間を採る。私はその「変人枠」で採用されたようだった。』(髙橋洋一「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」 講談社 2008年 p.40)
髙橋氏自身はここで「変人枠」を「話題づくり」と片付けているが、そこには旧大蔵省の組織保全というか環境変化への適応力の保険というか、そうした経験に基づいた組織の知恵というものがあるのではないかと思う。
5%の異端や異分子、異物を内部にビルトインすることで組織の健全化を図る知恵みたいなものが旧大蔵省の「変人枠」だったのではないだろうか。
10年くらい前にも、「役所のなかの役所」と呼ばれる中央官庁に「日本で一番難しい理系学部」卒業生が入省したという噂を聞いた。今はどうしているのか興味津々である。
こうした組織内の異端や異分子、異物を人為的につくりだそうとした試みが「ぶらぶら社員制度」であろう。
永谷園では1979年に、通常業務は一切せず、2年間の間、食べたいものを食べ、行きたいところに行き、新しい商品のアイディアを考えるだけの「ぶらぶら社員」という制度ができた。永谷園の「麻婆春雨」というヒット商品はこうして生まれたそうである。
(永谷園HP:マンガ「麻婆春雨」開発秘話 )
こうした「ぶらぶら社員」制度は、検索するとセブン&アイ・ホールディングスやキングレコードといった会社にもあり、面白いとは思うが、それほど多くの企業や組織で取り入れられていないのは何らかの無理があるのだろう。生真面目な本業の中に遊び心を入れることが「ぶらぶら社員」の本質なのに、社命とあらば生真面目に「ぶらぶら」してしまうお国柄のせいだろうか。
組織全体の中に異端の「繊毛」をつくるよりもむしろ、一人の個人の活動の中に異分子、異端を取り込むほうが現実的かもしれない。
不惑を前に思わず手に取った本、「40代を後悔しない50のリスト」(大塚寿著 ダイヤモンド社 2011年)には「8割は守りでいいから2割は攻めろ」と書いてあったし(p.49)、グーグル社の社員は勤務時間の20%は自分の好きにやってよい、という「20% ルール」があるという(http://googlejapan.blogspot.jp/2007/07/20.html)。
そんなわけで、「方向転換の時に役立つ5%の繊毛」に心惹かれながらここまで来たわけであるが、ここにきてふつふつと疑問が湧いてきた。心の拠り所にしてきたその繊毛の話が、そもそもウソだったらどうしよう、というものである。
というわけで、ゾウリムシの繊毛および「役所のなかの役所」の人事に詳しい方がいらしたら、ぜひぜひご一報ください。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2016年4月13日を加筆修正)