手土産は老舗で。
「雑誌の取材で地方に行くときにはね、手土産は東京の老舗のものがいい」
その昔、今はなき週刊HのカメラマンのTさんが教えてくれた。
「“お宝発見”みたいな企画で、地方の名家とか名士さんとかのところに行って、蔵の奥に眠ってる“お宝”を撮影させてもらったりするんだよ。
そういうときは、うまいこと機嫌取って写真撮らせてもらわなきゃなんない。
そういう地方の名家とかってさ、女主人とか奥さんとかは若い時に東京の大学とかに出してもらって、卒業したら呼び戻されたり、名家に嫁いだりしてるわけ。
で、そういう女主人とかお嫁さんとかに『これよろしかったら…』って東京の老舗の手土産を渡すと、『懐かしい!東京にいる時によく食べたワ』なんていって喜んでくれて、取材許可が出るわけ」
インターネット前夜のことで、それこそAmazonも楽天もない時代のことだから、今では手土産事情もだいぶ変わっていることだろう。
だがなぜだかこの話はずっと覚えている。
今、人生の後半戦にこの話を思い出すと味わいが格段に深まっている。
あの頃は手土産を渡すTさんの側に近い年代だったが、今では地方の名家の女主人や「お嫁さん」側の年代に近い。
今では通販やデパートで、地方にいても東京の老舗のお菓子も手に入るだろう。
だがやはり、この話で手土産にするのは東京の老舗がふさわしい。最新流行のお店の品では下手すれば逆効果なのだ。
これは想像だし人によるけれど、大学時代だけ東京で遊学させてもらって実家に呼び戻されたりした女主人の中には、複雑な思いを抱えている人もいるだろう。
「ほんとは私ももっと東京にいたかったのに、実家の都合で呼び戻された!」とか。
そういう気持ちは揺れ動くものだから、「今さら仕方ない、まあいいか」みたいな境地の人もいるだろう。
しかしもし女主人が「もっと東京にいたかったのに!」みたいな気持ちのフェイズだったら、流行りものはヤバい。
「チャラチャラしたマスコミの若いヤツが、東京の流行りものを見せつけてきた!」みたいに変な地雷を踏んでしまうかもしれないのだ。
そんな見えないリスクを負うよりは、東京の老舗のお菓子のほうがリスクが少ない。
冒頭のように女主人のノスタルジーを呼び起こせるかもしれないし、相手の心に刺さらなくても「何がお好きかわからなかったので…」と言っとけば済む。
だから老舗は強い。
先日ネットをウロウロしてたら、「老舗の羊羹食べたらあまりのうまさにびっくりした」という話にぶち当たったのでそんな話を書いてみた。たしかに老舗の羊羹もうまいけど、手頃な値段の羊羹も、あれはあれでうまいすよね。安いやつは安いやつで、寒天感がいいんだよな。
ビールに例えると老舗の羊羹がギネスビール、手頃な羊羹はアサヒスーパードライやオリオンビールみたいな感じで(個人の感想です)、こってりゆったり味わいたい時もあれば日本の蒸しあっつい夏にサラサラヒヤヒヤっといきたいときもある。あっつい夏の日に、たとえば缶の羊羹をパキャッて開けて、上の部分の透明な薄い寒天の層を食べつつ、「もっと大きいサイズがあればいいのに」と思ったりして楽しむ羊羹の良さもあるよなあ。
手土産は老舗で、夏は水羊羹ってお話でした。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2024年5月24日を加筆修正)