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「医者は死というものをどうとらえているか」という問いと、ひとまずの答え。

高橋宏和(H4卒)
date:2019/11/15

(写真:photo ACより)

医者になって今年で20年になる。

医者の仕事をしていると、「医者は死というものをどうとらえているのか。なんでもかんでも生かせばよいという考えが医者にはあるのではないか。医者が正しい死生観を持つことが、不要な医療を無くすことになるのでは?」という意見を聞くことがある。これについて現時点で考えていることをまとめておきたい。



「医者は死をどうとらえているか」ということに対する答えとして、数年前までぼくは論語の「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」(先進篇)を愛用していた。

孔子の弟子の子路が孔子に聞いた。「先生、死ってなんですか?」

それに対して孔子がこう答えたわけだ。「私は未熟者で、まだ生きるということすらわからない。それなのになぜ死ということがわかるだろうか」

人類最高の知性の一人孔子ですら死をわからないのに、ぼく如きが分かりません、というふうに言っているのである。



上記はややはぐらかしであるが、一言で死と言っても持つ意味は様々だ。

一人称の死、二人称の死、三人称の死。

例えば「死体」と「遺体」の違いは何か。

波平恵美子『日本人の死のかたち』(朝日新聞社 2004年)によれば、どこの誰かわからない死んだ身体は「死体」と呼ばれる。しかしその死体がどこの誰か判明していくと、それは「死体」ではなく「遺体」となる。そこに人格が存在する(した)のか、周囲との関係性があるのかが「死体」と「遺体」の差なのだ(同書p.80-82)。

 

ロックバンドTHE YELLOW MONKEYの曲「JAM」にこんな歌詞がある。

<外国で飛行機が堕ちました ニュースキャスターは嬉しそうに

「乗客に日本人はいませんでした」「いませんでした」「いませんでした」

ぼくは何を思えばいいんだろう>

死についてのニュースなのに、この歌のニュースキャスターが嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」と言えるのは、おそらく視聴者と関係性がある被害者がいない可能性が高いからだ(グローバル化で国境を越えた知人友人が増えた現代では成り立たない歌詞かもしれない)。

死をどうとらえるかと言うけれど、関係性によって全然変わってきてしまうわけである。

 

また、時に、死が救いになることがあるのかもしれない、ということぐらいはぼくにも分かる。

死よりも過酷な生もあり得る。

ドルトン・トランボの小説『ジョニーは戦場へ行った』(角川文庫 昭和46年)の主人公ジョニーはコロラド育ちで、異国の戦場で砲弾にあたった。

ジョニーは目を失った。

ジョニーは鼻を失った。

ジョニーは口を、耳を、失った。

右腕も、左腕も、右脚も、左脚も、失った。

暗闇の中、無音の中でジョニーは生きる。病院のベッドの上で身動きもできず、言葉を発することもできぬまま。

事実は小説よりさらに過酷で、もっと残酷な生は世にあふれているのだろう。



だがしかし、ぼくは医師が彼個人の死生観をふりかざすことを好まない。

死生観を持つことは自由だし、ぜひそれぞれの死生観を深めるべきだと思う。

しかし、社会において、病院や医師はあくまでも可能な限り命を救うことを要求されているとぼくは思う。可能な限り命を救うことは病院や医師の社会的役割である。

警察の社会的役割が悪者を捕まえる事であるのと同じことだ。



一警察官が「アウトローの人って必要悪だよな」と考えていたとしても、その個人の思いを業務に反映されたら困る。「必要悪だから逃がしますよ」とか言われたら困ってしまうのだ。

それと同じように、「ただ長生きすればいいってもんじゃない」と考える医者がいても、それを業務に反映されたら困るのだ。だって、自分の主治医がどんな死生観を持つ医者かなんてわからないし、それぞれの死生観に忠実に仕事をされたら、「長生き最高!!」と思う医者の場合にはめいっぱい治療を受けられて「長生きしてもつらいだけ」と思う医者にかかったらそこそこで治療を打ち切られてしまうことになるのだ。そんなロシアンルーレット、やだ。


死生観とどこまでどんな治療をすべきかを決めるのは一医療技術者である医者ではなく、あくまでも社会だ、と思うわけであります。

というわけで、冒頭の「医者は死というものをどうとらえているのか」に対し、最近は徒然草から「人、死を憎まば生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、楽しまざらんや」と返すようにしている。

生(しょう)・愛してますか?

(カエル先生高橋宏和ブログ2016年1月11日『医師と死生観http://www.hirokatz.jp/entry/2016/01/11/023245を加筆・再掲)

日本ほめ上手列伝

高橋宏和(H4卒)
date:2019/10/15

 

toraneko6さんによるイラストACからのイラスト)



常々思っていることだが、日本には、「ほめ」が足りない。

ネットやテレビでやってる「日本SUGEEE、世界がしびれる、憧れるゥッ!」的なやつじゃなくて、普段づかいのやつ。

ネットでは「いいね!」を乱発するくせに、日常生活で「いいね!」を使いこなしているのはクレイジー・ケン・バンドくらいではなかろうか。

日本には、「ほめ」が足りない。

 

足りないものには値札がつく。

普段からひとにほめられていないから、「ほめ」を求めてオジサマたちは夜な夜な街をさまよい歩く。夜の蝶から「さすが~」「知らなかった~」「すご~い」「センスい~」「そうなんですかぁ」の「ほめ」のさしすせそを手に入れるために、彼らは大金を払うことを惜しまない。嗚呼、巧言令色鮮し仁。

 

しかしそんなほめが足りない日本にも、燦然と輝くほめ上手たちがいる。もしほめ上手を目指すなら、そんなほめ上手たちから学ばない手はない。

 

日本のほめ上手といえば太鼓もち、幇間(ほうかん、たいこもち)。

夜のお座敷の雰囲気づくりのプロ、幇間の歴史は長い。

そもそも「たいこもち」という名前は、豊臣秀吉の側近曾呂利(そろり)新左衛門がしょっちゅう「太閤、いかがで、太閤、いかがで」と言って太閤秀吉を持ち上げていたから「太閤もち」→「太鼓持ち」というようになったという説があるくらいだ(諸説あり。小田豊二『悠玄亭玉介 幇間の遺言』集英社文庫 1999年p.28)。

ちなみに幇間というのは酒間を幇(たす)けるという中国の言葉からきている(同書同頁)。

 

さて、最後の幇間と呼ばれた悠玄亭玉介が、こんなことを言っている。

とにかく相手に惚れてみな、と。そしてそのためには

<あたしはね、とにかくまずお客様の顔を見ることにしてた。

 目とか鼻とかおでことか、じーッと見る。そうすると不思議だね。いいところが見つかるんだよ。人間てのは、不思議なもんで、どんな人でも二カ所はいいところがある。目つきがいいとか、口に愛嬌があるとか、鼻がかわいいとかさ。顔じゃなくたって、笑い声が子供みたいだとか、姿勢がいいだとか。

 もちろん、金払いがいいってえのが、あたしにとっては最大の魅力だけどね。>

(上掲書 p.260)。

どんな人でも二カ所はいいところがある。一カ所と言わないところが粋ですね。

87歳まで活躍した玉介は<人に惚れ、仕事に惚れ、自分に惚れる。それがあたしの長生きの秘訣よ。>(p.289)とも言っている。

 

よく見て言葉を発する職業といえば小説家。

小説家井上光晴を追ったドキュメンタリー映画『人間小説家』の中で、よく思い出すシーンがある。たしか、こんなシーンだった。

井上光晴がお弟子さんの女性とチークダンスを踊る。そこはかとなく色気が漂う。

女性は六十前後くらいだろうか。

女性がインタビュアーに語る。

「先生はね、私のことほめてくださったの。耳たぶが可愛いって」

そういいながら女性はほんのり頬を染める。

「今までそんなこと言ってくれる人なんていなかったから。でもね、何十年も前……亡くなった両親がそう言って私をほめてくれた。耳たぶが可愛いって。誰にも言ったことはなかったけど」

ほめの一言が幸せな子供時代をよみがえらせ、女性のモノトーンの日常をフルカラーに変えたのだ。相手をよく見、言葉を選びぬき心を射抜く。まさにほめの達人と言うべきであろう(1)。

 

ちょっとひねった「ほめ」もある。

サッカー日本代表の監督だったイビチャ・オシム氏は数々の名言で知られる。

オシムは選手に対しても辛辣で厳しい言葉を浴びせ続けたが、それだけではなかった。

<「ずっと厳しいことを言っておいて、ふとした時に、ポンと『もうワールドカップ出場を狙っていないのか』とか、『もっと上を見いいんだぞ』とか、声をかけるんです。例えば阿部やいろいろな選手に、お前たちは代表の選手に劣っている部分はそんなにないんだから、もっと上を見ていいんだと、言ってくれたりするんです。(略)」>(木村元彦『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』集英社インターナショナル 2005年 p.203。「 」内は羽生直剛選手談)。

世界が誇る名将にぼそっと「もっと上を見ていいんだぞ」と褒められたら、選手も発奮するというものだ。

ちなみに、オシムは<「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。(略)新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」>(『オシムの言葉』p.38)とも語っている。

 

「引きのほめ」というのもある。

あえて語らないことで成立する「ほめ」だ。

政治評論家の三宅久之氏は阿川佐和子氏と会うたびに

「これはこれは。また今日は一段と……」

とだけ挨拶するという(阿川佐和子『聞く力』文春新書 2012年 p.242)。

そのエピソードについて、阿川氏はこう続けている。

<でもたしかに、「一段と……」のあとに、実のところ何が続くかはわからないのですが、言われた側としては、「一段と、おきれいで」とから「一段と若々しく」とか、そんなふうに褒めていただいたような錯覚を起こすものです。三宅さんとしても、本人を前に、歯の浮くような具体的な形容詞を使わなくて済むから、さほど負担にはならない。>(上掲書同頁)

なるほど。

 

日本の歴史の中で、ほめの金字塔といえばやはり淀川長治だろう。

一定以上の年代の人なら知らない人はいない映画評論家で、一言でいえば愛の人だ。

映画への愛、映画人への愛、視聴者への愛にあふれた淀川氏の映画解説には、「ほめ」しかなかった(2)。

「どの映画にも見所はある」が信条で、日曜洋画劇場でくりひろげられる映画解説では、どんな映画であっても決してけなすことはなかったという。たとえB級C級映画であっても彼は必ずほめるところを見つけ出してほめた。

ぼくたち「ほめ」業界の間で伝説となっている映画解説がある。

こんな感じだったようだ。

「はいみなさんこんばんは。今日の映画は、『大蛇アナコンダ』。あなたね、大蛇、出てきますよ。出てくるヘビがね、なんと、体長、5メートルも、あります。大きいですね、すごいですね、怖いですね。しかもね、アナコンダ、とても速い。くねくねくねくね、動くんですね、速いですね、すごいですね、怖いですね。 ね、あなた、なんといっても、アナ、コンダ、大きいですよお、楽しみですねえ。それではじっくりお楽しみください」(3)

大蛇が大きいとしか言っていないのだが、よっぽど大きい蛇だったのだろう。

 淀川氏は89歳まで長生きしたが、この人もまた人に惚れ、仕事に惚れ、自分に惚れた人の一人だったのかもしれない。

 

日本のほめ上手たちを振り返ってみたが、どの達人たちもかなりの人生経験を経た人々であることに気づく。「ほめ」の達人になるには、まずは自分の人生の達人にならなければならないのだ。

 

ほめ上手への道は長く険しいが、それでも明日はモア・ベター。

いやあ、「ほめ」ってほんとうにいいものですね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

 

(1) 映画を見たのは二十年以上前で、あえてうろ覚えのまま書いた。大きく間違ってたら直します。

(2)ただしイベントなどでは結構辛口なことも言っていたようだ。

(3)youtubeで『アナコンダ』の解説があがってないか探したが見つからなかった。残念。どこで見られるかご存じのかた、教えてくださいませ。



(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2017年4月16日を加筆再掲)

正しいほめかたとイタリア人

高橋宏和(H4卒)
date:2019/9/15

(acworksさんによる写真ACからの写真)



実は、イタリア人になるつもりだ。だって楽しそうなんだもん。

 

日本や英米社会が高ストレス化していくばかりなのに対し、日がな一日イタリア人はマンジャーレ・カンターレ・アマーレ(食べ、歌い、愛す)だし、なにしろペペロンチーノでエスプレッソだ。とにかく人生を楽しんでいる感じが素晴らしく、前々から日本にはラテン成分が必要だと思っている。ペスカトーレ。

イタリア人のキメ台詞は「Goditi la vita」、あなたの人生を楽しみなさい、だという。ボンゴレ。(参考サイト 嘘と誓い )

 

ではどうしたらイタリア人になれるのか。やはりドルチェとか食べるのか。

文献によれば、イタリア人はとにかくおしゃべりらしい。

シモネッタことイタリア語通訳の田丸公実子氏は、ガセネッタこと米原万里氏との対談でこう述べた。

<田丸 イタリア人は口上手で話し言葉が豊富。プレゼントあげるとイタリア人は「マニフィコ!スプレンディド!ファヴォローゾ!エッチェレンテ!ペッリッシモ!」って、パーッと言う。でも日本語だと「すばらしい」しかないの。「最も美しい」なんて日本語じゃないし、「卓越した美しさ」だなんて、話し言葉じゃないし。日本語は、書き言葉と話し言葉の乖離が激しい。

米原 日本人は昔からそうなのよ。『枕草子』だって、「あはれ」と「をかし」ぐらいしか出てこないじゃない(笑)。>(『言葉を育てる 米原万里対談集』ちくま文庫 2008年 p.223)

 

そうか、足りないのは“ほめ”だ!イタリア人になるには“ほめ”に習熟せねばなるまい。

そう考えてぼくは、しばらくの間“ほめ”に励んだ。むろん、イタリア人になるためである。グラッツェ。

しかしその結果は散々なものだったことを告白せねばなるまい。

手当たり次第かたっぱしから周囲の人のことをほめてみたのだが、かえってくる言葉は

「どうも君の言うことはうさんくさいんだよね」

「心がこもってないよなあ」

「なにかたくらんでそう」

マンマ・ミーア、ローマは一日にしてならず。

 

誰かをほめるというのは案外難しいものだ。ほっておくと私たちの舌は、人の悪口を言うようにできている。

嘘だと思うなら試みに、他人をほめながら酒を飲んでみるとよい。誰かをほめながら飲み会をやっても5分で終了してしまうが、誰かの悪口を言いながら酒を飲めば一晩中だって飲み明かせるものだ。

古人曰く、<舌は火である。不義の世界である。(略)舌を制しうる人は、ひとりもいない。>(ヤコブの手紙 第三章)。

 

舌を制し、“ほめ”を極めるにはどうしたらよいか。

悩んだ末、専門家の力を借りることにした。すべてはイタリア人になるためである。

専門家によれば、正しい“ほめ”には6つの原則があるという。

すなわち、①事実を、細かく具体的にほめる、②相手にあわせてほめる、③タイミングよくほめる、④先手をとってほめる、⑤心を込めてほめる、⑥おだてず媚びずにほめる(本間正人・祐川京子『やる気を引き出す!ほめ言葉ハンドブック』2011年 PHP文庫 p.33)である。

特に⑥が難しい。

媚びへつらうつもりがなくても、まかり間違うとやはり“ほめ”ではなく“おだて”、“こび”に聞こえてしまうのが“ほめ”の難しいところだ。

 

上記の『ほめ言葉ハンドブック』には豊富な実例が載っていて参考になる。その中でも特に参考になるのが運と包丁である。

なにか仕事が想像以上にうまくいったとき、「運がいいね」と言われると腹が立つ。

しかし「運がつよいね」「強運の持ち主だね」と言われると、悪い気はしないものだ(参考箇所『ほめ言葉ハンドブック』p.63-64,p175-176)。

また同書は、寿司職人をほめるときには「見事な手さばきですね」とほめてはいけない。「素人にわかってたまるか」と無用の反感を買うからだ。

そうではなくて、「その包丁、よく切れますね」とほめるのがよいという(p.105-106)。

 

これはおそらくこういうことではないか。

ほめの対象となる人物そのものをほめようとすると失敗するが、ほめの対象人物に付随するものをほめればうまくいく。

ほめという言葉の矢を放つときに、的の中心を射抜くのは大変で、往々にして「的はずれなほめ」になる。「的はずれ」なほめは、単なるお追従である。

そうではなくて、的の周辺、ほめの対象人物に関するものごとや、ほめの対象人物が関心のあるものをほめなければならないのだ。

 

ベストセラーとなった『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健 2013年 ダイヤモンド社)にはこんな一節がある。

<アドラー心理学では、子育てをはじめとする他者とのコミュニケーション全般について「ほめてはいけない」という立場をとります>(kindle版 2482/3760 )。なぜなら<ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面がふくまれて>いるから(2482/3760)。

アドラーの見方では、<人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していく>(2563/3760)という。だから人は、本能的にほめる人を警戒するのかもしれない。

 

アドラーの顔を立てつつ正しいほめかたを身につけるのはどうしたらよいか。その答えは『嫌われる勇気』の続きである『幸せになる勇気』にあった。

おだてずこびず、相手にイヤな感じを与えずにほめるにはどうしたらよいか。

『幸せになる勇気』が出した答えはずばり<「他者の関心事」に関心を寄せる>(『幸せになる勇気』609/3673。ただし同書自体には「ほめる」とは書いておらず他者に敬意を示す具体的な方法としている)である。

 

エウレーカ!これですべてがつながった。

相手そのものではなく相手に付随するものや相手が関心のあるものをほめよ、というのはそういうことだったのか。

寿司職人自身ではなく職人の持つ包丁をほめるというのは、職人の関心事に関心を寄せるということだし、<相手が尊敬する人物をほめる><経営者をほめる時は本棚に注目>(『ほめ言葉ハンドブック』p.100-103)というのも、まさに相手の関心事に関心を寄せることにほかならない。

ではどうしたら他人の関心事に関心を寄せる、言葉を変えれば相手への尊敬を具体的に示すことができるのか。

この答えもまたシンプルで、相手を虚心坦懐に見ることだ。

<尊敬(respect)の語源となるラテン語の「respicio」には、「見る」という意味があります。>(『幸せになる勇気』491/3673)

イタリア人になるために正しいほめかたを身に着けること。そのためには相手を尊敬し、見ることが重要ということなのだろう。

 

長くなった。

イタリア人になるための旅は、イタリア人の言葉で終えるのがふさわしい。

イタリア人といえば、パンツェッタ・ジローラモ。ジローラモ氏はこう語る。

<私は子供の頃から人間観察が好きだった。>

<今でも私は人を観察することが好き。日常の中で人を見ることが好きだけど、特に旅行で海外を訪れたときの醍醐味は、外国の異文化の中で、いろいろな人たちの表情や癖を発見すること。>

<(略)女性に対してのみならず人をよく観察して、その人に対してのさりげないフォローができるようになったら、オトコとしてだけでなく、ひとりの人として素晴らしいことだと思うし、それが日頃、私が心がけていることでもある。>(パンツェッタ・ジローラモ『ジローラモのイタリア式伊達男のなり方』2004年 河出書房新社)

さすがジローラモ氏、いいことを言う。さっそく『LEON』を定期購読することにする。嘘だけど。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2017年4月9日を加筆再掲)

大副業時代に「鶏口牛後」を考える。

高橋宏和(H4卒)
date:2019/8/15

写真:photoACより



「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉がある。略して「鶏口牛後」。

大きな組織の下っぱであるよりも、小さくても組織のトップを目指せ、という意味で、中国の古典『史記』がオリジナルだという。

これは正しいのかと昔からずっと考えてきた。



例えば受験で志望校を決めるとき。

鶏口牛後が正しいとすると、いい学校に超無理してビリで入るより、そこそこの学校にトップで入ったほうがよいことになる。

確かにギリギリの学力でいい学校に入っても、授業についていけなかったらあとあとつらい。

それよりは余力がある状態でそこそこの学校に入ってトップでいたほうがよいというのは言えるかもしれない。



しかし一方で、人間にはのびしろというものがある。

入学時にギリギリの学力でも、まわりのデキる生徒と切磋琢磨して少しずつ成長する可能性がある。

入学時には牛後ポジションであっても気が付けばその集団の真ん中くらい、牛の腹くらいまで伸びることができるだろう。

はじめから鶏口ポジションだと、それ以上伸びようがない。

人間は環境の生き物で、環境によってよくも悪くも変わっていく。

まわりがデキる奴ばかりだったら「このままじゃいけない」と発奮するだろう。

荀子曰く、「蓬(ほう)、麻中に生ずれば扶(たす)けずして直し」。

ぐねぐね曲がって生えるつる草、蓬(ほう)も、まっすぐ伸びる麻に囲まれて育てばまっすぐに伸びるのである(中公クラシックス『荀子』p.6-7。なお、同書によれば、原文の「蓬(ほう)」は日本の「よもぎ」とは別の植物だそうだ。なんということだ)。



大きな組織や会社の下っ端(=牛後)がよいか小さな組織のトップ(=鶏口)がよいかは個人の性向によっても変わってくる。

職人かたぎの専門職だと、自分の仕事だけに没頭できる牛後ポジションというのは悪くない。

対外的には下っ端であっても、大きな組織や会社に属しているとそれだけで信頼を得られるし、大きな仕事も任せてもらえることがある。

組織が持つ力との相乗効果で、大きな仕事を成し遂げることができるのが牛後ポジションの利点だ。

フェイスブックの共同創業者ダスティン・モスコヴィッツは、グーグルマップを開発したブレット・テイラー(約1500人目のグーグル社員)や「いいね!」ボタンの開発メンバーチーフのジャスティン・ローゼンスタイン(FB約250人目の社員)についてこう言っている。

<(彼らは)機能を世に送り出すために自分の会社を立ち上げませんでした。むしろ自分の会社を作って同じことをしていたら、失敗したでしょう。「いいね!」機能で世界に影響を与えるには、広く普及している(グーグルや)フェイスブックの存在が必要だったからです。どんな会社を始めたいのか、やりたいことが実現できるのはどこなのかに関しては、常に考えておくべきです。>(クーリエ・ジャポン 2015March p.93。( )内は筆者)



一方で小さな組織のトップであることのメリットも大きい。

小さくても、組織や会社の全ての仕事をやりくりすることでマネジメント能力を高めることができるし、仕事全体・業界全体を俯瞰してみるクセがついていく。

言われたことを受け身でやればよい牛後ポジションに比べ、自らの生きのこりをかけて積極的に仕掛けていかなければならない鶏口ポジションで必死さが違う。

「周囲を引きずりまわせ。引きずるのと引きずられるのでは、永い間に天地のひらきが生まれる」(電通「鬼十則」)という奴ですね。



つまるところ鶏口がいいか牛後がいいかは人によって違うだけの話であるが、大企業でも副業解禁が叫ばれる今の時代におすすめなのはハイブリット型だ。

大きな組織に所属しながら安定性を確保しつつ、副業したり自ら小さな勉強会などを主催したりしてそちらでは鶏口ポジションとしてチャレンジングなことをしてみる。

あるいは小規模の会社の経営者として辣腕をふるいながら、業界団体の新参者として先達から学びながら経営者同士社員には話せない悩みを共有する手もある。

大きな組織の一員であるにせよ、小さな組織のトップであるにせよ、どっぷりと一つのポジションだけにとどまるのは視野がせまくなる危険性があるのだ。



本業をおろそかにせず、複眼的思考を手にいれるためにはどのくらいの割合のハイブリットを狙えばよいか。

その割合はずばり2割。

googleでは以前、次のビジネスの種を探すことにつながるとして業務時間の20%を自由なプロジェクトに使ってよいとしていた。

元リクルート営業マンの大塚寿氏は、1万人以上のビジネスマンにインタビューし、ビジネス人生を後悔しないために『8割は守りでいいから2割は攻めろ』と言っている(大塚寿『40代を後悔しない50のリスト』ダイヤモンド社p.46-49)。



もし自分が現在大きな組織の一員として行きづまりや息づまりを感じていたら、2割の鶏口要素を取り入れてみる。

自分が小さな組織のトップで将来展望が見えなかったり同じレベル感で悩みを相談できる相手がいなければ、業界団体や同業種交流会・経営者交流会などの大きな団体に飛びこんでみる。

しかし本業はおろそかにせず、心も時間も8割は本業のために確保しておく。

この時代、仕事の黄金比率は牛8鶏2か鶏8牛2。

なんだかとっても良いダシがとれそうである。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ』http://www.hirokatz.jp 2015年9月20日より加筆再掲)

「運がいい人」とはどういう人か

高橋宏和(H4卒)
date:2019/7/15

(写真:photoACより)

 

世の中には、運がいい人、というのがいる。

普通なら思いもつかないような出会いに恵まれたり、懸賞や宝くじにもバンバン当たる。歩いていればお金も拾うし、たまたまカフェで隣りあった人から大きな仕事の話をもらったりもする。

生まれついてのラッキー・マンやラッキー・ウーマンである彼らは口を揃えてこういう。「いやー運が良かっただけだよ」。

 

運がいい人っているよな、ああうらやましい妬ましい、生まれ変わったら自分もそんな星のもとに、なんてグチるんじゃなく、「運がいい人」をしっかり研究した人がいる。イギリスの心理学者、リチャード・ワイズマン博士である。

この人はもともとマジシャンで、マジックの裏に潜む人間心理の面白さに目覚めてロンドン大学とエジンバラ大学で心理学の研究をし博士号をとった。

ワイズマン博士を一躍有名にしたのが、「運のいい人」の研究である。以下、博士の著書『運のいい人の法則』(角川文庫 H23年)をもとに述べる。



「運のいい人」には何か法則があるのではないか、と博士は考えた。

「運のいい人」の法則を調べるには、「運のいい人」をたくさん集めてきて共通点を探ったり、「運のいい人」グループと「運の悪い人」グループの差を集めたりすればよい。

 

だがしかし、そもそも「運のいい人」「運の悪い人」なんて非科学的な存在をどう扱えばいいのか。普通はそこで途方に暮れてしまうのだが、博士のやりかたはシンプルだった。単純に、「あなたは自分が幸運な人間と思うか不運な人間と思うか」でカテゴリー分けしたのである(詳しくは上掲書 p.45-46)。

だから厳密には、ワイズマン博士のいう「運のいい人」は「自分が幸運だと思う人」であり、「運が悪い人」は「自分が不運だと思う人」である。

研究にはとっかかりが必要だから、定義づけさえはっきりしておけばひとまずはそれでいいのだ。

 

次に博士は「運がいい人」は「運が悪い人」よりも予知能力みたいなものがあるのではないかと仮説を立て実証した。

イギリス全土の「運がいい人」と「運が悪い人」に、宝くじの当たり数字を予想してもらったのだ。実験に用いられた宝くじは1から49までの数字を6つ選んで当てるタイプのもので、もし「運がいい人」=予知能力がある人であるならば、全英「運のいい人」グループが選んだ数字は当たりやすいはずだ。結果は見事に大外れ。「運のいい人」グループが選んだ数字も、「運が悪い人」グループが選んだ数字も、当選率は大差なかった。

「運がいい」とは予知能力ではなさそうだ。そう簡単にスーパーナチュラルなことは起こらない。

 

ワイズマン博士はいろんな実験をしている。

興味深い実験の一つが喫茶店で行われたものだ。

喫茶店の入り口の路上に5ポンド札を置き、店内のテーブルにはビジネスに成功した実業家役の人を仕込んでおく。隠しカメラも忍ばせて、「運がいい人」と「運が悪い人」をその喫茶店に呼んで、二人の行動を観察するのだ。

「運がいい人」代表のマーティンはその喫茶店に近づくなり入口に落ちている5ポンド札に気づいた。「ラッキー」とでも言わんばかりに5ポンド札を拾って店に入る。

マーティンはコーヒーを頼んで席につくと、何分もしないうちに隣の席の実業家(役の人)に話しかけて簡単な自己紹介をして、コーヒーをおごるよと申し出たのだ。二人はしばし会話を楽しんだ。



「運が悪い人」代表のブレンダの行動はまったく違った。

ブレンダはうつろな目をして喫茶店に入ってきた。路上に置かれた5ポンド札には気づかないままだった。コーヒーを頼んで席についたブレンダは、誰とも話そうとはせずじっとワイズマン博士が来るのを待っているだけだった。

 

同じ数十分の間に、マーティンは5ポンドを拾い、成功した実業家と会話を楽しんだ。もしこれが実験ではなく実生活ならその実業家から大きな仕事のオファーが得られるかもしれない。

一方、ブレンダには何も起こらなかった。二人の差は何だろう?

「運のいい人」は目の前の5ポンド札に気づくが、「運の悪い人」は気づかない。

「運のいい人」は周囲にオープンだが、「運の悪い人」は自分の中に閉じこもる。

注意力と開放性は、「運のいい人」の特徴なのだ。

例えば「運がいい人」の民話『わらしべ長者』でも、主人公は注意力があるからこそ道に落ちているわらしべを拾うことができた。外向的で開放的だからわらしべを次々に良いものに変えられて、最後は屋敷を手に入れたわけである。

 

実際、「開放性」は大きなキーワードだ。

心理的傾向を調べると、「運のいい人」は外交的で、リラックスしており、オープンな傾向にあるという(p.59-109)。

 

考えてみると、「運がいい人」が外に対して開いているというのは論理的である。

「運」というのは自分の外からやってくる。自分の内側にあるものは実力だったり体力だったり、とにかく「運」ではない。自分以外の外部要素で何かことが成し遂げられたとき、人はそれを「運」と呼ぶ。

だから外に対して開いている人には「運」が舞い込むし、閉じている人には「運」はやってこない。

ワイズマン博士の研究でも、「運がいい人」(厳密には自分が幸運の持ち主と思っている人、だが)は友人・知人のネットワークが広いという。友人・知人のネットワークが広ければ、それだけ「いい話」が転がりこむ可能性が高いわけだ。

 

少しだけ脱線すると、この話は人間性についてちょっとした希望を抱かせる。

もし人間が邪悪な存在ならば、他者とつながっていればいるほどマイナスな出来事が転がりこむだろう。しかし他者とのつながりが多い人ほど「運がいい」となると、他者がもたらすものはマイナスよりプラスが多いということになるはずだ。

つまり、総じて人間というものはよいものだ、ということにならないだろうか。

まあマイナスばかりもたらす人もいますけどね。



ワイズマン博士は最終的に、「運のいい人の法則」として下記の4つを挙げた。

 法則1.チャンスを最大限に広げる

 法則2.虫の知らせを聞き逃さない

 法則3.幸運を期待する

 法則4.不運を幸運に変える

 

法則1は初めのほうに述べたように、外からやってくる「運」に対しオープンであるということや、目の前にあるチャンスを見逃さない、試行錯誤する、などのことだ。

調査の中で出会った「宝くじや懸賞に何度も当たっている」人は、単に他人の何十倍も懸賞に応募しているだけのことだったという。試行回数の問題なのだ。

 

法則2は、勘や虫の知らせというのは成功パターン・失敗パターンを意識下で認識(語義矛盾だが)している表れだから無視するな、みたいな話である。

この「虫の知らせ」というものは、おそらくリスボン生まれの心理学者アントニオ・R・ダマシオのいう「ソマティック・マーカー仮説」(『デカルトの誤り』ちくま学芸文庫 2010年 p.259-311など)で説明(というかこじつけ)できると思う。ソマティック・マーカー仮説とは、人間はなにか選択をするときに、悪いチョイスをしようとすると不快な身体感覚を感じるようにできていて、その結果、無数の選択肢を絞り込むことができる、というような仮説だ。ワイズマン博士の「虫の知らせ」と近藤真理恵氏の「ときめき」を「ソマティック・マーカー仮説」にこじつけた文章をそのうち書いてみたいと思っているが、それはまた別の機会に。

 

法則3は、「運のいい人」ほど粘り強く物事に取り組むということで、自分は幸運だからきっとうまく行く、という信念がその源泉だという。

「運のいい人」、エリックはこんなことをワイズマン博士に語っている。

<自分の運は、心がまえで決まる。家にこもって何もしなければ、何も起こらない。でも、外に出て自分がやりたいことのために頑張れば、運のほうが僕を見つけてくれる。僕は、自分は運がいいと本気で信じている。少し不安になるときもあるけれど、すべてうまくいくとわかっている。どんな問題が起こっても後退するのではなく、何か方法があるはずだと考えれば、ささやかな幸運が背中を押してくれる。>(上掲書 p.179)

 

法則4は、悪い出来事からも何か教訓を得ようという姿勢が大事みたいな話。

「運のいい人」の一人であり、若いころに悪事を働いたが更生した社会人大学生ジョセフはこんなふうに博士に言った。

<二〇代のころは二人の仲間とつるんで、窃盗などを繰り返していた。ある夜、僕らはオフィスビルに忍び込んだ。僕はビルの屋上に行ったが、どういうわけか、急に高いところが怖くなった。警報ベルが鳴ってほかの二人は逃げたけれど、僕は足がすくんで動けなかった。気がつくと、警官が来て逮捕されていた。裁判では四カ月の懲役を言い渡された。僕が刑務所にいるあいだに仲間の二人は別の犯罪を企てたが、銃を持って逃げていた指名手配犯と間違えられて、現場に駆けつけた警官に撃たれてしまった。一人は重傷を負って生涯、車椅子の生活らしい。もう一人は死んだ。僕が刑務所にいたことは、人生でいちばん運がいい出来事だったのだろう。>(上掲書 p.218-219。下線は筆者)

 

こんなふうに、ワイズマン博士の「運のいい人の法則」では一切超自然的な話は出てこない。非常に合理的かつ論理的で、そういうのが好きな人にはお勧めです。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ』http://www.hirokatz.jp  2017年3月23日より加筆・転載。)

フランス人D君の教えてくれた日本人、ヨーロッパ人、アメリカ人の違い-HowとWhyとHow much仮説(後編)

高橋宏和(H4卒)
date:2019/6/15

(写真:photo ACより)

知人のフランス人D君があるときこんなことを言った。「なにかをやるとき、ヨーロッパ人がこだわるのはwhyだが、日本人はhowにこだわる。そしてアメリカ人が最もこだわるのがhow muchだ」。

たいへん面白い指摘で、このことについてずっと考えている。

 

アメリカ人のこだわるHow muchは、摩天楼や、ビル・ゲイツやザッカーバーグ、持てる1%と持たざる99%に行きつく。

ヨーロッパ人のWhyは、明証、分析、総合、枚挙の四原則によって<ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在リ>(デカルト『方法序説』 岩波文庫 p.46)に至り、同時に、不完全な自分なのに完全性が分かるのは、完全な者がその概念を与えたはずだ、だから完全なる者=神が存在するのだ(同書 p.49)、というところに辿りつく。

 

それでは、我らがhow、「どのように」はどこへ到達するのだろう。

言い換えると、「どのように」の集積である「道」はどこへ向かうのだろうか。

 

一つの答えは、どこへも辿りつかない、というものだ。

すなわち、「どのように」=「道」の永遠の追求自体が目的地であり、なんらかの定常状態にはいつまで経っても落ち着かないのかもしれない。それはあたかも永遠に0に近づき続ける漸近線の如く、理想形や完全体に永遠に近づき続けるが達しないムーブメントだ。究極の真・善・美を求め続ける旅そのものが、日本の求道者の願いなのかもしれない。

俳句の道を求め続けた芭蕉の生涯最後の句は、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」だった。

 

「道」はどこにたどりつくかのもう一つの答えは、「無」だ。

中島敦の短編、『名人伝』は弓の道を究めた男、紀昌(きしょう)の話である。

紀昌は名人、飛影(ひえい)に弟子入りし、何年もの修行の末に百発百中の名人となる。速射をすれば的中した矢の後ろに次の矢が刺さり、落ちる間もなくその次の矢が刺さる。次々と速射して百本の矢がまるで一本の矢のように連なり、的と弓を一直線につなぐほどの腕前となる。

もはや師、飛影も恐るるに足らずと思った紀昌は、さらにすごい老師がいると聞き、西へ旅立った。

 

山奥で、百歳を超えるよぼよぼの老師は言う。お前のはしょせん射之射(しゃのしゃ)だ、大事なのは不射之射(ふしゃのしゃ)だ。

そういって老師はなにも持っていない手に見えない弓を持ち見えない矢をつがえ、空高く飛ぶ鳥を射落とした。

弓の道を究めた老師には、もはや弓も矢も要らないのだ。

 

話はそれで終わらない。

老師のもとで9年間修行し山を降りたとき、紀昌はすっかり変わってしまっていた。

<以前の負けず嫌いな精悍な面魂は何処かに影をひそめ、何の表情も無い、木偶の如く愚者の如き容貌に変わっている>(中島敦 『李陵・山月記』 新潮文庫 p.30)のだ。それだけではなく、並ぶもののない名人になったはずの紀昌は、いつまで経っても弓を射ろうとしない。

それどころか、友人の家に置いてある弓と矢を見て、心底不思議そうに聞く。「これはなにをする道具だ」、と。とうとう死ぬまで紀昌は弓を射ることはなかった。

弓の道を究めに究めたその先が、弓も矢も忘れ去り、ただただ無為。

 

面白いことに、『名人伝』のモチーフの中国の古典の列子の湯問編、少なくとも手持ちの本では、山奥の老師の不射之射の話も、弓道を究めつくした紀昌が弓も矢も忘れ去る話は出てこない。たんに紀昌が師の飛衛を殺そうとするが互角で叶わず、互いを認め合って親子の契りを交わす話だ(列子では飛「影」ではなく、飛「衛」表記。『中国の古典⑥ 老子・列子』徳間書店 p.237-8)。

『名人伝』の後半部が中島敦のまったくのオリジナルなのか、ほかの古典に似た話があるのかはわからないが、「道」を究めつくした先が「道」そのものを忘れ去り、「道」の先には「無」がある、という感覚は、なんとはなしに日本人にはしっくりくる。

 

似た例として、会田雄次は、大山巌元帥や、西郷隆盛の話を挙げている。

誰よりも砲術の「道」を究めた大山巌元帥が激戦中に、「大砲ってのは、上に向くほど遠くに行くのかな」と部下に尋ねた、という(会田雄次 『日本人の意識構造』 講談社現代新書 p.70-72)。

また、西郷隆盛と言えば上野の銅像の朴訥としたイメージだが、よくよく考えると実は彼は明治のスーパーエリートだ。

<その彼の全努力が、ぼけることに傾注され、あの茫洋たる大南洲翁が出現したとき、国民の敬慕が集中したのだ>(同書 p.88)。

ここでも、「道」を追求しつくした先には「道」すら忘れて「無」となるのがよい、という日本人のある種のフィーリングを感じることが出来る。

 

How=「道」を究めた先にはただ「無」がある。それはけっして消極的な「無」ではないのだろう。

「道」は長く曲がりくねっているが、「道」を究めきって関所を越えたときには、東西南北に活路が開け、なににも捕らわれることのない自由自在、天衣無縫の積極的な「無」があるのではないか。「道」の一つ、茶道では、所作の一つ一つがこと細かに決まっているが、茶道の祖、利休は「茶の湯とは ただ湯をわかし 茶をたてて のむばかりなる 事と知るべし」という言葉を残している(千宗室・千玄室 監修 『裏千家茶道』 今日庵発行 p.40)。

 

仮説に基づき、今度はアメリカ人について考える。アメリカ人がhow muchにこだわるようになった理由は、比較的想像しやすい。

旧大陸から渡ってきた開拓者たちにとって、細かい理屈はどうでもよかった。荒地を耕し農作物を育て、とにかく目の前の課題を解決していくしかなかった開拓者たちにとっては、理由もプロセスもいらない、結果がすべてだった。どんな手を使ってでも結果を出し続けなければ、フロンティアでは生きていけなかったはずだ。

また、アメリカは「人種のサラダボウル」と言われる多民族国家だ。文化的ルーツの異なるエスニックグループ同士、それぞれ行動の理由や様式は違い、その違いを埋めるには途方もない労力が必要だろう。

しかし、理由やプロセスは千差万別であっても、結果は誰の目にも見えやすい。各エスニックグループ間の調整をするときに、共通のものさしとしていちばん使いやすかったのが結果=how muchの価値観だったのではないだろうか。

 

アメリカ的な考え方を一言で表す言葉は「プラグマティック」だ。

<プラグマティックな方法なるものは、(略)定位の態度であるに過ぎない。すなわち、最初のもの、原理、「範疇」、仮想的必然性から顔をそむけて、最後のもの、結実、帰結、事実に向おうとする態度なのである。>(W.ジェイムズ『プラグマティズム』岩波文庫 1957年 p.46)

原理や規範がそれぞれ違う多民族国家をうまく運営するには、万人が見て納得する結果を共通の価値観とするのが手っ取り早かったのであろう。



さて、それではヨーロッパ人がwhyにこだわるようになったのは如何なる理由があったのか、想像の翼を広げたい。

和辻哲郎は、人間の行動様式に影響を与えるものとして「風土」に着目した(和辻哲郎『風土―人間学的考察』 岩波文庫 kindle版)。和辻は、ヨーロッパの風土の特徴を、「牧場」と呼ぶ(上掲書1178/4865)。ヨーロッパの風土は、湿潤と乾燥との総合だと指摘する。ヨーロッパの風土では、夏は乾燥期であり、冬は雨期だ(と和辻は述べている)。

乾燥した夏は、日本のような雑草をもたらさない。<しかるにヨーロッパにおいては、ちょうどこの雑草との戦いが不必要なのである。土地は一度開墾せられればいつまでも従順な土地として人間に従っている。隙を見て自ら荒蕪地に転化するということがない。だから農業労働には自然との戦いという契機が欠けている>(上掲書1356/4865)

ヨーロッパでは一度耕した土地は荒れ果てることなく、耕されたままである。かつてスペインの海沿いを鉄道で旅したことがあったが、車窓から見られる植生の単調さに驚いた。どこまで行っても見えるのはアーモンドかオリーブの木のみ。



(和辻の説によれば)ヨーロッパでは自然は単純で従順だ。そうした単純な気候風土では因果関係が見えやすい。

<すなわち自然が暴威を振るわないところでは自然は合理的な姿に己れを現わして来る。

 (略)人は自然の中から容易に規則を見いだすことができる。そうしてこの規則に従って自然に臨むと、自然はますます従順になる。このことが人間をしてさらに自然の中に規則を探求せしめるのである。かく見ればヨーロッパの自然科学がまさしく牧場的風土の産物であることも容易に理解せられるであろう。>(上掲書 1435/4865)

こうしてヨーロッパの単調で従順な風土から合理主義が生まれ、因果関係、特に因=whyにこだわる文化が生まれたのではないか。


ヨーロッパの風土が「牧場」だとすると、日本の風土は「モンスーン的」であると和辻は述べる。そしてモンスーン的風土は、人間を受容的・忍従的にする。さらに日本人の性格に影響を与えたのは台風の存在だ。

台風の特徴は、突発的で猛烈であるということだ。21世紀の今でさえ台風の発生と進路を予想するのは難しく、どんなに人間ががんばっても台風の被害は出る。なぜ=why台風が起こるかなどと考えても無益だし、台風に抗っても結果は常に人間の負けだ。考えて意味があるのはただ、台風という突発的猛威のなかどのように=how身を処するかだけだ。



昔から、「地震・雷・火事・親父」という。地震も雷も火事も親父の怒りもすべて、突発的に起こる。起こってしまう理由を考えても仕方がないし、起こったときにどう対処するかを追求するしかない事態ばかりだ。そんな風土の中、日本人はwhyでもなくhow muchでもなく、howにこだわるようになっていったのではないだろうか。

 

昔フランス人D君が言った「ヨーロッパ人はなぜ=why、アメリカ人はなんぼ=how much、日本人はどのように=howにこだわる」というテーマについてここまで考えてきた。

考えれば考えるほど興味深いテーマだ。

これからもこのテーマについて考え続け、手作り感覚のできるだけ丁寧なやり方でまじめにがんばってこのテーマにこだわっていきたいと思う。

そもそもなぜ、そんなにこだわるのかって?そんなことは知らない。なぜなんてことは、ヨーロッパ人に聞いていただきたい。



(『カエル先生・高橋宏和ブログ』http://www.hirokatz.jp  2016年5月10,13日より加筆・転載。)

フランス人D君の教えてくれた日本人、ヨーロッパ人、アメリカ人の違い-HowとWhyとHow much仮説(前編)

高橋宏和(H4卒)
date:2019/5/15

なにか仕事をやるときによく思い出すのが昔聞いた、フランス出身のD君の言葉だ。D君はフランス生まれで、日本と日本語に精通している大変に優秀な人物である。

 

D君いわく、

「なにかをやるとき、ヨーロッパ人がこだわるのはwhyだが、日本人はhowにこだわる。そしてアメリカ人が最もこだわるのはhow muchだ」。

アメリカ人のこだわるhow muchが、単に「どれくらい」という量的な意味なのか、それとも「いくら」という金銭的な意味なのかは確認し損ねたが、D君の指摘には非常に考えさせられた。

 

仕事にとりかかるとき、日本人はHow=「どのようにやればよいか」ということは割合うるさく確認するが、「なぜその仕事をやるか、やらなければならないか」というところは結構あっさりしている。

日本人にとって「ひとはどのように生きるべきか」という問いかけはとても琴線に触れるが、「ひとはなぜ生きるか」と問われてもピンとこない。茶道や華道など、いわゆる「道」はいってみればhow、どのようにの結晶だし、出版不況のなかでもhow toものはよく売れるそうだ。

 

それに対しヨーロッパでは「ひとはなぜ生きるのか」「なぜその仕事をしなければいけないか」流のwhyの問いかけが古来より盛んである。たとえば大正末に来日し弓道を学んだドイツ人オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」(岩波新書)という本も、why、why、whyのオンパレードだ。

そしていうまでもなく、アメリカではどれだけ稼いでいるか、winnerかloserかがなににもまして最も大事とされているように見える。

 

仮にそれぞれの文化のこだわりポイントがその通りだとして、これらはどれも一長一短で、なにが偉いというわけではない。

日本人はhow、どのようにやるかについてのこだわりが強すぎて、袋小路に入り込んでブレークスルーできないし、whyについてはあっさりしているので白洲次郎に「プリンシパルがない」と怒られる始末だ。

ヨーロッパ人はwhy、なぜの答えが出るまで動けないので、アクティブで気の短い連中は新大陸に飛び出していった。

そんな気の短い連中の作ったアメリカでは、how much、いくらもうかるのか、何万ドル稼げるかの追求に走りすぎた結果、1%と99%の対立を生んでしまった。ドナルド・トランプ大統領も、自分の支持率がどのくらいかのhow muchにはご執心だが、大統領としてどうふるまうかhowやなぜ自分が大統領であるべきかのwhyには無頓着だ。

 

HowとWhyとHow muchそれぞれへのこだわりに優劣はないとぼくは思うが、自分が所属している文化がどのような思考と志向と嗜好を持っているかを自覚するのは大事なことである。

この仮説の実証は難しいが、仮にこの仮説が正しいとするといろいろ納得のできることがある。

ヨーロッパがwhy=「なぜ」、アメリカがhow much=「なんぼ」、日本がhow=「どのように」にこだわるというのは、それぞれオリジン重視、アウトプット重視、プロセス重視と言い換えられる。

 

外から見ると、たしかにアメリカという国はアウトプットや結果がすべて、経過はともかく成果を上げなければ意味がない、という風潮があるように思える。

身近な例でいえば、「Hack」という考え方。

山形浩生によれば、Hackとはもともと斧やナタ、まさかりなんかでばさばさ切る、というイメージの言葉だそうだ。「雑な仕事」という意味もあるし、おおざっぱにぱっとやったものでもきっちり役に立つ仕事、という意味もあるという。

手間ひまかけた綿密な仕事ではなく、アイディア勝負でラフにぱぱっとやってもしっかり結果がでればOK、というノリが「Hack」という言葉にはある。

こうした結果オーライの「hack」は、実はアメリカの開拓者精神につながるものだという。

 

なにもない新世界で、開拓者が手持ちの道具でささっと必要なものをラフにつくって役立てる、という感覚で、「たぶん、ヨーロッパでは支持されにく考え方じゃないかな」と山形はいう。(『Hackについて―およびそこにあらわれた、哀れなAsshole野郎山形浩生の各種無知と愚かな物言い』より。原文は http://cruel.org/freeware/hack.html )

 

それに対し日本は「どのように」にこだわる国で、成果はともかくプロセスを重視する。

例を挙げればきりがなく、「手作りの味」(プロセスは手作りだが、うまいかまずいかは不明)、「心をこめたおもてなし」(心はこもっているが結果は不問)、「まじめにやれ!」(まじめにやれば成果は問わない)などなど、プロセス重視の物言いはぼくらの身の回りにあふれている。

どっちがいいかはケースバイケースで好きずきだが、思考のクセは無自覚のままだと弱点にもなる。行き過ぎた成果主義は不正も生むし、プロセスに拘泥すれば結果がおろそかになる。

 

「どのように」が「なんぼ」に負けた例として、日本の喫茶店がある。昔読んだ話だ。

 

その昔、ある外資系大手カフェチェーンが日本で事業展開を計画した。

事前調査で、日本にはすでに独自の喫茶店文化があり、全国津々浦々の喫茶店はどこもしっかりと顧客をつかんでいることがわかった。今更そんな国でコーヒーショップをチェーン展開しても成功はないんじゃないか、そう悲観的になったが、さらに調べると十分に勝算がありそうである。


実際に店を訪れると、日本の喫茶店のマスターはどこでもコーヒーにこだわりを持ち、豆のひき方、お湯の注ぎ方、など「どのように」コーヒーを入れるかは徹底的に研究していたが、どうも思ったほど美味くない。なぜならコーヒーの味は9割がた豆の鮮度で決まるのにも関わらず、何か月も船の倉庫の中で室温のまま置かれて輸入された豆をなんの疑問もなく仕入れ、残りの1割の「どのように」入れるかというところだけに血道をあげていたからだという。

かくして「なんぼ」の国のカフェチェーンは「どのように」への国の進出を決め、鮮度のよいコーヒー豆を厳密な品質管理で輸入し供給することで、市場を席巻していった。

個人の喫茶店主には限界があり、輸入時のコーヒー豆の保管状況が可変なものとは夢にも思わなかったという同情すべき点はあるが、「入れ方はどうあれ、コーヒーはうまくてなんぼ」という視点は乏しかったのかもしれない。

 

駆逐された喫茶店文化の轍を踏まないようにするには、こうした思考のクセを自覚し、「どのように」の泥沼から脱却することが肝要だ。そのためには時折、「なぜ」や「なんぼ」の視点を意識的に取り入れていくのがよいだろう。

 

会議などで「どのように」プロジェクトを進めるかで何時間も議論が錯綜し、みなの意識がもうろうとした時には、「そもそも『なぜ』このプロジェクトが始まったんでしたっけ」とか、「結局このプロジェクトは『なんぼ』の成果を上げればいいのだろう」などと疑問を投げかけることで、煮詰まった局面が打開されるかもしれない。

 

ここまで書いてきて、我ながら非常に強引で生煮えな話だなと思う。

しかしそれよりなにより最も深刻な問題は、オチが準備できていないことである。

こんなとき、どのようにオチにたどり着くか考えてしまうぼくはとても日本人的で、

もしこれがアメリカ人なら、そのオチでいったい何万ドル稼げるかが大事になるだろう。

そしてまた、もしぼくがヨーロッパ人であれば、そもそもなぜオチなんてものがこの世に必要なのかを徹底的に考え抜くことになるのかもしれない。



HowとWhyとHow much仮説、ぜひ皆様のご意見をお聞かせいただきたい。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ』http://www.hirokatz.jp  2016年5月8,9日より加筆・転載。後半へ続く)

楽観主義と悲観主義

高橋宏和(H4卒)
date:2019/4/15

楽観主義者は悲観的であり、悲観主義者は楽観的である。前々から論じたいと思っていたテーマであり、十全に書き尽くせるかはわからないがやってみたい。

 

まず、自分の立ち位置を明確にしておく。僕自身は自分を楽観主義者として位置付ける。そのうえで、上記の楽観主義者は悲観的であり、悲観主義者は楽観的であるという命題を論じてみる。



楽観主義者と悲観主義者とは何か。

バーナード・ショーの定義によれば、『楽観主義者は半分だけ水が入ったコップを見て、「半分も入っている」と言う。悲観主義者は同じコップを見て、「半分しか入っていない」と述べる』。

楽観主義者の端くれとして言わせてもらえば、楽観主義の前提には諦めがある。

確かに楽観主義者は半分だけ水が入ったコップを見て「半分も入っている。ラッキー」と言う。しかしそれは楽観主義者が能天気だからではない。楽観主義者は、世の中が自分に対してなみなみと水がつがれたコップなど用意してくれるわけがない、とハナから諦めているのだ。

楽観主義者というものは、大前提として、何もしないで自分にコップいっぱいの水が与えられるなど期待していない。自分に与えられるのは空っぽのコップだと思っているからこそ、半分だけ水の入ったコップを見て「半分も入っている。ラッキー」と思うのだ。

 

それに対し悲観主義者はどうか。

悲観主義者は、世の中というものは自分にコップいっぱいの水を与えてくれて当たり前だと思っている。自分には無条件であふれんばかりの水が与えられると決め込んで待っている。

悲観主義者が持つ前提というのは、楽観主義者から見ればずいぶんと虫のいいものに見える。自分には無条件でコップいっぱいの水が与えられて当然と期待しているからこそ、「半分しか入っていない」と憤るのだ。

 

明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけでまるもうけ」だと言う。

悲観主義者はそれを聞いていい気なもんだと笑い、気楽でいいやとあきれるだろう。しかし楽観主義者はそれを聞いて戦慄する。「生きてるだけでまるもうけ」ということは、「生きていられない」という状況が常に視野の中にあるということだ。

「生きていられない」こともありうると想定しているとは、この人はどれだけ地獄を見てきたのだ、もしかしてこの人は、むかし黒い悪魔だったのではないか、と。


悲観主義者は言う、「もうダメだ!」と。

楽観主義者は答える、「まあなんとかなるんじゃない?」と。


悲観主義者がそう簡単に絶望するのを見て、楽観主義者は驚く。絶望だって?絶望なんかしたら、一巻の終わりなのに。

野良犬は絶望しない。絶望した途端、すべては終わってしまう。

 

楽観主義者はピンチで笑う。泣くのがヤだから笑っちゃおう。笑ってなければ、前には進めないのだ。

<絶望するのは甘いからだ。絶望は、良家の子女の特権である>。

井上ひさしの『吉里吉里人』の中で、スピノザの言葉として引用されるセリフだ(中公クラシック版『エチカ』では、ドンピシャの箇所は見つけられなかった。詳しい方、教えてください)。

 

そんなわけで、常々ぼくは「楽観主義者は悲観的で、悲観主義者は楽観的だ」と思っているのだが、うまく書ききれたかどうかはやや不安である。

 

いつぞやそんな話をしたら、友人Aは言った。

「楽観と悲観は、相反するものではないかもしれないね」と。


玖保キリコのマンガに出てくる白熊の「オプチ」と黒熊の「ペシミ」のように、楽観と悲観はいつも二人三脚でやってくる。悲観主義の黒熊「ペシミ」が「もうダメだ」と言えば、楽観主義のシロクマ「オプチ」が「だいじょうぶさ」となぐさめる。

楽観主義者がそばで守ってくれるからこそ悲観主義者は悲観に酔いしれることができるし、悲観主義者がいるからこそ楽観主義者はより強くその楽観主義を表に押し出すことになる。



悲観と楽観が背中あわせのものであるにせよ、じゃあどちらの立場を取るのかと問われたらぼくは楽観主義を取ることにしよう。


古代ローマ人は言う。「Dum spiro spero.息しているなら希望を持とう」。

アラブ人は言う。「死んでいないやつには、まだチャンスがある」。

二太の姉、かのこは言う。「泣いたら世間がやさしゅうしてくれるかあっ。泣いてるヒマがあったら、笑ええっ!!」。

泣くのが嫌だから笑っている楽観主義者というのもいるのだ。


楽観主義者とは誰か。

戦いに敗れすべてが灰に帰しても、それでもなお「なんとかなるさ」と立ち上がった者だ。

楽観主義者とは誰か。

災害ですべてが瓦礫となっても、それでもなお「なんとかしよう」と自ら重機を動かし瓦礫を片づけ始める者のことだ。

楽観主義者とは誰か。

預言者と間違えられてゴルゴダの丘に張り付けになっても、それでもなお「Always Look on the Bright Side of Life.いつでも人生の明るい面だけ見よう」と口笛を吹ける者のことである。

 

まわりの人は言うだろう。「こんなにひどい状況なのに笑っているなんて、彼はなんて楽観的なんだろう。どうせダメだよ」と。



楽観主義者は知っている。

泣いても何も解決しないことを。

楽観主義者は知っている。

絶望したままの自分を生かしておいてくれるほど世界は優しくないということを。

楽観主義者は知っている。

苦しい時こそ無理して笑い、自らの足で一歩踏み出してこそ、はるかに遠い未来に一歩だけ近づくことができるのだということを。



未来は誰のものか。

何もしない完璧主義者、冷笑と批判をたくみにあやつる悲観主義者のものではない。

未来は誰のものか。

自ら立ち上がり、苦境と逆境の中、へたくそなジョークを飛ばして二ヤッと笑い、カラ元気と虚勢に裏打ちされたやけっぱちの精神で、「なんとかなるさ」と強がりつつ自ら動く楽観主義者のものだ。



楽観主義者たちよ立ち上がれ。

今こそともに宣言しよう、声高く。

「まあでも、なんとかなるんじゃない?」と。



なんてね。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ』http://www.hirokatz.jp2015年10月20日より加筆・転載)