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「自助・共助・公助、そして絆」に思う(その1)

高橋宏和(H4卒)
date:2020/9/16

菅義偉氏が首相となった。

総裁選の際に菅氏がこんなことを言った。「自助・共助・公助、そして絆」。「自助」と「共助」と「公助」と「絆」の中で政府の仕事って1つだけだよなーとか憎まれ口を叩いたりしながらも、「自助・共助・公助」についてつらつらと書いてみたい。

まずはじめに自助について。誰かを貶すつもりは全くない。また、公的機関によるサポート、公助の必要性はどれだけ強調してもし過ぎることはない。その上で、「おれがやる」と言って立ち上がった人々の話をしたい。

聞いた話。

東日本大震災では本当に多くの方々が亡くなった。

たくさんの家が瓦礫と化し、瓦礫の山を前に、再建の日ははるかに遠く感じられた。

だがある町では、どこよりも早く新しい家が建ちはじめた。保険会社の審査も途中で公的支援も始まらないうちに、自力で家を再建したのは誰か。漁師たちだ。

板子一枚下は地獄。漁師の世界はそう言われる。船底の板一枚割れてしまえば、そこには荒海という地獄しかない。

そんな世界で何千年も生きてきた漁師たちにとって、究極的には信用できるのは自分だけだ。

誰かが助けてくれるまで待ってなんかいられない。「おれがやる」。そう思って、率先して漁師たちは家を建て直したのだろう。

 

震災後、「おれがやる」と立ち上がった人々はもちろん漁師だけではない。

ある人は、地平線まで広がる瓦礫の山を前に、「おれがやる」と立ち上がった。

瓦礫の山を片付けるにはクレーン車が要る。教習所に通って、クレーン車の運転免許を取った。瓦礫を運び出すには大型トラックが必要だ。大型トラックの運転免許も取得した。瓦礫をトラックに載せるにはショベルカーがなければならない。ショベルカーの免許も取った。ブルドーザーも、ロードローラーも、という具合に、気づけば何十もの重機を使って、故郷の再建に奔走するようになったという。

ここにもまた、「おれがやる」と言って立ち上がった人がいた。

 

「おれがやる」。

大震災のニュースを見て、ある医師はただちに立ち上がった。病院所有の車にありったけの薬を載せ、同僚の医師たちを募って、名古屋から東北へと向かった。現地の市役所で「医療支援は間に合っている」と門前払いされかけたという。大混乱で被災の規模やどこにどんな医療支援が必要かという情報が皆無というタイミングで現地に着いたのだ。今までの経験から、医療支援が間に合っているはずがないと直感した彼は、直接避難所に向かい医療支援に取りかかったという。

よくそんな素早く決断して動けたね。自分の職場の病院だって、何人もの医師がボランティアに行っちゃったら、正直日常診療も回らなくならない?後年、彼に聞いてみた。

「うちは親父も外科医でさ、神戸の震災の時にも親父が率先して駆けつけてた。そういうの、ずっと見て育ってるからな。

それに、ほかの地域の災害支援の経験というのは、万が一、自分たちの地域が被災した時に必ず役立つだろ。どう動けばいいか、身にしみてるわけだからさ。そう病院職員は説得してるよ。

まあさ、おれも医者だしさ、おれがやる、ってなっちゃうんだよね」

彼はこともなげにそう言った。

 

「おれがやる」、そう言い出せない人を責めたいという話ではない。

公助の必要性も、絶対だ。

それはそれとして、いざというときに、「おれがやる」と立ち上がれるかどうか、ぼくはいつも自問自答している。

(続く)



(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2019年6月14日https://www.hirokatz.jp/entry/2019/06/14/080737 を加筆再掲)

『人生の幸福度は47~48歳が最低』とのこと~47歳に思う(その2)

高橋宏和(H4卒)
date:2020/8/15

 

人生には3つの坂がある。

上り坂。下り坂。まさか。

47歳になったことをとある後輩に言ったら、「じゃあ『下り坂47』ですね」と言われた。まさか自分が47歳になった途端に『下り坂47』に選抜されるとは思ってもみなかった。

デビュー曲は『新型インフルエンザー』(宮下あきら作詞作曲)、カップリングは『frying nugget』(愛称「フナゲ」。KFCとのタイアップ曲です)。センター目指して頑張ります!


さてと。

中学高校からはるかに月日が経ち、47歳で思うものといえばこんなこと。すなわち、我々が後世に遺せるものは何か。

内村鑑三はかつて、このテーマに対してまず第一に「金」を挙げた(『後世への最大遺物』)。

巨万の富を後世に遺せば、世界一の孤児院を建てることができる、たくさんの人に教育の機会を与えることができる。


内村は言った。

〈(略)われわれの今日の実際問題は社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうとも、それを煎じつめてみれば、やはり金銭問題です。ここにいたって誰が金が不要だなぞというものがありますか。ドウゾ、キリスト信者のなかに金持が起こってもらいたいです、実業家が起こってもらいたいです。〉(『後世への最大遺物』岩波文庫p.21)

 

しかし。

しかしですよ諸君。

内村は続ける。

金を作る溜める遺すというのはやはり一種の才能、geniusであって、誰にでもできるわけではない。残念ながら私(内村)にはその才は無い。

ではどうするか。

後世に金を遺すことができなければ、金よりも良いものを遺そう。

それは、金を使うこと、すなわち「事業」。「事業」を遺すのがもっと良いのではないか。そう内村は話したのだ。

 

例えば土木事業。

ある人が運河を遺せば、後世の人は永きに渡って移動しものを運ぶことが出来る。

橋を遺せば人が渡れる。トンネルを遺せばたくさんの人が行き来できる。

土木事業に限らず、金を遺せないならば、事業を遺せばよい。

後世に事業を遺す。〈(略)「わが愛する友よ、われわれが死ぬときは、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」(略)〉(天文学者ハーシェルの言葉。前掲書p.18)

この話、まだまだ続きます。下り坂ってのは意外に長いのです。



内村鑑三の話に戻ります。

内村鑑三は、明治27年に箱根のキリスト教徒第六夏期学校において若きキリスト者たちに講話を行なった。題して、『後世への最大遺物』。

われわれはみな、いつの日かこの世を去る。そのときに、この地上に何を遺して逝けるだろうか。それがこの講話のテーマです。

後世へ遺していけるもの、まず第一に「金」。

いきなり「金」といわれた若者たちはさぞギョッとしたと思うが内村の真意はこうです。正しく稼いだ金を遺せば、たくさんの人が救える。何しろこの地上の問題の根っこの多くは、つきつめれば金銭問題なのだから。

しかし誰もが「金」を遺せるわけではない。

正しく「金」を遺すにはやはり、才覚がいるのだ。

「金」を遺すことができる人が限られる以上、もっとよいのは「事業」を遺すことだ、と内村は続けます。

 

事業を遺せば、やはりこれは後世の人の役に立つ。

しかしまた、誰もが事業を遺せるわけでもない。事業を遺すにも、やはり天が与えたもうた才が要る。

私(内村)自身も、「事業」を遺せないかもしれない。

だが、それでもまだ、人には遺せるものがある。「思想」である。

〈もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。〉(前掲書p.35-36)

著述と教育により、自らの「思想」を後世に遺し、〈少しなりともこの世の中を善くして往きたい(略)〉(前掲書 p.18)という思いを果たすことができる、と内村は語った。

思想を後世に遺す一形態が文学であり、〈文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。〉(前掲書p.41)とまで言い切ります。ここでいう「戦争」は敵をせん滅するとかではなく、よいことばかりではない世を渡っていくための、そしてこの地上を良きものにするための「戦い」というふうにとるべきでしょう。


後世に遺せるものは何か。金か事業か思想なのか。

しかしやはり誰もが金を遺せるわけでもなく事業を遺せるわけでもなく思想を遺せるわけでもない。何を遺すことも出来ない者は価値がないのだろうか、と思うかもしれない。しかし全くもってそれは間違いである。

金より事業より思想よりはるかに大事で、それでいて誰しもが遺すことが出来るものがまだ存在するのであります、と内村は説く。それこそがまさに『後世の最大遺物』。

その最大遺物とは諸君、と内村は続けるのであります。



金を遺すも良し事業を遺すも良し、思想や文学を後世に遺すのもなお良し。

しかし諸君、誰にでも遺すことが出来てさらに後世に害なく益ばかりある最大遺物がある。それはなにかといえば、〈勇ましい高尚なる生涯〉である、と内村は説いた。

 

生きていればさまざまなハードルがある。

生まれついた境遇や巡り合わせ、置かれた環境に降ってくる災難。家族や隣人たちに時に足を引っ張っられ、信頼していた人に裏切られ、仕事では次から次へと厄介ごとが押し寄せる。

まことにもって、生きていればありとあらゆる災厄がこの身に降り注いでくる。

だがしかし、にもかかわらず、われわれは〈勇ましい高尚なる生涯〉を送ることができ、その姿を後世に遺すことが出来るのだ。

二宮尊徳を見たまえ、彼は窮乏の中から自らの意志で学び人を助けたではないか。その生涯を見て、後世のわれわれは勇気づけられるのだ、と内村は言った。

 

我々が〈勇ましい高尚なる生涯〉を後世に遺せばどうなるか。それを見た後世の人々に伝わるものは何か。

〈勇ましい高尚なる生涯〉を遺すということはなんなのか。

〈すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。〉(前掲書p.54)

そしてそのためには、境遇や環境やハンデが大きいのは嘆くことではない。大変な境遇であればあるほど、「dennoch,にもかかわらず」、〈勇ましい高尚なる生涯〉を送ることは偉業になるのだから。

そんなことを、内村鑑三は言った。

 

47歳、人生の幸福度が最も低いといわれる40代後半のミドルエイジクライシスまっただ中のぼくにとって、今の指針はこの『後世への最大遺物』である。

勇ましく高尚なる生涯なるものを送れるかどうかはわからないが、いろいろあるけど「dennoch,にもかかわらず」、小さな音で口笛でも吹きながら、せいぜい喜びにあふれた楽しく誇り高い生涯くらいは後世に遺していきたいものである。



(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2020年7月6日、7月8日を加筆修正)

『人生の幸福度は47~48歳が最低』とのこと。-47歳に思う(その1)

高橋宏和(H4卒)
date:2020/7/16

2020年1月21日配信のFNNプライムオンラインの記事によれば、人生で最も幸福度が低いのは47歳くらいなんだといいます。

https://www.fnn.jp/articles/-/22769?fbclid=IwAR0zC1kaN3qEf7bFJlJiJosHp-xDWN01CRocL5Sc9RjHLaAhdo6jfXKAjrg

アメリカ・ダートマス大学の教授の研究だとか。

 (fujiwaraさんによる写真ACからの写真)

私ごとですが、平成4年に高校を卒業しまして先日47歳になった身としてはまさに他人事ではありません。

感覚的には高校卒業してから10年くらいしか経ってない気がするんですが、47歳にもなると思うところもいろいろありまして、人生の中締め的に総括も兼ね思うところを。10代の日々が二度ないように、40代後半の日々も二度とないわけですから、しっかりと味わわないとね。というわけで、ギミック無しオチ無し、egotism(オレがオレがという語り口)多めです。

 

まあなんと言いますか、40代後半はいろいろとキますね。伊丹十三がかつてこんなことを書いてました。

〈夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです。〉(『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫p.274)

職業人としても家庭人としても、〈真中まで漕ぎ出してしまって〉行くにも帰るにもまだまだ漕いでいかなければならないような、ニッチもサッチもいかないようなそんな感じが40代後半なのかもしれません。

そんなことを書きながらも、淡々と日々を送る生活スキルはさすがに身についていますのでご心配なく、ではありますが。


なんというか、元気は元気なんですよ。

ミドルエイジクライシスなんて言葉がありますが、いざ自分がその年代まっただなかになると思うのが、「はてさて、これからどうやって人生を送っていったものだろうか」ということです。

そんなときに助けになるのはやはり先人の言葉です。

内村鑑三が明治27年に若きキリスト者たちにこんな問いかけをしています。


いつの日か我々は、魂の学校たるこの世界を去らなければならない。その時に、我々は、この地上に何も遺していかなくてよいのだろうか、遺していくとしたら、何を遺していけるのだろうか、と(『後世への最大遺物』岩波文庫)。

 

自分語りは控え目にするほうなんですが、40代後半の思いをつらつら書いております。

年若き友人の方々は「ふーん40代後半ってのはそんな心境かいな」、同世代の方々は「あるある」「オレは違うぜ」、諸先輩方におかれましては「まだまだ甘いな、人生の底はもっと深いぜ」などと思っていただければ幸いです。まだ深いのか、底。

 

さて40代、特に後半になって去来するのは、「これからの人生、どうするかなー」という思いです。

人生100年時代、まだまだ先は長い。

かといって、これからアイドルになれるわけでもなく、現実的には選択肢に範囲はある。

まったく新しいことにチャレンジしてもいいが、それこそ現実的には新しい選択肢に賭け金全てベットするわけにもいかない。

まだまだ悩む必要性も、悩むことの出来る可能性もあるのが40代でございます。

 

ぼく自身は(egotism開放)、40代手前までいわゆる「人生読本」を封印してきまして、というのは影響受けすぎるのがイヤだったからです。

40代が見えて初めて、ああした「人生こうすべし」的な本に手を出しました。車輪の再発明がごとく、手本見本になるものはなんでも頼れという心持ちになったからです。

「これからの人生どう送ろう」という課題に対し、今いちばん影響を受けているのは内村鑑三『後世への最大遺物』です。

 

明治27年、箱根にて、内村鑑三は若きキリスト者たちにこう問いかけました。

魂の学校たるこの地上に生まれ出て、我々は何を後世に遺してあの世に行けるだろうか、と。

 

内村鑑三が言った、後世に遺していけるものでまずいちばん良いのは、実は「お金」。

内村鑑三は言っています。

諸君、フィラデルフィアに行ってごらん。そこには立派な孤児院がある。そこには七百人もの孤児がいる。下手したら千人以上おるかもしらん。

これは、フランスのジラードという商人が、〈「妻はなし、子供はなし、私には何にも目的はない。けれども、どうか世界第一の孤児院を建ってやりたい」〉(前掲書 岩波文庫p.22。「建ってやりたい」は原文のママ)と願って、ひたすら働いて一生涯貯めたお金で建てたものだ。

このように、正しいやり方で稼いだ貯めたお金を後世に遺していくのが一番いい、と内村鑑三は明治27年の日本で言っているのです。

もちろんこれは「ツカミ」「前フリ」でまだまだ話は続くのですが、それはともかく、後世に遺す良きものの第一が「お金」って若きキリスト者に平気で言っちゃうとかってあげぽよでカンゾーまじうけるんですけど(すみませんでした。続きます)。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2020年7月3日を加筆再掲。

 

新型コロナが社会にもたらす3つのパラダイムシフト。

高橋宏和(H4卒)
date:2020/6/16

fujiwaraさんによる写真ACからの写真



自分に使うことを禁じている言葉がいくつかあって、「パラダイムシフト」もその一つだ。

禁じている最大の理由はトーマス・クーンの著作をまだ読んでいないことだが、そもそも「ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み」である「パラダイム」がそんなにしょっちゅう変わってよいわけはない。だから、そう簡単に「パラダイムシフト」なんて言葉は使わないほうがよい、と思っている。

しかしながら今回は、思わず「パラダイムシフト」という言葉を口走ってしまった。

先日、国会議員や地方議員の方々らと新型コロナによる社会の変容をオンラインでディスカッションしたときのことだ。

参加者より「医療者として、新型コロナから国民に何を学んでほしいか」という質問が出た。

思わず口走ってしまったのが「パラダイムシフト」である。

個人的な考えではあるが、新型コロナの経験から我々が学べることは、まとめるとこんなことになる。

すなわち、

・世界がVUCAであること。

・世界が「アッチェレランド」に突入していること。

・ゼロリスクはありえないこと。

である。

 

VUCAはもともと軍事用語で、ぼく自身は山口周氏の著作で知った。

Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったのがVUCAである。

刻一刻と状況が変動し、よくわからず治療法もまだまだ曖昧で、都市封鎖や国内外との人の移動の制限など人間の対策によって状況がどんどん変わる複雑性を持つこの新型コロナ騒動は、まさに世界がVUCAであることを可視化した。

 

「アッチェレランド」はもともと音楽用語で、「次第に速く」という意味だ。英国エコノミスト誌編集部による『2050年の技術』(「はじめに」 文藝春秋 2017年)で知った。

新型コロナはまだまだ未知のウイルスだが、世界中で超急速に研究が進んでおり、一説には世界中で毎週3000本もの論文が出ているともいう(ただし専門家からみると玉石混交らしい)。

治療薬やワクチンの開発もかつてないほどの規模とスピード感で同時並行で行われており、まさにこの状況は「アッチェレランド」にほかならない。

何か一つ発見があればそれは次のいくつもの発見につながり、どこかの国が何か施策を打てばいくつもの国々がマネしたりマネしなかったりする。

打たれた施策が社会にドミノ倒しのように影響を与え、結果が次の事象の原因となり、変化は加速していく。

 

そしてまた、感染リスクを恐れて社会活動をストップさせれば経済リスクが爆増し、経済リスクを恐れて社会活動を再開させれば感染リスクが激増する。

何かを得るには何かを捨てなければならず、もともと生きることにリスクはつきものなのだが、それを新型コロナが痛いほど思い知らせてくるわけである。

2020年6月15日現在、新型コロナは収束のめどが立っていない。特効薬やワクチンが完成するには、正直最低でも1年~数年はかかる。最低でも、だ。

いやおうもなく、我々は新型コロナから逃れられない。そして上記のごとく新型コロナにより、様々な変化が社会に起こっていくだろう。

こうした変化がもし社会に起こり、国民全体がこの認識のもとにこれから生きていくとしたら、やはりこれは「パラダイムシフト」と言わざるを得ないのではないだろうか。

 

(カエル先生・高橋宏和ブログ2020年6月5日https://www.hirokatz.jp/entry/2020/06/05/080544 に一部加筆)

「命がけの医療のお仕事ありがとう」に対する町医者の2つの告白。

高橋宏和(H4卒)
date:2020/5/15

rumoさんによる写真ACからの写真



コロナ禍の中で医者稼業をしていると、時折「命懸けのお仕事ありがとう!」と声をかけていただくことがある。

その時はありがたくお言葉をいただくが、二つばかり告白しなければならないことがある。小さな告白と大きな告白だ。

小さな告白のほうは、ぼく自身が身を置いているのは町のクリニックであり、コロナとの戦いとの最前線ではないということ。よく言っても後方支援のそのまた後方支援といったところで、コロナとの戦いの最前線である中核病院の医療者ははるかに高いリスクを負っている。

もちろん日常診療でヒヤッとすることや後から考えるとゾッとする場面もあるが、励ましと感謝の声はすべて中核病院の医療者に向けられるべきかと思う。

 

大きな告白については、「命懸け」の医療活動の部分だ。

産褥熱を解明し消毒法を始めたウィーンの医師センメルヴェイス以来、医学は出来るだけ「命懸け」せずに人を救う方法を模索し確立してきた。

手術や診療は、やるほうもやられるほうも出来るだけ「命懸け」にならないほうがよい。

「命懸け」で治療を受けて命を落としてはいけないから、基本的に「イチかバチか」の治療は避けたほうがよい。

また医療者側が命を落としてはほかの患者を救えない。

 

医療を「命懸け」にしなくて済むような方法の一つがマスクや防護服による感染防止であり、さらにそうした医療器具を使い捨てにするなどの工夫である。

ただ、普段は容易に供給される使い捨てマスクやガウンが医療現場に回ってこなくなるとは想定外であったし、物品が回ってこないことと医療リソース提供能力を超えて次から次へと入院を必要とされる患者が現れるというのがコロナ禍の恐ろしさだ。

通常なら、クロイツフェルト・ヤコブ病など「根本治療のない感染症」を「命懸け」でなく診療する方法論は相当に確立されており、淡々と実行されているものなのだ。

だから、「命懸け」の医療活動は非常事態の表れであるし、あくまで一時的にやむを得ずに行われていることなのである。

 

また、「命懸け」の部分は強いて言えば診療のプロセスでありアウトカムではない。

プロセスの部分ばかりに注目されると、いつしか手段と目的が逆転して「命懸け」になることそのものを自己目的化して要求されるようになるかもしれない。

このプロセスと目的の逆転はしばしば起こりがちなので注意を要する。特攻隊も被災地への千羽鶴も「ステイホーム強要団」も、プロセスと目的の逆転の構造は共通している。

 

「額に汗して働くことは尊い。だが、工夫して額に汗しないで、涼しい姿でそれ以上の成果を上げることもまた尊い」と松下幸之助が書いている(『道を開く』収載「働きかたのくふう」)。

命懸けで一人の命を守ることは尊い。だがさまざまに工夫して、命懸けにならず涼しい顔で、より多くの命を守ることはさらに尊いのだ。

(カエル先生・高橋宏和ブログ 2020年5月9日https://www.hirokatz.jp/entry/2020/05/09/074923 より転載)

 

新型コロナと「大過なく」

高橋宏和(H4卒)
date:2020/4/15

月舟さんによる写真ACからの写真



〈「おかげさまで数十年間、大過なく仕事をしてこられまして、本日、無事に退職となりました」

とある官僚の退職パーティでの挨拶を聞いて、リスクを回避し、減点を避ける我が国の役人の傾向を痛感した。リスクをとりにいく人物なら、「大過なく」などと言わないはずだからだ。〉

どこぞの評論家のそんな論説を読んだのは数十年前。

そんなもんかと思って暮らしてきたが、この新型コロナ禍の中で、唐突に自分の思い違いに気づいた。「大過なく」の言葉の重みと凄みにやっとのことで思い至ったのだ。

 

ぼくが生業としている医療の世界では、「予防は治療に勝る」という言葉がある。長野で農村医学を打ち立てた、若月俊一先生の言葉かと思う。

若月先生らは、健康づくりのため自ら脚本を書いた演劇を地域で上演して意識啓発したり、お茶受けを漬物から果物に変えることで塩分摂取を減らし血圧を下げ、ひいては脳出血になる人を減らすという地道な活動を行い、長野の健康づくりに貢献した。

まさに、「予防は治療に勝る」を実践したのだ。

 

脳出血の患者さんを華々しく治療する脳外科医は世間から賞賛される。だが、脳出血に至る前に危険のタネを一つ一つ丁寧に潰して、「大過なく」地域の患者さんの人生を全うさせる医者には誰も気づかない。そして、それでよい。

被害が大きくなってから迅速に対応するクライシスコントロールは世間から喝采を浴びるが、クライシスに至る前にリスクに気づき、それを対処するリスクコントロールは、専門家以外には気づかれない。それでよいのだ。

 

1914年、ボスニアの一青年がピストルを取り出す前に取り押さえられていたら、もしかしたら第一次世界大戦は起こらなかったかもしれない。あるいはそれより前に、彼がピストルを入手できないような手を打てていてもしかりである。

小さな小さな危険の目に気づいて手を打つことで戦争やパニックを防げたことは歴史上無数にあって、現代でもそれは現在進行形で起こっているはすだ。

 

そう考えると冒頭の官僚氏の挨拶の見え方が変わってくる。

「大過なく過ごせた」というのはけして受け身な話ではなく、「大過に至る前にリスクを察知してうまいことコントロールすることが出来たぞ」という密やかな自負と誇りに満ちた言葉として聞くべきだったのだ。

 

2020年4月7日、安倍総理大臣から緊急事態宣言が発出された(「発令」ではなく「発出」としていることに、日本は民主主義国家であるという担当者の思いが滲む。誰か独裁者が国民に命令を発する、という国ではないということだ)。

多くの人々が外出を控え、経済も大打撃を受けている。しかし幸いなことに、4月15日現在、ほかの先進国と比べて死者数ははるかに低く抑えられている。

今この瞬間も、新型コロナウイルス感染で社会が大きく崩れることのないよう、この騒動を「大過なく」収束できるよう奔走尽力している方々がいる。

そうした方々に敬意を表しつつ、ぼくはぼくで職務を全うしたいと思う。



(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2020年2月17日https://www.hirokatz.jp/entry/2020/02/17/080044 を加筆修正)

みんなのためにこんなに頑張っているのに誰もわかってくれない、と思い始めたら。

高橋宏和(H4卒)
date:2020/3/16

はるぞうさんによる写真ACからの写真



「まあでも結局、自分が好きで始めたことだからな」

ココロのバランスを取る、魔法の言葉である。



生きているといろんなことがある。

良かれと思って始めたことも、思わぬ批判に苦しむこともある。

みんなのためにこんなに頑張ってるのに、誰もわかってくれない、なんて思い始めたら実は危険なサインだ。

心の変調をきたして自己嫌悪の蟻地獄にはまり込むか、全ての人を敵視して恨みつらみに身を焼くか、はたまたカルト教団の入り口か。アルテイシア氏の表現を借りれば、メンがヘラる。

そんな地獄の入り口に立ってしまったら、前述のマジックワードを唱えることをお勧めする。

まあでも結局、自分の好きで始めたことだからな。

 

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、当面の間、触診や聴診、採血などの接触を伴う処置は最小限にさせていただきます、そんな告知を自分のクリニックのSNSに書いた。コロナウイルスは接触でうつるからだ。

さっそくいただいた批判が、「自分の身が大事?関わりたくないですね!笑」というものだ。なんだ「笑」って。

医療者が感染すると一気に患者さんにうつしてしまう。僕自身が無症状で感染している可能性だって皆無とは言えない。

そんななか、接触を避けるというのは理にかなっていると思うが、批判の矢は思わぬところから飛んでくる。

 

「To avoid criticism, say nothing, do nothing, be nothing./批判されたくなきゃ、何も言うな、何もするな、何者にもなるな」(エルバート・ハバート)

まあ何か言えば批判されるし、何かすれば批判されるし、何者かになろうとすれば批判されるというものだ。

 

だからこの地上には流行り歌があり、ジョークがある。

南米の民がコカの葉を噛みながら労苦に耐えるように、僕らは流行り歌やジョークを口にして右往左往し行ったり来たりしながら前に進んでいく。

〈闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう〉とか〈荒野を走れ どこまでも 冗談をとばしながらも〉とか 〈温泉でも行こうなんて いつも話してる〉とかと口ずさみながら、今日もまた、それぞれの場所でそれぞれ頑張るしかない。愛と誠をもといとたてつ。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ 2020年2月29日https://www.hirokatz.jp/entry/2020/02/29/081655 を加筆修正)

世間は同情はしてくれても助けてはくれない、という話。

高橋宏和(H4卒)
date:2020/2/15

bBearさんによる写真ACからの写真



「タカハシくんね、世間というものは、同情はしてくれても、助けてはくれないものなんだよ」Y先生が言った。

 

そのころぼくは大学院生で、免疫学の勉強のためにY先生の教室に通っていた。冒頭の言葉を聞いたのは、ぼくが車上荒らしにあった話をした時だ。

 

Y先生の研究室では、毎週何曜日かの朝に大学院生が持ち回りで英語論文を読んで内容を報告しディスカッションしあう抄読会があった。その抄読会の席では、論文ディスカッションとともに、身の回りのことを簡単に報告しあう習慣があった。

その席で、ぼくは最近車上荒らしにあった話をしたのだ。

 

Y先生のもとでやろうとした樹状細胞の培養実験はモノにならずに途方に暮れる日々だったが、この「世間とは、同情はしてくれるが助けてはくれない」という言葉を聞けたことは生きる上で非常に参考になっている。

 

例えば、車上荒らしにあえば、まわりの人は「ひどい目にあったね」と同情はしてくれる。だが、当然ながら誰か車の修理費用を出してくれるわけではない。

仮に誰か「修理費用出してあげるよ」と助けてくれたとしたら、それは稀有な例で例外的なものとしなければならない。

なお、困っている人を助けなくてよいという文脈でこの話をしているわけではないことを強調しておきたい。

ただ、自分が困ったときに、「世間が助けてくれて当然」と思っても報われないだろう。世間というものは、同情はしてくれても助けてはくれないものだからだ。

 

世間というものは同情はしてくれても、助けてはくれない、ことが多い。

だから人間は、ムラとかクニとかの相互扶助の仕組みを人工的に作り上げなければならなかった。

you know,『もし我々が天使ならば、政府なんて要らない』。

 

繰り返しになるが、ミクロ事象としての個人の生き方として、助けあわなくてよいといっているわけではない。

ただ、心のどこかで「世間というものは同情してはくれても、助けてはくれない」というある種の諦観を持って生きると、また肚のくくり方も変わってくるし、もし誰かに助けてもらえたら感謝の仕方も変わってくるだろうなくらいの話である。

 

ここまで書いてきてふと思い当たったことがある。

そうは言っても、今までぼく自身、たくさんの人に助けてもらったじゃないか、と。助けてくれた人の顔が浮かぶ。

たくさんの人に助けてもらった事実と、「世間は同情はするが助けてはくれない」という言葉と、どう整合性を取るのか、という疑問が浮かんだ。

その答えは、イナヅマのように降ってきた。

 

ああそうか、今まで助けてくれたのは、「世間」じゃなかったのだ。

今まで助けてくれたのは、顔の見えない、得体の知れない「世間」じゃなかった。今まで助けてくれたのは、友人であり、家族であり、同僚であり、上司や先輩や後輩だったのだ。

そう思うと、ぼくの心の中に、助けてくれた人たちへの深い感謝の念が生まれた。

助けてくれた恩返しをするために、春が来たら「桜を見る会」でも開催しなけりゃならんな。



カエル先生・高橋宏和ブログ2020年1月31日を加筆修正)