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教育学者・秦由美子さん&麻布校長・平秀明さん トークイベントレポート

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2018/8/19

教育ジャーナリストおおたとしまささん(1992年麻布卒)によるイベントレポートです。



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2018年8月17日夜、東京・代官山の蔦屋書店にて、教育学者の秦由美子さんと、麻布中学校・高等学校校長の平秀明さんによるトークイベント「イギリスの教育・麻布の教育」が開催された。秦さんの著書『パプリック・スクールと日本の名門校』(平凡社新書)の刊行記念イベントである。

秦さんはお茶の水女子大学分教育学部卒業後、アメリカ大使館に勤務。のちにオックスフォード大学で修士号、東京大学で博士号(教育学)を取得。現在は関西外国語大学教授。イギリスと日本の比較研究を専門にしており、『パプリック・スクールと日本の名門校』もイギリスのパブリック・スクールと日本の中高一貫校を比較する観点から書かれている。

秦さんは、イギリスのパブリックスクールの中でも「ザ・ナイン」と呼ばれる名門9校すべてを取材した。そもそもこれ自体が快挙である。イギリスのパブリックスクールは、スノッブを絵に描いたような存在で、取材を「させていただける」こと自体が奇跡みたいなことなのだ。それを9校すべてにおいて敢行したわけである。

日本でも数々の私立中高一貫校を取材した。そのうちのひとつが麻布であった。また、この本の編集担当も実は、麻布を2000年に卒業した岸本洋和さんなのだ。


*編集を担当した平凡社の岸本洋和さん(2000年麻布卒)

申し遅れましたが、私、1992年卒の教育ジャーナリスト・おおたとしまさと申します。純粋にこのイベントに興味があり、たまたま参加したところ、同期で麻布流儀主宰の前田慎一郎君が一人で取材に来ていたので、「良かったら、オレ、レポート書こうか」ということで、ここに駄文を披露することとなりました。

 

さて、本題。

「パブリック・スクール」とは何か。「ハリー・ポッター」の舞台として描かれる学校「ホグワーツ」のイメージといえばわかりやすいだろう。「ザ・ナイン」の中で最も古いのはウィンチェスター校で1382年創立。最も有名なイートン校は1440年設立。最も新しいものでも1611年創立のチャーターハウス校。日本の学校とは歴史が違う。

「パブリック」とはいっても公立ではなく、私立である。中世イギリス上流階級では、家庭教師をつけて教育を行うのが当たり前だった。「良き文化」が特定の家柄の中だけで継承される閉鎖的な社会だった。しかし、「良き文化」継承の門戸を「開こう」として、出自に関係なく秀才を集めてつくられたのが、パブリック・スクールなのだ。「スクール」とはもともと「教室」の意味である。

パブリック・スクールは主に5年制(ホグワーツは7年制の設定)。日本の中高一貫校の教育期間にほぼ重なる。そもそも戦前の旧制5年制中学は、イギリスのパブリック・スクールを模して設計されたといわれている。麻布も戦前は5年制の中学校であり、それが戦後に6年間の中高一貫校に姿を変えただけである。

幕末に来日し、当時の日本の様子を『大君の都』に著した、初代英国駐日公使ラザフォード・オールコックや、第2代英国駐日公使ハリー・パークスら、幕末から明治初期に来日した歴史上のイギリス人の多くは、イートン校の出身者ばかりである。彼らが薩長をけしかけて明治維新が起きたと解釈することもできる……。

ちなみに東大のスクールカラーのライトブルーは、ケンブリッジ大学のスクールカラーに由来しているといわれている。そのケンブリッジ大学のスクールカラーは、もともとはイートン校のスクールカラーに由来する。

イギリスのパブリック・スクールが、意外にも日本に多大な影響を与えていることを感じさせるエピソードはほかにもさまざまあるが、ここでは割愛する。よろしければ拙著『名門校とは何か?』(朝日新書)の第9章を参照されたい。

ちなみにその本の中で、よりによって麻布について書いた文章の中に致命的な誤植があるので、見つけたら各自で修正しておいてほしい(電子書籍とオンデマンド書籍は修正済みなので、誤植を発見したければ、書籍版を買うしかない!)。

イベントでは、秦さんと平さんの掛け合いによって、パブリック・スクールと中高一貫校の、共通点および相違点を明らかにしていった。大筋は秦さんの著書の内容にかぶるので、詳しくは述べない。以下、個人的に印象に残った話のみを記しておく。

麻布関係者として驚いたのは、麻布創立100周年のころ、一時期ではあるが、麻布がウィンチェスター校と提携関係にあったということだ。私は知らなかった。10年くらい関係は続いたのだが、最終的にはウィンチェスター校から「そでにされた」(平さん)とのこと。ある年から交換留学生を受け入れてもらえなくなってしまったのだ。

まあ、これをイベントで堂々と話す校長が、麻布らしくて、私は好きだ。

麻布がご存じの通りの「規律のない学校」であるのに対し、パブリック・スクール各校が「規律だらけの学校」であることは、ハリー・ポッターの世界観を見ればわかるだろう。生徒の自律を促す方法として、規律から入るか、自由から入るか、その点においては非常に対照的なのだ。

平さんは、「イギリスでは、子供を“小さな大人”と見なすところがあるのではないか」と指摘した。一方日本では、子供は子供として守られる文化があるというのだ。なるほどと思った。

たしかに前出のオールコックは、幕末の日本を見て、こう書き記している。「まさしくここは子供の楽園だ」。イートン校出身の彼からしてみれば、日本の子供たちの自由奔放さは衝撃的だったのである。

彼は当時の日本の子供たちの様子をこうも描いている。「いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわす」。いまの麻布にそっくりではないだろうか。

質疑応答の時間もたっぷりとあった。そしてその時間はいつしか、会場に来ていた麻布関係者による自画自賛タイムの様相を呈した。これぞ「麻布という不治の病(笑)」である。これには秦さんも苦笑い。「最後の質疑応答の時間で、麻布の雰囲気がよくわかりました」と会を締めくくった。




おおたとしまささん(1992年麻布卒)、イベントレポートの寄稿ありがとうございました。

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