ライフワークは人生100年時代の最善の生存戦略である(その2)
ライフワークの話。
先日亡くなられたアメリカのビジネス有名人、『ザッポス』CEOのトニー・シェイはビジネス・ネットワークづくりのためのイベントが嫌いだという。日本だと名刺交換会みたいな、ビジネスチャンスを得るためのイベントは極力出ないらしい。
その上で、トニー・シェイはこう言う。
〈その代わり、相手のビジネス界での地位にかかわらず、さらにビジネスに携わっている人でなくても、私はその相手と人間関係を持ち、人として知ろうとすることに焦点を当てています。〉(トニー・シェイ『ザッポス伝説』ダイヤモンド社 2010年 p.142)
トニー・シェイはこう続ける。
〈何かを獲得しようとするのではなく、友情を築くために、あなたが知り合った人に対してどうすれば心から関心を寄せられるかを見出すことができれば、おかしなもので、いつか将来、ビジネスかプライベートでほぼ確実に何か恩恵を受けるものです。
どうしてそういうことが起きるのか、なぜうまくいくのかは実のところわかりませんが、その人を個人的に知ることで何か得るものがあるのは、たいてい付き合い始めて二、三年後です。〉(上掲書 p.143)
ライスワークもライフワークも、ついでに言えばライクワークも、遂行していくうちに何かしら人づきあいというものが関与してくる。
深いところで人づきあいから互いに何かを与え合うようになるには(トニー・シェイが正しいならば)、少なくとも二、三年はかかることになる。
四半期ごとの成果を求められたり、数年ごとに配置転換や人事異動があるライスワークでは、友情を保ちつつギブ・アンド・テイクの関係を作るには限界があるのではないか。
だからライフワークを持ち、じっくり人づきあいしながら生涯にわたって何かに取り組むほうが、良い成果が上がることもあるのではなかろうか。
蛇足だが、数年ごとに配置転換や人事異動がある日本の官公庁や銀行は、ベンチャー企業との付き合いやベンチャー投資に向かない仕組みではないかと思う。
Every body’s businesses is Nobody’s business,集団責任は無責任、ということもあるが、起業家の人となりを見据えて投資する/投資させてもらうベンチャー投資では長い付き合いの後に起業家を見極め、起業家や協力者と信頼関係を築く必要があるはずだからだ。
トニー・シェイのいう二、三年が経ってさあこれからというときに「ぼく、今度人事異動で担当かわりますので」というのを繰り返してしまうのが日本の官庁や銀行の仕組みのように見える。日本の官公庁や銀行での数年単位の配置転換の仕組みなどは、特定の業界や企業との癒着を減らし、メンバーが業務全体を把握できるというメリットもあるのだろう。まあ何ごとにもメリットデメリットがありますね。よう知らんけど。
さて、唐突だが、「カレーの早川くん」をご存知だろうか。
おそらく知らない方のほうが多いと思う。
アラフォー、アラフィフホイホイなB級グルメ漫画『めしばな刑事タチバナ』(坂戸佐兵衛・作、旅井とり・画 徳間書店)の超脇役である。
カレーの早川くんは、カレーを食べることこそがライフワークの人で、ありとあらゆるカレーを食べ続けているがゆえに“達人”の風格を身につけている。その風格のために、初めて入ったカレー屋ですらインド人店主に常連と勘違いされ「いつもどうも」と目で挨拶されたり、勝手にラッシーをサービスされたりする。
日本中のカレーを味わい尽くすことが早川くんのライフワークなので、毎秋には全国各地の大学祭のカレーを食べ歩くため会社を辞めたりすらする(13巻 p.23-24)。
まさにライフワークのためにライスワークも犠牲にする男なのだ。カレーの早川くんにとって、ライフワークこそが自分の存在理由であり、ライフワークに取り組み続けたからこそ誰も真似できない高みに到達したのである。
現実世界でもライフワークに取り組み続けて高みに到達した人というのは数多くいる。
瀧本哲史『戦略がすべて』(新潮社 2015年)の中に、地方議員について書かれたこんな一節がある。
〈幾つかの公共政策に関して学生が草の根のロビー活動を行うという自主ゼミの顧問を私は務めているが、最近その過程で、地方議員の思わぬ面を見ることができた。実は先進的な政策を実現することに対して最も熱心なのは、地方議員なのだ。〉(p.238-239)
〈たとえば、ある防災問題に一貫して取り組んできた地方議員がいる。しかしながら、防災問題は、地方行政だけで対応することはできない。そこで、その議員はもともと政党職員だったことを利用して、国会議員の中に防災問題に関心のある議員のネットワークを作ることに成功した。
結果、防災問題に関して、国会議員に直接陳情するよりも、この地方議員に陳情したほうが効果があるというほど重要な役割を担うようになった。〉(p.240)
防災問題をライフワークとして取り組み続けたゆえに、唯一無二の存在となったわけである。
ほかにも、日米関係をライフワークと自ら定め、野党時代から定期的に訪米し米国の政治家やシンクタンクと関係を築き、政権交代した際にそのネットワークを活かした国会議員もいる。
あるいは日露関係や北方領土問題をライフワークとして、(功罪・賛否はあるにせよ)やはり唯一無二の存在となった鈴木宗男氏のような人もいる。
「外交は票にならない」と政治業界では言うそうだ。しかしこうした人たちは、ライスワークとして政治家を見たときには短期的には役に立ちづらそうな防災や外交を「俺がやる」とライフワークとして定めたからこそ、高みに到達したわけである。
日々の糧であるライスワークに忙殺されながらも、何かしらライフワークを持つべきではないかと思う所以である。
それはそれとして、今日の昼ごはんはタイカレーにしようかインドカレーにしようか悩むところだ。
〈二一世紀には、人間は不死を目指して真剣に努力する見込みが高い。〉(ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』河出書房新社2018年 p.33)
同書によればグーグルなどの大企業が「死を解決すること」を使命とするスタートアップ企業に投資しているという(上掲書p.36-37。漫画『インベスターZ』にもそんな話が出てきましたね)。
いつどういう形で「不死」が実現するのか、そもそも人間がそんなことを成し遂げてよいのかはわからないが、最低限言えることは、様々な寿命延伸技術が上記の研究が生まれてくるだろうということだ。
リンダ・グラットン他『LIFE SHIFT』が人生100年時代にどう生きるかを世に問いかけたのは記憶に新しい。
『LIFE SHIFT』の参考文献の一つ、マックス・プランク協会レポート『老いの探求』によれば、先進国では過去160年間に、平均寿命は年平均3ヶ月ずつ伸びているという。
我々は、不死とはいかないがえらいこと長生きする、あるいは長生きしてしまう可能性があるわけである。
かつてないほど人類が長生きしたときに何が起こるだろうか。
おそらく、人生に“飽きる”のではないかと思う。
藤子・F・不二雄『21エモン』では、銀河系最高レベルの科学文明の星、ボタンポン星では人間は、死なない。
で、死ななくなったボタンポン星人は最終的に何をするか。
ベルトコンベヤーに乗って、0次元に旅立つのだ。
0次元では、全ての存在が消滅する。
死なないなんて素晴らしい、と言われたボタンポン星人はこういう。
「なにがすばらしいもんか!二千年も生きたらあきあきしちゃうよ」
不死も当面無理だし、二千年も生きないだろうが、我々は前人未到の長生き時代にいるのは間違いない。
その長い長〜い人生を、アイデンティティクライシスを回避し、すり減らず飽きずに楽しく生き抜くために、目先の状況に左右されずに長く取り組めるようなライフワークを持つのはとても大事ではないかと思うわけである。
ひとまずライフワークの話のまとめ。
〈生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ〉(谷川俊太郎『生きる』より抜粋)
山あり谷あり、長い長ーい人生を送る上で、生きる糧を得る仕事・ライスワークと別でもいいから、自分のレゾン・デートル、存在理由となるような仕事・ライフワークを持つとよいのではないかと考えた。
他者の評価や外部の状況に左右されず、ただ淡々と己の喜びのためにだけ積み上げていく仕事。
放っておけば人生は、日々の慌ただしい生活の鋭い顎に持って生まれたいのちの塊をガリガリガリとかじりとられて終わってしまう。
人生に味わわれるのではなく、人生を味わうための仕事、そんなものがライフワークやライフテーマではないかと思う。
ミシンの機械についている、各メーカーのエンブレムマークを集めるのがライフワークだった者がいた。
世界中のミシンメーカーのありとあらゆるエンブレムマークのコレクションは、他人には無用なものだしぼくも要らないが、それでもなお、ぼくには尊くて神々しいものに見える。
彼か彼女かのコレクションは未完成だっただろうけれども、ミシンメーカーのエンブレムマークを集め続けるというライフワークを持ったことで彼か彼女かの人生は、充実したものとなったことだろう。
人生は、ライフワークを持たずに過ごすには長すぎるが、ライフワークを持って過ごすには短すぎる。
かくのごとく、ライフワークやライフテーマの中身はなんだってよい。生きている途中で、やっぱり違うとなれば変えてもいい。
大事なのは、自分のライフワークはこれだと思い定めることで人生に意味が与えられ、一つの芯を持って日々を送れるということだ。
自分語りで恥ずかしいが、ぼく自身のライフワーク、ライフテーマは「生きる」ということに定めている。
「生きる」について問い、「生きる」について情報を集め、「生きる」について考え、「生きる」について行動する。
何かを書きたくなったら沢尻エリカより「生きる」を優先して文章のテーマとする。
だからもしぼくが、深夜の公園のブランコに乗って「命短し 恋せよ乙女」と歌っていたら、「なるほど一生懸命ライフワークに勤しんでいるのだな」と思って生温かい目で見守っていただければ幸いである。志村喬か。