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新型コロナウイルス感染症対策と時刻表

福岡健一
date:2020/8/4

 時刻表は毎月、新刊が発行される。それなのに、まったく代わり映えがしないと評される。実際には列車や路線が増えたり減ったりしており、時刻表そのものにも「時刻表は毎月変わっています」の表記がされているが、たしかにほぼ変わらないことに違いはない。内容に時刻とその時代を刻みながら、見た目は淡々と、書店や駅売店や切符売り場に置かれていく。

(出典:JR時刻表2020年5月号)

 2019年12月以降、中国湖北省武漢市で発生が複数報告されたと政府が発表しメディアが取り上げた、肺炎を伴う原因不明の疫病は、数か月が経つと「コロナ」の略称で通じるほど日本中に、そして世界中に蔓延した。新型コロナウイルス感染症の流行と、これを受けた政府の感染症対策は、何が起きても動じないと思っていた時刻表に、目に見える影響を及ぼした。

 交通新聞社は、2020年5月25日発売予定の「小型全国時刻表」と「コンパス時刻表」の2020年6月号を発行せず、6月19日にそれらの「6・7月合併号」を発売した。1894(明治27)年10月に庚寅新誌社が「汽車汽船旅行案内」を月刊で創刊して以来、廃刊でも不定期刊でもなく月刊の時刻表の発売ができなかったのは、戦中戦後の混乱期である1944~1947年以来の出来事である。合併号という時刻表の発行は、過去に例がないという。

 なお、同社の「JR時刻表」や、JTBパブリッシングの「JTB時刻表」などの月刊時刻表は、6月号が発売された。普段の6月号は、夏の臨時列車の掲載号。年間最大の繁忙期に向けて、旅行や鉄道の利用を促す。それが今年のJR時刻表6月号は表紙で「行った気分に浸りませんか」と呼び掛けた。紙面での空想旅行を促した。

 旅に出ずとも時刻表を読むことは、鉄道趣味としては古くから親しまれる。これを時刻表の最新刊の版元が、しかもJR時刻表はJR6社共同編集とするので、つまり鉄道会社が呼び掛けたこともまた、おそらく過去に例がないか、戦時輸送への協力を呼び掛けた第二次大戦中以来の出来事かもしれない。たしかに当時も今年も、政府が不要不急の旅行を戒めている。

 紙面の内容は、おおむね普段どおりであった。インターネット上で発信されたJR各社のニュースリリースでは運休を予告した夏の臨時列車が、ちゃんと掲載されていた。9割減便と報道された航空便も、時刻表では従前どおりたくさん飛んでいた。しかし東海道新幹線のページに違和感を覚えた。臨時列車がひとつも走らず、一方でページ数を維持したため、列車時刻が1行おきに掲載される、隙間風の吹いた紙面となっていた。

 東海道新幹線「のぞみ」の時刻表は、毎日変わっている。片道1時間あたり4~6本の定期列車に臨時列車をきめ細かく加えることで、日々の需要に応えている。JR東海のさじ加減により、輸送力が足りない行楽期と、荒天で客が引いた日を除くと、乗れば毎日ほどよく混んでいる。

 これが「コロナ」を受けて、乗客が9割も減ったという。そこでJRはまず臨時列車を削減、続いて臨時列車を運休、さらに定期列車を削減し、需要に対応した。JR時刻表では「のぞみ」の時刻を青数字で載せる。今年3月のダイヤ改正で「のぞみ12本ダイヤ」をうたい、史上最大の増発を組んで青々と茂った5月号の数字が6月号で刈り取られ、さらに毎時3本ほどに痩せた。

 

(出典:JR時刻表2020年5月号・6月号)

 記録は残るが、記憶は途切れる。コロナ禍により欠号や不思議な表記や空白が生まれ、幻の列車や航路を満載したこれらの時刻表は、あと30年ほど経つと様々な解説や注釈を付けて、時代を振り返られることになるのだろう。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約7200個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

駅弁資料館 http://kfm.sakura.ne.jp/ekiben/

富山駅弁「ますのすし」の偉大さと思い出

福岡健一
date:2020/7/28

 名物に うまいものあり ますのすし

 富山駅で売られる駅弁「ますのすし」のパッケージに、そう書いてあった。

名物に うまいものあり ますのすし

 名物に旨い物は「あり」なのか「なし」なのか。

 一般には「なし」らしい。名は必ずしも身を伴わない、名物と言われる物ほどたいしたことはない、名物は「なし」だが特産は「あり」、などと解釈される。個人的かつ現代的にも「なし」と考えたい。もし名物に旨い物があったとしたら、それは各地へ広まる。駅弁に限っても、古くはサンドイッチやアユの駅弁、後にウナギの駅弁や釜飯の駅弁、今では牛肉の駅弁など、どこかの駅の名物あるいは特産だった駅弁が評判を呼ぶと、ほどなく各地の駅弁屋が模倣し普及してきた歴史がある。

富山駅弁「ますのすし」

 それでも、富山駅弁「ますのすし」には、名物にうまいものありという例外を設けたくなる理由がある。

 まず、名物である。

 マスの押寿司は間違いなく、富山の名物である。この神通川のサクラマスに始まる越中富山の郷土料理は、昔から富山の名物とされていたわけではなく、江戸時代や明治時代はむしろアユ寿司が名物であった。それが今ではこのとおり。富山の駅や空港や土産物屋を訪れて、マス寿司を見なかった記憶がなく、逆にアユ寿司を見た記憶がない。

 それに、ますのすしは間違いなく、富山駅の名物駅弁である。通が好むという「ぶりのすし」や、うまいと話題の「ぶりかまめし」、その他優れた駅弁がいくつもあるのに、テレビや雑誌などで紹介されたり、商業施設の駅弁催事や富山物産展で売られるのはだいたい「ますのすし」。富山駅でもやっぱり、ますのすし群が最も目立つ。富山駅の駅弁屋のホームページもまた、タイトルを「ますのすし本舗」とする。

 1899(明治32)年に鉄道が富山へ達し、1912(明治45)年にマス寿司の駅弁が誕生した。駅で売られたことで旅客に認知され、鉄道に乗ってその名を各地へ広めたという。駅弁になったことと、鉄道の存在が、マス寿司を富山の名物に仕立てる一翼を担ったと考えられる。駅弁の輸送販売が今ほど盛んでなかった昭和時代から、夏場で2日、冬場は3日の日持ちがした「ますのすし」は、上野駅や大阪駅など、富山と鉄道で結ばれた都会の駅でも買えたから、より宣伝になっただろう。

 マス寿司は各地で買えても富山の名物で、「ますのすし」は富山駅の名物駅弁である。富山を代表する名物であり、全国を代表する駅弁のひとつでもある。これほど存在感の大きい弁当や駅弁は、そうそうあるものではない。

北陸新幹線

 そして、うまいものである。これだけの名物だから、きっとうまいに違いないだろうが、それでも味覚は私感だから、うまいとする根拠は主観と経験による。

 今から30年前の1990(平成2)年11月、今でいう乗り鉄の高校生が初めて富山駅に降り立った。駅の立ち食い蕎麦であれば200円ちょっとで済むところを、せっかく富山に来たのだからと、当時で1,100円もした名物駅弁を買ってみた。ものすごくうまかった。紅色の身の塩気と脂の乗りに、押し固まった白い白い飯、これらを覆い包む笹の葉の香り。以後しばらく、富山駅へ訪れるたびに「ますのすし」を買うようになっていた。当時も今も、中身に加えて箱の絵柄も変わらない。

 富山駅に行けば、900円の「小箱」から3,700円で限定販売の「竹ずし」まで、10種類以上のますのすし駅弁に出会えるチャンスがある。新幹線の改札を出て商業施設「とやマルシェ」へ回り込めば、各社で異なる絵柄とおおむね同じ価格を持つたくさんのマス寿司に出会える。だからかどうか、今の富山駅弁「ますのすし」には、「名物に うまいものあり 源(みなもと)のますのすし」と、字余りで駅弁屋の名前を挿入したフレーズを記す。駅弁を含めたマス寿司の食べ比べは、まだあまりできていない。

名物に うまいものあり 源のますのすし

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約7200個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

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五能線、肥薩線、釧網本線の魅力

福岡健一
date:2019/7/23

「とあるテーマパークのアトラクションを全種類制覇した。」

「それならば、最も楽しかったアトラクションは何か。」

「47都道府県すべてに訪れたことがある。」

「それならば、最も気に入った都道府県はどこか。」

「日本の鉄道全線に乗ったことがある。」

「それならば、最も良かったと思う路線はどれか。」

 このような質問に即答できる能力を、うらやましいと思う。

 今まで日本の鉄道路線を数えたことがなく、数えようにも名称と愛称の混在もあるので定義付けが難しいが、おそらく500路線以上はあるのだろうか。そのそれぞれに個性や魅力があり、優劣を付けることはとてもできない。

 神奈川県横浜市の東神奈川駅と、東京都八王子市の八王子駅を、1時間ほどで結ぶJR横浜線。電車に乗ってもおそらく特段の感想が出ないであろう、東京近郊の通勤路線である。しかし、多摩に集積する絹を横浜の貿易港へ運ぶために明治時代に建設したシルクロードであったという誕生の経緯を聞くだけで、とたんに個性的で魅力的な路線に思えてくる。室町時代の長尾景春の乱による小机城攻略まで遡らなくても、戦前の相模原での軍都建設から今世紀のみなみ野シティまで、沿線各地で行われた都市計画の内容や経緯を知ると、車窓への興味がぐっと湧いてくる。

 秋田県の東能代駅と青森県の川部駅を結ぶJR五能線。

 熊本県の八代駅と鹿児島県の隼人駅を結ぶJR肥薩線。

 北海道内で釧路駅と網走駅を結ぶJR釧網本線。

 このあたりの名前を挙げれば、最も良かったと思う路線について無難な回答ができると思う。いずれもテレビや雑誌での旅行特集で実名がよく挙がる観光路線である。乗り通すと片道で3~5時間はかかるので乗り応えもある。普段の利用者が少ないので列車の本数は限られるが、観光客向けの臨時列車が走るから、旅行の行程に組み込みやすい。

 これらの路線をおすすめできる理由は、ひとつの路線を三度楽しめるからである。

 五能線に川部駅から入れば、岩木山を背景に広大なリンゴ畑の中をとことん進む。約1時間で日本海に出会うとその荒々しい海岸沿いを延々と沿う。約2時間で海から離れると東北の穏やかな山村や地方都市の光景が淡々と流れる。一日で最大3往復が運転される「リゾートしらかみ」に乗れば、乗り換え要らずで座ったままで3種の車窓を眺め続けられる。



 肥薩線に八代駅から入ると、平地は無いが峡谷でもない球磨川の流れを約1時間堪能する。人吉駅からは明治時代の最新技術で切り返したり一回転しながらの峠越えに約1時間ドキドキする。吉松駅からは南国の温かい山村を約1時間のんびり進む。「かわせみやませみ」「いさぶろう」「しんぺい」「はやとの風」や「SL人吉」という、昭和時代や大正時代の古い車両に精一杯の厚化粧を施して歴史と貫禄を感じさせる観光列車を乗り継ぐと、3種の車窓に加えて列車そのものの旅も楽しませてくれる。



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 釧網本線の普通列車に網走駅から乗ると、半時間ほどオホーツク海と原生花園という対照的な広い車窓が左右に続く。知床斜里駅から1時間半ほど、高原または氷雪の明るく淋しくゆるやかな峠越えという静かな時間を過ごす。標茶駅からの約1時間は、広大な釧路湿原でヨシやスゲに囲まれる。一日5本の普通列車を乗り通して3種の車窓を楽しむか、季節の観光列車「くしろ湿原ノロッコ号」「SL冬の湿原号」を組み合わせてもよい。


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 1本の路線で三度おいしい。そんな路線が、五能線であり、肥薩線であり、釧網本線である。だから三度乗っても、何度乗っても、車窓を堪能できる。わかりやすくおすすめできる路線として、鉄道のみに深く入り込むのではなさそうな質問を受けたら、このいずれかを挙げることにしている。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

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時刻表旅行は日本の特権か

福岡健一
date:2019/7/16

 時刻表で旅行をする。列車その他交通機関の時刻を調べて、旅程を立て、そのとおり行って帰ってくる。時刻表の本来の、正しい使い方である。

 時刻表で立てた旅程を、実行しないことがある。所用その他の理由で行けなくなった、行かなくなった。ここまでは本来の使い方だろう。

 旅程を立てたのに実行しない。そもそも行く気が無いのに旅程を立てる。時刻表をそんな用途で使う人は、少ないわけではない。かつて交通機関の運賃が非常に高かった時代、海外旅行を「洋行」と表現してうらやむ時代、時刻表に掲載される遠い国や都市の地名を活字で眺め、そこへ至る列車などの時刻や運賃を見て、まだ見ぬ地に思いを馳せた。

 もっとひどくなると、時刻を調べず旅程を立てず、時刻表そのものを読みふける人もいる。昭和時代かそれ以前から「時刻表を読む」という表現さえもある。数字の羅列や駅名の順列を見て何が楽しいのか。時刻表を面白いと考える人が、そうでない人にこれを理解いただくことは難しそうなので、何らかの空想旅行をしている、と表現するにとどめる。

 

 中華人民共和国には「全国鉄路旅客列車時刻表」という時刻表があった。おおむね年刊でA5判約300ページ、中国全土の旅客列車の時刻を掲載した。

 大陸の鉄道はスケールが大きい。長江河口の上海から西北部の烏魯木斉(ウルムチ)まで約4000kmを3泊4日で駆ける中国最長距離列車の時刻を追い、実際に乗車した作家の旅行記なども読んで、空想旅行を楽しめた。

 今は中国を時刻表で旅行することはできない。新幹線の時代になり、所要時間が短縮され、便利だけれどもつまらなくなった、という話ではない。時刻表が発行されなくなってしまったのである。2016年6月号を最後に、全国鉄路旅客列車時刻表の新刊は出ていない。

 韓国でバスや航空の時刻も掲載した時刻表「月刊観光交通時刻表」も2012年6月号で廃刊となった。世界最古の時刻表である1839年創刊のブラッドショーは1961年5月と早くに消えたが、以後も長らく全欧と世界の時刻表を刊行したトーマス・クック社は2013年8月に時刻表の発行をとりやめた。ドイツの時刻表「Kursbuch Gesamtausgabe」は、分厚くなりすぎたため分冊化して箱詰めするほど巨大なものであったが、2008年12月限りで廃刊となった。日本と戦争をしている頃には同じくらい分厚かったアメリカの時刻表も、今は売られていない。

 時刻表はネットで十分。あるいは、アルファベットを使う国々ではたいてい、主な駅やバスターミナルで無料配布されている、会社別、地域別、系統別のチラシやパンフレットで十分ということなのだろう。

 ただ、冊子の時刻表が世界各地で発行されていた当時も、大型旅客機の就航などで海外旅行が大衆化し始めた頃までには、時刻表は主に鉄道会社や旅行会社で内部的に使われる業務用資料であり、一般の旅行者が自ら利用するものではなかったようだ。

 推理小説でシャーロック・ホームズはブラッドショーを助手のワトソンに使わせた。イギリスの書店でトーマスクックの時刻表が買えず、ユーレイルパスの日本人客は自国の書店で日本語版を買い、この時刻表は日本で最も売れていたと聞く。1990年代に欧州を巡ると、駅に備えたり売店で売る時刻表を客が使うのはドイツとイタリアだけに見えた気がする。第二次大戦時の枢軸国は時刻表で繋がっていたのかと、妙に感心した記憶がある。

 個人で時刻表を買って、読んで、楽しんで、保管できる国、日本。実はけっこうありがたい、あるいは、変わった国なのである。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

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駅弁の定義を考えてみた

福岡健一
date:2019/7/9

 日本国内では約300の鉄道駅で2200種類以上の駅弁が売られている。2019(平成31)年4月時点での全数調査の結果がまとまり、2213種類の駅弁が確認できたので、前月の投稿より数を増やした。

 私は今世紀に6748個の駅弁を食べてきたが、2213種類の駅弁のうち、まだ食べたことがない駅弁が745種類もある。計算が合わないように見えるが、集計したらこうなった。駅弁も市販の商品であり、新作が各地で毎月のように出ているため、まだ見ぬ駅弁が永遠に存在し続ける。日本中すべての駅弁を食べ尽くすことはできないのである。

 前月に書いたとおり、「駅弁」の定義は確立していない。

 昭和時代には一応の定義があった。やはり日本国有鉄道(国鉄)が1987(昭和62)年4月に分割民営化される前までは、国鉄から構内営業の、つまり駅の中で商売をする許可を受けた業者が販売する、中身に米飯を含む弁当が駅弁であった。すると、神奈川県の大船駅で1899(明治32)年から売られる全国初のサンドイッチ駅弁、現在の「大船軒サンドウヰッチ」は駅弁ではなかったのかという疑問が生まれるが、昔のことは気にしない。1950(昭和25)年頃に福島県の原ノ町駅で、ざるそば、めんつゆ、てんぷらを詰めた駅弁を売ろうとしたが、この規定に抵触するため稲荷寿司を追加し、「いなり天ざる」という駅弁が生まれたと伝わる。

 やはりここには私鉄を含まず、国鉄はもう無くなったので、現在に使える定義でも目安でもない。

 インターネット上で駅弁に関する情報を個人で発信し始めた後に、どんな弁当が駅弁といえるのかを考えた。

 北海道の森駅に「いかめし」という有名な駅弁がある。デパートでの実演販売という、過去になかった駅弁の販売形態を取り入れた先駆者である。今では百貨店で駅弁や北海道の催事があれば、たいてい出店している。会場内でイカにもち米とうるち米を詰めて、醤油とザラメの鍋で煮て、2~3個を箱詰めして販売する。こうして実演販売で売れる個数が、駅で売る個数の数十倍にも達するという。それでもこの「いかめし」は駅弁だろう。手にした商品がもはや、鉄道との接点を失っていたとしても。

 同じ催事場で、厚岸駅の「かきめし」や、旭川駅や釧路駅の海鮮駅弁が売られることもある。これらもきっと、駅弁として買われていく。「かきめし」は乗客の減少や売店の閉店により、北海道厚岸郡厚岸町の現地では駅売り弁当でなく駅前弁当となっているものの、やはり駅弁として買われていく。

 帯広の豚丼や、函館や小樽などの海鮮丼も、同じ場所で同じように作られて売られて買われていくのに、時には見た目も駅弁なのに、これらはどうも駅弁とは思えない。

 駅弁には、駅名が付いてくる。東京のデパートで買っても、北海道は森駅の「いかめし」であり、厚岸駅の「かきめし」であり、駅弁だ。まず駅で売られる弁当であり、そして見た目が駅弁で、加えて駅名が付いてくる弁当こそが、駅弁ではないだろうか。そんな感覚から、駅弁か否かの判断基準を以下の3項目にまとめ、これらをすべて満たす弁当と駅弁だと考えた。私が個人的な範囲で決めた。

1.鉄道の駅で販売される弁当である

2.特徴的な容器や包装や掛紙を使用する

3.弁当に対して特定の駅名がただひとつ定まる

 仙台駅の牛たん弁当、横川駅の峠の釜めし、横浜駅のシウマイ弁当、富山駅のますのすし、宮島口駅のあなごめし。こうやって駅名と弁当名が対になると、実に駅弁らしいし、文句なく駅弁と呼べることだろう。自画自賛となるが、良い定義が見つけられたと思い込んでいる。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

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どの路線に乗ったら完乗と言えるか

福岡健一
date:2019/7/2

 日本の鉄道に全部乗った。完乗(かんじょう)した。これを証明するものは何もないから、完乗した証拠を見せてみろと言われると返答に困るが、集計できていないと自分が困るから、何年何月何日に何線の何駅から何駅まで乗ったという記録は付けている。JR宇野線の茶屋町(ちゃやまち)駅~宇野駅は2007(平成19)年12月31日、JRおおさか東線の新大阪駅~放出(はなてん)駅は2019(平成31)年3月16日という具合に、MS-Excel形式のファイルに約1000行の履歴が並ぶ。

 では、どの路線を利用したら、日本の鉄道に全部乗ったと言えるのだろうか。

 市販の月刊誌「JR時刻表」や「JTB時刻表」から対象を拾い出すか、または鉄道の一覧表を作りネット上で公開する人がいるのでその情報に乗るか。一般に鉄道や電車と呼ばれるものは、国の法律である鉄道事業法や軌道法により運営され、国土交通省が所管し、路線の一覧を同省鉄道局が監修する年鑑「鉄道要覧」に掲載するため、この書籍に頼ってもよい。ワープロ打ちコピー用紙を製本しただけに見えて5980円もする高価な本ではある。

 JR時刻表やJTB時刻表に掲載される鉄道路線図「さくいん地図」に、乗った区間だけ色を塗っていく。パソコンを使い始める前は、自分が乗った路線をこれで管理していた。全部塗ったら完乗だ。これでだいたい合っている。ただ、100%を目指すには、追加である程度の考証と決め打ちが必要になる。

(出典:JR時刻表2019年7月号)

 例えば、JR線について横浜駅付近の路線図を見てみる。

 東京都内へ行くには東海道本線と京浜東北線があるが、路線図には1本の線しかない。法令上も1本の路線である。東海道本線は名称であり京浜東北線は愛称である、というややこしい話は後日に考察したい。

 加えて、横須賀線や湘南新宿ラインでも都内へ行ける。東海道本線や京浜東北線と違い、武蔵小杉駅のある内陸側を経由する。鉄道要覧を参照すると、東京駅(~横浜駅)~神戸駅の東海道本線の他に、品川駅~鶴見駅にも17.8kmの東海道本線がある。品川駅~西大井駅~武蔵小杉駅~新川崎駅~鶴見駅のルートは、品川駅~川崎駅~鶴見駅の路線とは区別されている。鶴見駅に横須賀線などが止まれるプラットホームはないけれど、法令上や運賃計算ルールではここに駅があることになっている。

 さらに、東海道本線を走るのに横浜駅を通らない列車がある。平日限定の通勤列車「湘南ライナー」など一部のライナー列車が、横浜駅より3kmほど内陸にあるトンネル路線を通る。鉄道要覧には鶴見駅~東戸塚駅にも16.0kmの東海道本線がある。時刻表の路線図にはないが、列車時刻の書き分けにより、時刻表の上級者にはその存在が分かるようになっている。激烈な建設反対運動を乗り越えて、1979(昭和54)年10月に開通した貨物線であり、今も貨物列車ばかり走っているが、こうして通勤客も運んでいる。

 実はもう1本、横浜駅を通らない東海道本線がある。鉄道要覧の東海道本線に、鶴見駅~桜木町駅の8.5kmが載る。横浜港の埋立地を貫く貨物線であり、普段の時刻表には一切の記載がない。しかし法令上は、ここまででいくつも出てきた東海道本線と同じ扱いであり、ごくまれにイベント向け列車が走るから客として乗ることもできる。市販の地図にも、だいたい載っている。

 これらの東海道本線を、どこまで乗ったら完乗なのか。

 完乗にルールはないから、自分で決めなければならない。

 先駆者たちは、時刻表や鉄道要覧に掲載される路線のうち、毎日あるいは定期的に旅客列車が走り、きっぷを買えば誰でも乗れる区間を対象に、完乗を目指したりタイトルを防衛しているように見える。私もそのように考えて、東海道線と横須賀線の電車に乗り、休暇を取って「おはようライナー新宿」の展望車に乗った。鶴見駅~桜木町駅は自宅の近隣であり、徒歩や自転車でも見た景色を車窓で眺めても仕方がないかもしれないが、完乗の履歴管理とは別に、いつか乗ってみたいとは思っている。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

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時刻表を読むたのしみ

福岡健一
date:2019/6/25

  時刻表は面白い。どれくらい面白いかというと、寝室で時刻表を眺めていると寝られなくなるほどである。本や活字というものは眠気を誘うものなのか、寝たいのに眠れない時は本を読めば寝られる、つまり「寝落ち」できる。これが時刻表だと、寝落ちできないのである。

 時刻表という数字の羅列など、本来はちっとも面白くないはずで、それ以前に意味のないものだろう。列車の時刻という意味を持っていても、それならば列車の時刻を調べる目的でなければ、使う必要がない。逆に、数字あるいは時刻の羅列であるからこそ、文章とならずに文字が何も語らないから、そこに意味を持たせられる人の空想を掻き立てる。


出典:地理院地図(電子国土Web)

 北関東に、わたらせ渓谷鐡道というローカル線がある。その名のとおり、44.1kmで約1時間半かかるほぼ全線で渡良瀬川の渓谷に沿い、週末や紅葉の季節にはトロッコ列車が走り、車窓を楽しませてくれる路線である。古くは国鉄の足尾線といい、かつて東洋一とうたわれた足尾銅山の貨物輸送を担う産業鉄道であった。

 この桐生駅から間藤(まとう)駅へ至る行き止まりの路線について、古くから早朝の足尾駅発間藤駅行き、夜更けの間藤駅発足尾駅行きという、最奥の1駅分だけを運行する列車が設定されている。最新の(2019年7月号の)時刻表では、足尾駅5時39分発と6時22分発の間藤駅行きと、間藤駅21時26分発の足尾駅行きがある。わずか1.3kmの距離を、次の駅まで2~3分走っておしまい。しかも2006(平成18)年3月に減便のダイヤ改正が行われるまでは、もう1本ずつ多く走っていた。


出典:JR時刻表2019年7月号P.570

 こんな列車がなぜ運行されていて、いったい誰が乗るのか。

 私はわたらせ渓谷鐵道にも足尾にも、何度か訪問したことがあるので、想像を付けることはできる。足尾駅には車庫がある。終着駅の間藤駅には車庫がない。朝に間藤駅発桐生駅行きの列車を仕立てるため、夜の桐生駅発間藤駅行き列車を車庫に収容するため、足尾駅から車両を1駅分回送するついでに、客を乗せているのだろう。また、隣の通洞駅から足尾駅を経て間藤駅までは、足尾の中心市街地であり建物が連坦(れんたん)するため、この3駅間を行き来する客がいるのだろう。

 しかし、20分も歩けば行ける距離で、おおむね1時間半おきにしか来ない列車に、わざわざ待って乗るだろうか。そもそも国内では大都会を除くと、もはや自動車のみが交通機関であり、各駅停車の普通列車を使う客の8割は通学定期券の高校生だから、こんな時間帯の足尾駅~間藤駅でわざわざ列車に乗りに来る客がいるとは、とても思えない。ここに市街地があるといっても、100年前に人口が3万人を超える栃木県第二の都市であった足尾から、銅山が消えて約半世紀、2000人を割った住民の過半が65歳以上の高齢者だそうだから、交通の需要も限られそうだ。

 なんだろう、なぜだろう、たった20個の数字で、ここまで想像を膨らませるのが時刻表である。そんな列車をいつかはこの目で見てみたい、と20年以上考えているが、まだ実行できていない。平日日勤のサラリーマンは、明日の朝も早いので、寝室ではこんな数字を追いかけない、思い出さないようにする。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

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駅弁は全部で何種類あるか

福岡健一
date:2019/6/18

 日本国内では約300の鉄道駅で2100種類以上の駅弁が売られている。もし「駅弁は全部で何種類あるか」と聞かれたら、私はこう答える。ここで時々、「4000種類という情報もあるのだが」と、質問に二の矢が飛んでくることがある。その際には、私は約300駅2100種類以上と考えているが、世の中には約4000種類の駅弁があると考える人がいるようだ、と伝えている。数値に倍半分の開きがあるのはどうも怪しいぞ、とまでは言われたことはないが、そう思われることがあるような気がする。

 駅弁がいったい何種類あるのか、現時点では誰も分からない。

 まず、駅弁を統括する組織や体制がない。

 日本国有鉄道(国鉄)が1987(昭和62)年4月に分割民営化される前までは、国鉄の駅で駅弁を売るなど商売を営む業者は「国鉄構内営業中央会」への加盟が必要で、駅弁の販売には個別に国鉄の許可が必要であったため、駅弁の数を集計することができた。例えば1982(昭和57)年1月には「駅弁全線全駅―345駅1564種詳細パーフェクトガイド」という名の本が、主婦と生活社から発行されている。

 同会は2019年現在で日本鉄道構内営業中央会と名を変えて存続しているが、現在はここに加盟しなくてもJRの駅で駅弁を売れたり、退会して駅弁を売り続ける駅弁屋もあるため、以前のように数値を集計できない。また、私鉄の駅弁が含まれていない。

 そもそも、組織や体制があるかどうかという以前に、「駅弁」の定義そのものが確立していない。辞書には駅で売る弁当が駅弁だ旨の記述があるぞ、駅で売っている弁当、駅売り弁当が駅弁ではないのか、という問いには、駅のコンビニで買えるコンビニ弁当は駅弁といえるのか、と逆に問いかければ話が終わる。駅で買える弁当と「駅弁」は、どうもイコールではないと考えられているようだ。

 東京都の新宿駅には「駅弁屋 頂(いただき)」という駅弁売店があり、日本レストランエンタプライズ(現在は子会社の日本ばし大増へ移管)が調製する幕の内弁当が買えて、これは見た目で駅弁だと思う。その売店の目の前に「NewDays」というコンビニがあり、やはり日本レストランエンタプライズが調製する幕の内弁当が買えたが、その見た目はどうみてもコンビニ弁当であった。駅も業者も同じで、内容も味もだいたい同じで、見た目だけでこれは駅弁だ、これは駅弁でない、という高度な判断が必要になる。駅弁を趣味とする者としては、駅弁の定義について大いに迷う。

 しかし、駅弁の総数に関する質問は、駅弁を語るうえで避けて通れない。そこで私は2010(平成22)年4月に約1か月かけて、市販の時刻表や鉄道会社などのホームページから調べられる範囲に個人の経験を加味して駅弁の種類を数え、全国に2099種類の駅弁があることを突き止めた。調査には漏れがあるだろうから、実数は「2100種類以上」だと判断した。以後毎年4月に調査を実施し、ほぼ横ばいに近い漸増傾向であることをつかんでいる。2004(平成16)年8月には同様に駅弁販売駅も数えて、これは約300という数を保ちながら漸減している。これが冒頭の「約300駅で2100種類以上」の根拠である。ここにはJR各社以外の駅や駅弁も含んでいる。

 ただ、駅弁を約4000種類と数えたい気持ちは解る。

 調査により東京駅には約120種類の駅弁がある。しかし、駅弁売店「駅弁屋 祭」には毎日約200種類の駅弁が入荷する。今はエキナカと呼ばれる地下の商店街「グランスタダイニング」では約400種類の弁当が売られ、東京駅に隣接する大丸東京店の地下1階「お弁当ストリート」、いわゆるデパチカでは、1000種類もの商品が並ぶという。

 駅弁の定義を少し広げれば、すぐに数値が倍になりそうだ。おいしくて多種多様なデパチカやエキナカの弁当を食べていると、駅弁とそうでない弁当を厳密に区別する必要などないのでは、と考え始めてしまった。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

駅弁資料館 http://kfm.sakura.ne.jp/ekiben/