オフィスデヤサイって言葉を聞いたことありますか?
オフィスデヤサイって言葉を聞いたことありますか?
OFFICE DE YASAI
文字通りオフィスで野菜を気軽に食べることができるサービスで、導入企業は700社以上(2018年5月現在)。オフィスに冷蔵庫を設置、ハンディサイズの野菜や果物を提供し、従業員の方がそこから手軽に取って食べていただけるようなサービスです。
働き方改革という言葉が流行っていますが、(別の意味で使わせてもらうと)OFFICE DE YASAIは一種の働き方改革です。企業側も働く社員の健康を応援することで、仕事の生産性が向上しますし、社員にとっても、おいしい野菜が気軽に会社にラインナップされていることで、会社にいながらおいしい野菜で健康体を目指せます。
IT関連、広告会社などの企業からキユーピーなどの食品メーカーなど様々な企業がOFFICE DE YASAIのサービスを導入していて、会社側がこのサービスを社員への福利厚生として導入し、安価に販売もしくは自由に食べれるようにするなどで、社員の健康→働き方改革という広がりを見せています。
また「結果にコミット」というコピーで筋トレ・ダイエットなどで有名なRIZAPとコラボしたことで一躍話題となっていて、、OFFICE DE YASAIはテレビ・雑誌・新聞・メディアサイトでも数多く取り上げられ、ますます注目が高まっているサービスなんです。
そのOFFICE DE YASAIの仕掛け人、実は麻布OBで2001年卒の川岸亮造さんなんです。川岸さんが代表取締役社長を務める株式会社KOMPEITO(コンペイトウ)に今日は麻布流儀編集部の者3名でお邪魔させていただきお話を聞いてまいります。
川岸亮造
麻布高校平成13年(2001年)卒。サッカー部・アメフト部。51st文実総務副局長、43rd運動会5組応援団長を務める。
2浪後に東京理科大学進学。卒業後、コンサルティングファームに就職。
30歳の時(2012年)に起業し、株式会社KOMPEITOを設立。OFFICE DE YASAIサービスを推進。キユーピーなどの事業会社やVCからこれまでに2.4億円を資金調達。
http://officedeyasai.jp/
それではインタビュースタートです!2浪が起業につながる???
麻布流儀 2012年株式会社KOMPEITO創業ということで、30歳の時に起業されたとのことですが、川岸さんが起業に至ったストーリーから聞いていきたいと思います。いきなりコンプレックスをえぐった質問から入って恐縮ですが、2浪したことが川岸さんの今につながっているって本当ですか?
川岸 そうですね、僕は2浪してしまいました(笑)。やっと大学生になって、新歓コンパなんて話題をしている時、現役で大学に入った同級生は3年生になっていて就職活動がどうのって話題ばかり。高校の時は、同じ年齢で、同じように育ってきて、6年間は一緒だったはずなのに、大学に行く時期がずれたことで、麻布の同級生と一緒に飲んでいる時は普通なんだけれど、環境を比べてみると、就職活動どうすると周りが言っているのに、こっちはサークルだぜ!みたいに違いを勝手に感じていました。
それをどうにか追いつけ追い越せじゃないのだけど、就職でコンサルティングの業界を選んだのはそんな思いがあったのも事実です。先に社会人になった同級生たちとも、数年経てばコンサルタントとして伴走ができると言いますか、コンサルタントとして一人前になれば、同級生たちもだんだん出世していき、そいつらが事業部長などのクラスになった時に絡んだりできればいいなぁなんて考えていました。なので、入社して4年間くらいはとにかくコンサルタントとしてやっていくぞと頑張っていました。だから最初は「起業」なんて全く考えていませんでしたね。
麻布流儀 そこからどう起業へと向かっていくのか?そのあたりの話を。
川岸 コンサルティングファームとして僕がいた事業部では大抵5つくらいの事業にアサインされて、入社4、5年となると自分が中心に仕事を進める立場になり、月曜から松本、東京戻って仕事して明石に行って、名古屋に行って、また東京で仕事してのように毎週繰り返して、あちらこちらを回っている感じに。土曜は社内での内部検討会議なので週6で働いていました。プロジェクトで求められている成果をギリギリちゃんと出すんですが、与えられたノルマをこなすみたいになってきて、もっと本当は一つに入り込んだりすればもっと大きな成果を出したりもできるはずなのに、まぁこれくらいでいいか、となってきて自分でも違和感を感じ始めました。
もう少し一つのことに集中してやった方が面白そうだし、世の中的にももっと面白いことができるんじゃないかなぁ、なんて考えるようになりました。会社は海外にも拠点があったのでそういったところに転籍するか、それとも、会社を辞めてスタートアップ企業の1桁目社員のようになるか、もしくはコンサルタントとして独立するかなど、考えていましたね。そんな時、同期入社のやつと農業分野で事業を作りその1つに集中し事業会社で自分で会社を作ってやるという話になり、二人で起業することになりました。そいつとは同じ日に入社し、同じ日に会社を辞めました(笑)。あの奥でTシャツ着てリラックスしているやつが一緒に始めたやつです。
麻布流儀 で、OFFICE DE YASAIを最初からスタートされたんですか?
川岸 もともとはもっと別のことでした。農業活性、地域活性を考えていたので、当初考えていたビジネスは他社でもすでにやっていたのですが、個人宅に良い野菜をお届けするというものでした。センターに集約して選んでものを送るというのではなく、生産者から直接送るという「かかりつけの農家を作ろう」というコンセプトでかかりつけのお医者様のようなイメージで、夏場は北海道の田中さんから野菜が届き、冬場は宮崎の鈴木さんからもらうのように考えました。そうやって知り合いになっておけば食糧難に陥った時にも食いつなげるなぁ、なんてバカなことも考えたりしていました(笑)。でもそのビジネスは、自分の知り合いぐるっと一周一回は買ってくれたのですが、リピーターがつきませんでした。なんですぐ閉じちゃいましたね。