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マツゲン先生旅日記「フランス、スペイン、ポルトガル旅日記」2017その1

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2017/11/18



麻布流儀編集部です。

2017年9月23日1992年卒の同期会にお招きした恩師の1人、「マツゲン」こと松元宏先生から、当日旅日記なるものをいただきました。タイトルは「フランス、スペイン、ポルトガル旅日記」というものです。ちょっと長いので3回かに分けてお伝えしようと思います。今回その1となります。2015年のバルカン半島の旅編をまだお読みでない方は先にそちらをどうぞ。

マツゲン先生旅日記「バルカン半島の旅」2015その1はこちらをクリック!

(2015年の旅日記のところにも書きましたが)僕ら1992年卒にとってマツゲンは、なんと中2から高3まで全て1組の担任をしていただいた先生で、2013年に麻布を退職されるまでなんと40年間麻布にいらしたので、他の代の皆さんもご存じな方が多いのではないでしょうか!

この旅日記は退職されたマツゲンこと松元宏先生と、同じく退職された森野満之先生が一緒に旅をし、絵を描かれているようで絵日記でもあります。松元先生が書かれた文章原文です。ぜひご覧ください!*一部キャプションなど入れると見えにくいなどあり、カットさせて掲載させていただいております。

 

「フランス、スペイン、ポルトガル旅日記」

2年前のバルカン半島がぼくにとって初めてのヨーロッパ大陸の旅、そのヨーロッパ大陸を再び訪れた。前回は、トルコのイスタンブールから始まり、ギリシャ、アルバニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、マケドニア、そしてブルガリアと足を伸ばしたが、なにしろ小さな国々、3週間でどうにかイスタンブールまで戻れた。今回は、フランスのパリからスペイン、ポルトガル、そしてまたスペインを通り抜け、パリへ戻る。前回に比べるとほんの3か国だが、走行距離はおよそ1.5倍、3600キロを優に超える。因みに、札幌から鹿児島までが約2300キロである。さてそこを3週間かけて、列車とバスでまわることになる。例によって、宿や交通機関はその場で決める。パリに着いて最初の安宿レオナルド・ダ・ヴィンチ・ホテルだけは、日本から予約した。今度も森野さんとの二人旅、彼がガイドブック「地球の歩き方」と列車の時刻表を持っているので先導役を期待し、ぼくはスケッチ道具をリュックに入れて旅立った。

先の話になるが、帰国して10日後、スペインのバルセロナでテロ事件が発生した。実はこの旅でバルセロナを訪れる予定にしていたが、事前に自宅に郵送されてきたヨーロッパ鉄道ユーロパスにミスがあり、スペインで鉄道を利用できなくなった。出発直前に、そのパスに国名の記入間違いを発見して、バルセロナ訪問は諦めざるを得なかった。バルセロナへ行けば、あのテロ事件が起きたメインストリート、ランプラス通りにもちろん行っただろうし、アントニオ・ガウディによる世界遺産サグラダ・ファミリア教会も訪れただろう。世界的に有名なこの教会の爆破もテロリストは計画していたという。2年前の2015年夏にトルコからバルカン半島を旅したときも、成田空港を離陸して間もなくトルコで自爆テロが発生、さらに旅行後もテロが起きている。今回の旅の終盤、8月5日にパリのセーヌ河畔でスケッチをしていた時、遠くに見えるエッフェル塔でISを名乗る男が騒ぎを起こしていた。咋今、戦争が続いている中東やアフリカだけでなく、どこでテロが起きてもおかしくない。旅を楽しむなら日本でよかろうに。それでも、世界を見てまわるのはなぜか、そんなことを考えるようになった。

 

さあ、出発

成田空港を7月17日(月)午前11時過ぎにエール・フランス航空機は離陸、シャルル・ド・ゴール空港に現地時間で午後4時25分に到着、およそ11時間半かかった。日本時間で夜中の11時に近い。フランスはサマータイム、時差は7時間である。パリの気温は27度、晴れ。まったく足を踏み入れたことのない地に降り立つと、やはり胸が高鳴る。広い空港を通ってTGV空港駅に辿り着き、地下鉄メトロに乗りこみ、2回乗り換えて目的の駅パルマンティエで下車、その間およそ一時間、それからどうにかダ・ヴィンチ・ホテルを探し出した。5階の一室に荷を下ろす。部屋は狭いが、まあよし。あとは、ホテル近くのカフェにてビールで乾杯、眠気に襲われながら夕食をとったのは日本時間で早朝であった。

さて、これから旅の話をするにあたって、まず辿ったルートを記しておいたほうが良いだろう。その足跡は次のようである。パリ→ボルドー→アンダイエ(国境フランス側)→サン・セバスティアン(スペイン)→マドリード→メリダ→バダホス(国境スペイン側)→リスボン(ポルトガル)→ポルト→国境→サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)→フェロール→オビエド→国境→アンダイエ→ボルドー→パリ。願わくば、観光客の少ないコースであるように、という思いもあった。

 

フランスの首都パリ

パリ。昔から作家、画家、思想家、学者、政治家・・・、が吸い込まれるように来たところだ。夏目漱石も、アーネスト・ヘミングウェイも、佐伯祐三も、ディエゴ・リベラも、・・・。パリは世界をリードした。そして、今も、人を魅了している。

パリの街は東京よりずっと小さい。その街の下に地下鉄が張り巡らされているのは、東京と変わりがない。迷路のような地下の連絡通路を歩いていると、突如音楽が流れてきて殺風景な構内が楽しい彩りになった。市内でストリートミュージシャンが駅、路上、橋上、河畔と所かまわず出現する。奏でる楽器もさまざま、大きなものはハープ、ピアノまで持ち出している。セーヌ川の畔には、ダンス、ジョガー、自転車、スケボー、セグウェイ、ナインボット・ワン等など、目まぐるしく変わる光景がある。子どもたちもボルダリング、ゲーム、・・・で楽しんでいる。川岸で恋人たちの熱い抱擁、だがもちろん主役は、やたら目につくテラス席のワインだ。この風景は、印象派の絵画といえようか。楽しんでいる、自由を楽しんでいる。

 

 

 

 

パリでは、何はともあれ芸術

パリに着くと、とりあえず美術館へ行った。到着した翌日の火曜日、朝食も取らずルーブル美術館へ足を運ぶ。ところが、なんと、休館。パリの美術館の休館日は火曜日なのだ。運よく、オルセー美術館だけは開館していた。幸先は悪くないな。そして、この旅の終盤、ルーブル美術館、ポンピドゥーセンター(国立近代美術館)、ロダン美術館、そしてマルモッタン・モネ美術館を訪れた。それでもギュスターヴ・モロー美術館やピカソ美術館等など、まだ見たいものはあった。パリといえば芸術、ルーブル美術館だけでも年間860万人の入館者があるという。美術館は宝の山だ。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェルリ、ミケランジェロ、レンブラント、ドラクロワ、クールベ、モネ、マネ、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、ゴッホ、ゴーギャン、ミレー、ムンク、モディリアーニ、ポロック、・・・。

(写真/ルーブル美術館 ミロのヴィーナス)

朝の10時、オルセー美術館前はすでに長蛇の列。バゲットサンドをかじりながら一時間ほど待ったか。入館料は12ユーロ、成田空港で3万円換金したときのレートは1ユーロ(€)=133円、従って1600円である。入館してまず、日本の美術館とは雰囲気が大分違うなあ、と思う。横たわる裸身の女、逞しい裸体の男の彫像に迎えられる。美術館とはギリシャ語でムーセイオン、学芸の女神だ。大理石の彫刻像を女性が模写していた。印象派の絵が並ぶ部屋に入ると、人々が作品を写真に撮っていた。当時の革新的な絵画、世界を絵で変えようとした画家たち、激しい息遣いが伝わってくる。妥協を許さず、さらに変革を求めた。壁面にずらっと並んだ絵画は、ギュスターヴ・クールベ「世界の起源」・・・から始まり、・・・エドゥアール・マネ「草上の昼食」・・・ポール・セザンヌ「カード遊びをする人々」・・・ゴッホ「自画像」・・・ゴーギャン「タヒチの女たち」・・・ルドン「目を閉じて」・・・あるわ、あるわ。一方、館の一画にあるカウンターでワインを飲み、食事をする人たちもいる。絵から絵へと歩を進めていると、時はまたたく間に過ぎていった。午後4時、後ろ髪を引かれる思いで美術館を出た。その後、モンパルナス駅で翌日のボルドー行きTGV列車のチケットを購入(料金99€)、セーヌ川中州のシテ島へ行きノートルダム寺院のステンドグラスを見て、次に凱旋門、さらにシャンゼリゼ通り、カフェでビール一杯、地下鉄に乗車、ホテル近くで夕食、宿に着いたのが10時半であった。パリの夜は遅い。レストランやカフェは10時ごろからどっと賑わってくる。これがパリ到着2日目の行程であった。(写真/オルセー美術館  エミール・ゾラの肖像

 

 

 

 

パリを歩く

(写真/パリ デプレ地区)

セーヌ川はパリ市内をゆったりと流れ、街を北(右岸)と南(左岸)に二分している。凱旋門広場や革命広場など拠点となる広場がいくつもあり、そこから放射線状に広い道路が何本も伸びている。道には、その角の建物に通りの名称が記してある。宿を朝出て、ぼくらは地図を片手に、夜まで歩いた。昼間の日差しは思いのほか強い。

通りは縦列駐車でぎっしり、サイクリストは専用レーンを走り、スケボーやローラースケートで若者が通行人を縫うように走っている。歩道にはテーブルとイスを並べ、コーヒーやビールを飲んで語らっている風景があちらこちらにある。歩き疲れると、地下鉄に乗った。ところが、降りようとしてドアが開かない。咄嗟に、後ろにいたフランス人がドアの取っ手を引き上げて開けてくれた。ドアは手動なのだ。パリの街は超高層ビルが林立する現代の都会とは趣がかなり違う。街全体が、まさに昔のままである。

 

 

通り、広場、電車、店にいろいろな人種を見かけ、それがフランスなのだと思う。ぼくたちはバングラデシュ人経営のインド料理店や中華料理店にも入った。なるほど、フランスという共和国は昔から移民を受け入れてきたのだ。パリの女性が颯爽と歩いている姿は、美術館の絵画から飛び出してきたかのような錯覚を覚える。バランスのよい身体、肉体美を確かに誇っている。羨ましいほどだ。ギリシャ時代から肉体を賛美し、女神ヴィーナスの裸体に美の極致を求めてきたヨーロッパの伝統が今もある。

それにしても今、中国人観光客が多い。中国一色ではなかろうか、と目を疑るほどだ。日本人の旅行者は寂しいくらいいない。ルーブル美術館を訪れる人の半分くらいは中国人ではなかろうか。通りでSushi屋だけは目についた。

 

 

パリからボルドー、そしてスペインへ

パリに2泊し、とりあえずそこを離れて南下する。モンパルナス駅を朝10時50分に立つと間もなく田畑がどこまでも続く田園風景になる。ボルドー駅に午後1時頃到着した。ここから大西洋は近い。まずは駅で、翌日国境へ向かう列車の予約とホテル探しに構内をうろうろしていると、フランス人男性に声をかけられ、案内所まで連れて行ってくれた。さて、紹介してもらった駅前の安ホテルに一宿することになり、早速ボルドーを散策した。トラムカー(路面電車)で町に出ると、観光客の多いこと、ヴァカンスなのか。やはり、ボルドーはワイン貿易で栄えた地だ。夜、レストランのテラスはどこもほぼ満員、客でかしましい中どうにか空席を見つけた。フランス人は食べることより、話すことに夢中である。彼らに真似て、もちろんワイン、Bordeux Superieurを一本注文し、コース料理を食し、長居した。それにしても、ここでも日本人を一人も見ない。

翌朝ボルドーを出発、国境の町アンダイエに昼過ぎ到着、国境越えの電車に20分ほど乗ってスペインのサン・セバスティアンに着いた。国境はどこだったのだろうか。

 

 

今回はここまで!

続けてマツゲン先生旅日記「フランス、スペイン、ポルトガル旅日記」2017その2は「スペイン編」

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