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マツゲン先生旅日記「バルカン半島の旅」2015その1

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2017/11/2

麻布流儀編集部です。

2017年9月23日1992年卒の同期会にお招きした恩師の1人、「マツゲン」こと松元宏先生から、当日旅日記なるものをいただきました。タイトルは「フランス、スペイン、ポルトガル旅日記」というものでした。

それを麻布流儀で紹介していいですか?と尋ねたところ、心良くOKいただきましたので、公開しようと準備していたところ、「実はPart.1もあるんだよ」と教えていただき、まずはそちらから公開することとなりました。昨日11/1届いたばかりのこの作品をご紹介します!タイトルは「バルカン半島の旅」2015です。

ちょっと長いので何回かに分けてお伝えしようと思います。今回その1となります。

僕ら1992年卒にとってマツゲンは、なんと中2から高3まで全て1組の担任をしていただいた先生で、2013年に麻布を退職されるまでなんと40年間麻布にいらしたので、他の代の皆さんもご存じな方が多いのではないでしょうか!

 

この旅日記は退職されたマツゲンこと松元宏先生と、同じく退職された森野満之先生が一緒に旅をし、絵を描かれているようで絵日記でもあります。松元先生が書かれた文章原文です。ぜひご覧ください!




「バルカン半島の旅」2015

とりわけ暑い盛りのバルカン半島を旅した。久しぶりの旅で、ひざの手術後の足慣らしのつもりが、つい旅のアクセルを踏み込んで加速してしまい、九つの国境を渡ってしまった。トルコのイスタンブールから、ギリシャ、アルバニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツエゴビナ、セルビア、マケドニア、ブルガリア、そしてまたトルコへと、バルカン半島を3週間でぐるっとまわった。とはいえ、今回は一人旅ではなく、友人の森野さんに同行したので、助かったことはいうまでもない。宿代も半分で済むし、ぼくの荷物の管理も頼める。宿によってはツインベッドではなく、ダブルベッドがあったのは男二人旅へのご愛嬌であろうか。毎日強烈な陽光を浴び、雨が全くないといってよいほど乾ききった風土、屹立した岩山の連なり、空と大地と海の強烈なコントラスト、そのなかを進んでいく旅はぼくが望むところである。加えて、他国の支配が繰り返され、戦争の絶えなかったバルカン半島のあまりにも複雑な過去の歴史を想像しながら先へ先へと進んでいくのは、興味深い。国境を渡ると、言葉が違うし、貨幣も次々にかわるでその都度換金しなければならない。さて、そんな旅路を少し綴ってみよう。

 

トルコ

イスタンブール

成田空港を7月20日朝10時に離陸して、バルカン半島最大の都市トルコのイスタンブールに着陸したのが午後の4時半ごろ、13時間の飛行で時差が6時間(夏時間)、腕時計の数字を日本時間から6時間戻した。ご存知のように、イスタンブールはヨーロッパとアジアの接点にあり、シルクロードの重要地点であった。ギリシャ、ローマ、オスマン帝国などに次々支配され、その名所旧跡がたくさん残っており、世界中から観光客が集まる興味深い街である。宿の屋上に立つと、古い建物が急な坂道にぎっしり立ち並び、その家並の上にイスラム寺院の頭と尖塔がいくつも突き出ている。その向こうにはマルマラ海が見える。

さて、インターナショナルなイスタンブールからバスに乗り込み、いよいよバルカン半島の旅が始まった。3時間半ほどで、エディルネという町に着く。地図では、この町からブルガリアやギリシャの国境は目と鼻の先にある。とはいえ、バス・ステーションの事務所でギリシャ国境への行き方を尋ねても、そこはどうも用をなさない。結局、翌日、泊まったホステルからタクシーに乗り込み、20分でトルコ国境へ到着した。

 

ギリシャ

ここはギリシャ北端でもある。いよいよ国境を渡る。30年ほど前に中米の国々を旅した時、国境を渡るのに苦労したことを思い出す。トルコのPassport Control Policeの出国審査は簡単で、すぐに国境を出た。兵士がいたので、国境の写真を撮っていいか、尋ねてみたが、否であった。国境は軍事的境界線でもある。朝のこの時刻、国境には通行人がいなかったので寂しいぐらいだが、やっと向こうから一人、男がこちらに歩いてきた。彼はギリシャを出国してトルコへ入国する。ギリシャの入国審査事務所まで歩くこと20分、そこの係官のチェックは厳しく、根掘り葉掘り尋ねる。「ホテルは予約しているか、それがないと入国できない(予約などしていない)」、「ユーロはどのくらい持っているか(エディルネで円をトルコ・リラに換金できる銀行は一つしかなく、そのリラを換金所でユーロにかえることができた)」、「トルコはどこに泊まったか(泊まったホステルの名刺をもっていた)」など等、しまいには入国できるのかどうかという不安を掻き立てる。とまれ20,30分後、やっと解放され、民家沿いを500メートルほど歩くとバス停が見つかり、間もなく路線バスが来たので飛び乗った。このバスを逃すと、次のバスが来るまで数時間待つことになる。

エーゲ海

バスはこまめに鉄道駅で停まり、間もなく満員となる。ひまわり畑の広がる中を3時間ほど走ると、アレクサンドロポリに着く。アレキサンダー大王が17歳で戦い、勝ち取った最初の町である。目の前にエーゲ海が輝いている。泊まったホテルで一悶着あったが、翌日そこからバスで4時間、ギリシャ第二の都市テッサロニキに行く。さすがに街は大きく、海周辺のホテル街、レストラン街は賑わっている。ところが、路地に入ると人気がなく、ビルの壁面は至る所落書きだらけだ。現在のギリシャの苦しい社会状況を象徴しているような光景である。安ホテルでは蚊とダニか南京虫に悩まされた。

 

 

 

アレキサンドロポリ→テッサロニキ

 

今回はここまで!

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