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なぜ世の中の友達というものは病気の人にテキトーなアドバイスをするのだろうか。

高橋宏和(H4卒)
date:2023/9/21

「右から左へ受け流してください。全力で」

たまりかねてぼくはそう言った。ある日の診察室での出来事。

 

「血圧の薬は飲み始めると一生やめられないから飲まないほうがいいって友達に言われた」

「クレストールは飲むと死ぬって友達に言われた」

「糖尿病になったらずっと大変って友達に言われた」

「認知症になったらそのうち徘徊しちゃうわよって友達に言われた」

「認知症かもしれないからMRI撮ってもらいなさいって友達に言われた」

「病院変えたほうがいいんじゃないって友達に言われた」

患者さんがまわりの友達から言われたという言葉の数々である。どうしてこう世の中の友達というのは病気の人にテキトーなアドバイスをするのか。善意を疑うわけではないが、言ってしまえばまあ余計なお世話である。



念のため言っておくと、上記の「友達のアドバイス」はいずれも間違いである。

降圧剤を飲み始めても、減塩や禁煙、減量などの生活改善・体質改善に成功して血圧が十分下がれば降圧剤はやめられる(ことも時にはある)。

 

コレステロールを下げる薬クレストールにも重大な副作用はあるが、飲んだ人が全員死ぬわけではない(“長期的にみれば我々は皆死んでしまう”わけではあるが)。

糖尿病になったら大変かもしれないが、食事指導や薬の治療でがんばってらっしゃるかたが大半だ。

認知症になってもおだやかに経過する人も多く、徘徊が見られるのは半分くらいの割合なはず。

認知症の診断は総合的なもので、臨床症状もないのにMRIだけで認知症と診断されることはない(医学が進歩すればまた違うかもしれないが)。

病院変えた方がいいというアドバイスは……そういうこともありますね。

 

こういうテキトーなアドバイスをする人というのは昔っからいる。

ナイチンゲールの『看護覚え書き』にもこんな一節がある。



<この世で、病人に浴びせかけられる忠告ほど、虚ろで空しいものはほかにない。それに答えて病人が何を言っても無駄なのである。というのは、これら忠告者たちの望むところは、病人の状態について本当のところを知りたいと言うのではなくて、病人が言うことを何でも自分の理屈に都合のよいように捻じ曲げることーこれは繰り返して言っておかなくてはならないーつまり、病人の現実の状態について何も尋ねもしないで、ともかくも自分の考えを押しつけたいということなのである。>(フロレンス・ナイチンゲール『看護覚え書き 改訂第7版』 現代社 2014年 p.172)


ナイチンゲール先生、なかなかに憤ってらっしゃる。白衣の天使は辛辣なのだ。

 

日々患者さんと接していると、冒頭のような「友達がこう言った」「友達がああ言った」と、友達のテキトーなアドバイスに振り回されている方によくお会いする。

そのたびに脳裡をよぎるのは「友とするのに悪きもの、病いなく身強き人」という言葉であったり、「友とするのに悪きもの、虚言(そらごと=うそ)する人」という言葉だったり。あまりにいい加減なアドバイスをされた人に会うと「友達というよりはフレネミー(frenemy=friend+enemy、友達と見せかけて実は敵、みたいな人)というべきじゃないの」と言いそうになる。

そうは言っても患者さんの友達の悪口を言うべきでもなく、脳裡をよぎるいくつかの言葉はぐっと飲み込んでおくしかない。

いろいろな思いを飲み込みつつ、自分の中でかろうじて言ってもいいかなという言葉が冒頭のアレ、「右から左へ受け流してください」というわけなのだ。

『カエル先生・高橋宏和ブログ』2016年12月15日を加筆・修正)