身にはならないがネタにはなる、という視点。
date:2026/1/19
「身にはならないがネタにはなる」。
友人の口から、名言が飛び出した。
加齢とともに感性は磨滅する。
日に日に興味関心が無くなり、無への一直線をひた走る。
芸能人の誰がどうしようと興味は無いし、流行り廃りも関心が湧かない。
今年個人的に興味関心が無くなったのは小説家のエッセイだ。
幸い小説家の小説はまだ楽しめるし、ノンフィクションやルポはまだまだ関心がある。
ただ、「当たり前の日常をさらりとした筆致でつづる」みたいなのにはまったく心が動かなくなった。加齢のせいだと思う。
例外だったのは村上春樹『遠い太鼓』で、大きい事件も起こらないのにただただ文体に酔いしれた。途中で、「やれやれやれ」が出てきた時は思わず「よっ、名人芸!」と叫んでしまった。心の中でだけど。
感性磨耗の原因は加齢だが、中でも「いまさら何を読んでも身になるわけじゃないし」という諦観は大きい。
これはまずいと内心焦っているところもある。
そんな矢先、友人が言ったのが冒頭の言葉だ。
「身にはならないがネタにはなる」。
身になるようなことを探すから「ああこの話、以前に見たことがあるな」と興味関心が薄れるのだ。
「ネタになる」というスタンスで見れば、世の中まだまだネタになることで溢れている。
そんなわけで、これからもネタを探して生きていきたいと思う。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2025年12月24日を加筆修正)












