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clubhouseと「タバコ部屋」、そしてコロナ以後。

高橋宏和(H4卒)
date:2021/2/20

「うちの病院からね、あちこちの離島に若手が赴任するでしょ。あちこちの離島を派遣医師用にイントラネットで結んだら、当初予想しなかった使われ方したんです」
10数年前に沖縄の病院で聞いた話。
「最初はね、自分のわからない症例をお互いに相談したりしてもらうためにイントラネット繋いだつもりだったんです。ほら、離島の赴任て基本的にひとりぼっちだから。
でも、イントラを運用してみたら、症例の相談もするんだけど、それよりはるかに多く、互いの孤独や、あるいは離島の医療を担うやりがいや喜び、そうした感情的なことを語り合う場になったんです。
そうやってお互いに励まし合いながらね、若い医者がそれぞれ離島でひとりで頑張ってるんだなって思って」
 
祭りには乗ってけとばかりに、ここ数日clubhouseを覗いてるんだけど、一番に思ったのは冒頭のエピソード。

コロナ禍で今までと同じように直接会って話したり、それこそ飲み会でしゃべったりするのが難しい。でも人間は誰かとしゃべりたい生き物で、そこを埋めるツールなのかなという仮説を立てたのだ。

その心の隙間を埋めるように音声SNS、clubhouseで遊んでいて、ああこれは、「ぼくにとって」タバコ部屋だ、と思った。
 
1999年に医者になったころはまだ、どの病院にも「タバコ部屋」というのがあった。いろんな科のスモーカーの医者が気だるそうにそこで紫煙をくゆらせているのだ。
ふだんは話しかけることも恐れ多いような他の科のベテランドクターも、タバコ部屋では話しかけることが出来た。もちろん、恐る恐るではあるが。
「あのー今こういう患者さんのことで困ってて…」とか「このあいだ、当直でこういう人が来て、こういう処置したんですけど、良かったですかね…」とかおずおずと聞くと、どのベテランもかったるそうに「しょうがねえなあ…そういうときはこうするんだよ」と教えてくれたものだ。なぜか誰もがかったるそうで、やっぱタバコって体に悪いんすかね。
 
「このあいだ外科に紹介したあの患者さん、どうなりましたかね…」と聞くと経過を教えてくれたりして、あれはあれで有意義な場だった。なぜか外科にはスモーカーが多い印象で、ある外科医に聞いたら「ストレス解消には酒かタバコだろ?酒にハマると手が震えるから、外科医はタバコを吸うんだよ」と言っていたが本当だろうか。
時は過ぎ、日本の病院から「タバコ部屋」は無くなった。喫煙の害は広く知られるようになったし、一人前の病院と認められるためには病院の敷地内に喫煙所があってはいけないという決まりがある(本当)。
健康とモラルは手に入れたが、そのために手離したものもあるというだけの話だ。
 
もっと時を遡る。
「オレがあの病院にいた頃はさ、夕方5時過ぎるとみんな医局でビール飲み始めて、麻雀するんだよね、夜中まで。心臓血管外科の先生とか麻雀強くて。夜中まで毎晩麻雀やってるから、救急車で重症患者が運ばれて来たりすると若い先生が血相変えて医局に飛び込んで来て、『センセイ!重症です!手、貸してください!』とか言うわけ。そうするとホロ酔いの猛者たちが、『しょうがねえなあ…』って麻雀やめて救急室に降りてくるわけ」。
昔、ベテラン脳外科医から聞いた話。
 
さすがにぼくが医者になった自分には、医局でビール飲んだり麻雀したりはなかったけど、そういう時代の若手はずいぶん心強かったことだろう。「しょうがねえなあ…」と救急室に現れる各科の猛者たちって、アベンジャーズみがあるよなあ。
 
まあそのころの先生がたってのは家庭生活は捨てていて、子どもの授業参観も行かないし、運動会や家族旅行中に患者の急変で病院に呼ばれるなんて当たり前だった。個人的には今のほうが良いが、そのときと同じような「いつでも病院にいてくれる、何があってもすぐ駆けつけてくれる医者」を求めることはもう出来ない。
 
ぼくが医者になったころはちょうど過渡期で、そのころまでは業務時間内に「各科対抗、新人医師によるソフトボール大会」とかあったし、科によっては「毎年元旦の朝は教授回診があり、医者は全員集合」というのもあった。正月には教授宅にあいさつにいくという風習があったり、餅つき大会やったり、花見やったり。
外科なんかは、新人医師の食事はすべて指導医のおごりで、遊びに行くのもぜんぶ指導医が持つという風習もあって、そのかわり手足となって働けというわけで、こういうのはお笑い芸人の「先輩が全部払う」という文化と相通じますね。今はどうなんだろう。
 
そういう時代が楽しかった人もいるし、息苦しかった人もいる。今は医者も個人主義が強くなってラクになったが、そのぶん研修医は孤独とアイデンティティの確立が難しいことで病んだりしている。まあ人間はいつだって無いものねだりで、誰しもその時代の中でなんとかやっていくしかない。
 
手に持てるものは限られている。何かを手にしたければ、何かを手離さなければならない。
仕事に浸食されない個人生活を手に入れたのだから、そのぶん濃厚な職場の人間関係は手離さざるを得ないという話だ。

いいとこどりはできない。
 
2020年2月、日本国内でもコロナのワクチン接種が開始となった。コロナ禍を埋めるように現れたclubhouseはこれからどう使われていくのだろう。
コロナ禍を乗り越えたあと、ぼくらは何を得、何を手離すのだろうか。