第45回 麻の葉会展11/22-28開催のご案内
第45回 麻の葉会展のご案内です。
先年亡くなられましたが、財務大臣をされておりました与謝野馨さんも会員として写真を出品していただいておりました。
本年には第45回展を迎えます。
現在は昭和28年卒は会長及び他2名、昭和32年卒が9名と奥様1名、残り4名の卒業生が会員となり、活動は本展覧会及びその準備活動をしております。
中野純第17回作陶展、松屋銀座にて10/21-27開催
麻布流儀編集部です。
以前2018年に紹介させていただきました1991年卒の陶芸家、中野純さんより作品展のお葉書をいただきましたので、紹介しておきます。
2018年の記事(当時インタビューあり)
https://azabu.style/news_cat2/1951
中野純第17回作陶展
2020年10月21日(水)〜27日(火)
松屋銀座7階遊びのギャラリー
午前10時〜午後8時
*25日は午後7時30分まで
*最終日は午後5時閉場
お問い合わせ/松屋銀座7階遊びのギャラリー 電話03-3567-1211大代表
中野 純
1972年 千葉県生まれ。1991年 麻布高校卒業。 1996年 東京大学文学部社会学科卒業。 大学1年の時に陶芸に出会い、出会ったその日にこれを生涯の仕事にすると心に決める。在学中に小さな電気窯をもち、陶芸制作を開始。 卒業後の3年半は、集英社にて雑誌編集の仕事に携わり、写真家の立木義浩氏をはじめ様々な出会いに恵まれる。 2000年より集英社を離れ作陶に専念。同年5月の松屋銀座本店での初個展を皮切りに、名古屋、神戸、岡山、広島、金沢、熊本、富山、福岡、仙台と、徐々に発表の場を広げている。 アトリエは当初東京都練馬区立野町にあったが、2006年末に千葉県長生郡長柄町に移転。緑に囲まれた静かな環境の中で制作に打ち込んでいる。
公式ウェブサイトはこちら
速報!おおたとしまさ氏・書籍「麻布という不治の病」10/1発売
麻布流儀編集部です。
1992年卒の教育ジャーナリストおおたとしまささんが、10/1に麻布に関する書籍を出版されるという情報を入手しました。
書籍のタイトル「麻布という不治の病:めんどくさい超進学校」
小学館新書
なんと9名の麻布OBのインタビューから構成されていて、 登場する卒業生は(敬称略)
谷垣禎一(元自民党総裁)
亀田隆明(亀田メディカルセンター理事長)
前川喜平(元文科事務次官)
湯浅卓(国際弁護士)
宮台真司(社会学者)
伊藤羊一(ヤフーアカデミア学長)
千葉功太郎(個人投資家)
吉田尚記(ニッポン放送アナウンサー)
ときど(プロゲーマー)
と超豪華です!
著名卒業生のインタビュー以外にも創立者の江原素六の逸話や、学園紛争を体験した卒業生の回想や、現役生との座談会、また著者自らの思い出など様々な視点から麻布の面白さを掘り下げている一冊です! せっかくですので、著者のおおたとしまささんに、校了日にコメントをいただきました!(以下おおたさんのコメントです)
まず、本書執筆にご協力いただいた9人の卒業生およびその他の方々に感謝の意を伝えたいと思います。
さて、今回の本は、この仕事をしている以上、いつかは書かなければいけない1冊だったと思っています。母校について書くことは、まるで自分の身体の一部を切り出して自分の目の前に置き、デッサンするような、グロテスクな経験でした。
教育ジャーナリストとしての自分と麻布生としての自分が衝突をくり返します。母校への愛を行間に込めつつ、手前味噌や我田引水や自慰行為にならないように細心の注意を払いました。
むしろ対象が母校であるが故に自己批判的な視点も強めに盛り込みました。一部の関係者からは反発があるかもしれません。その点においては、あえて嫌われる覚悟で書きました。
また、行間に私という人間のエゴを見透かされるであろうことも間違いありません。いままで60冊以上の本を書いてきましたが、これほどまでに自分という人間の本質を明らかにしてしまった本はありません。
通常、学校をテーマに1冊の本を書く場合には、学校の全面協力が必要ですが、今回はあえて学校に無断で書きました。私の筆力のなさゆえの我田引水のそしりや、私のエゴや、自己批判的な内容への反発に巻き込みたくなかったからです。母校の力を借りてしまうことで、そこに私の甘えが生じるのが嫌だったという理由もあります。よって、今回の本の内容に関するいっさいの責任は私にあります。
だから、いまの気持ちは「怖い」です。
本書において私は、母校をあえて自分からは切り離して、考察しました。今度はこの本が考察される番です。今日まさに校了日なのですが、書き終えた開放感はありません。ここからが、自分の信念が試される、本当の勝負だという気持ちです。
おおたとしまさ
教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ、麻布中学・高校卒業、東京外国語大学英米語学科中退、上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌の監修・企画・執筆を担当し、現在は主に書籍執筆や新聞・雑誌・web媒体への寄稿を行う。メディア出演や講演活動も多数。中高教員免許をもち、私立小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験もある。著書は『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『名門校とは何か?』など60冊以上。朝日新聞、VERYなどで連載。BSテレ東「THE名門校」、FMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」にレギュラー出演中。
お求めは書店やアマゾンにて10/1発売!
2005年卒坂本真介さんの個展のお知らせです。
麻布流儀編集部です。
2005年卒の坂本真介さんの個展の情報が入りましたのでお伝えいたします。
坂本真介〈BOLD AS LOVE〉SAKAMOTO Shinsuke〈BOLD AS LOVE〉2020年9月18日[金]—9月29日[火]12:00–19:009月18日[金]_12:00–21:009月22日[金]_12:00–21:009月25日[金]_12:00–21:00Close9月23日[水]・24日[木]Printed Union150-0001東京都渋谷区神宮前6-32-7近藤ビル1F6-32-7KondoBLDG.1F, Jingumae, Shibuya, Tokyo,150-0001, JAPAN.
2013年卒の建築漫画家「芦藻 彬」さんインタビュー
去る7/22コロナ禍で「麻布流儀まつり」なるオンラインイベントを開催したところ、急遽現校長である平秀明校長が参加してくださり、その際、平校長から耳寄りな情報をいただきました。2013年卒の篠原彬さん(著者名/芦藻 彬さん、以下せっかくなので著者名で)が書いた「バベルの設計士」なる漫画の上巻が絶賛発売中という話題でした。
そこで、平校長から直々に連絡先を教えていただき芦藻(あしも)さんにインタビューしました。
<漫画家/芦藻 彬(本名・篠原 彬)プロフィール>
建築漫画家。2018年、ジヘンより「微分、積分、世界の終わり」でデビュー。執筆活動と並行して建築学を学び、2019年Universita IUAV di Veneziaに留学。古代オリエント建築漫画「バベルの設計士」連載の他、自身の主催する自家製本レーベル「羊々工社」からも建築漫画を刊行している。
・1994年6月15日、神奈川県生まれ
・2013年3月(H25年)麻布高等学校 卒業
・2013年4月 東京工業大学 工学部 第6類 入学
・2017年3月 東京工業大学 工学部 建築学科 卒業
・2018年10月~2019年9月 Universita IUAV di Venezia(イタリア共和国、ヴェネツィア)に留学(トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム9期生)
・2021年3月 東京工業大学 環境・社会理工学院 建築学系 建築学コース 卒業見込
<年表>
2015年 第116回四季賞冬のコンテスト佳作受賞
2016年 大岡山建築賞・銀賞
2016年 土木デザイン設計競技 景観開花。 佳作受賞
2017年 三大学合同講評会 岡部賞、中山賞受賞
2017年 日本建築学会にて「篠原一男の非住宅作品のスケッチにみる図形的特性」を発表
2018年 「微分、積分、世界の終わり」でデビュー
2018年 「バベルの設計士」連載開始
2019年 表参道スパイラルにて「ヴェニスに棲む魔物」を自主施工した什器とともに展示発表(https://kuma-foundation.org/exhibition/work/2019_akira-ashimo/)
2020年 「バベルの設計士」移籍再連載、6月に単行本上巻が発売
※また、2018より公益財団法人クマ財団奨学生(2020年現在継続4期生)
──今年6月19日にジャルダンコミックス(実業之日本社)から発売された「バベルの設計士(上)」について色々とお話をお聞きしていこうと思いますが、まずはその前に、麻布時代の話から聞いていきたいと思います。 芦藻さん、麻布時代のことを教えてください!
芦藻 麻布時代は、漫研、卓球部、軽音部、美術部同好会と無駄に多方面に手を広げて遊んでおりました。選ぶのが下手というか、欲張りな奴だったなと思います。(今もあんまり変わっていませんが・・・) その中でも、やはり同じように漫画を書いている友人、小説を書いている友人、音楽を作っている友人などと特に仲良くしており、暇さえあれば作品の話をしている(コンテンツの話以外できない)オタクでした。文化祭も大好きで、毎回友人が主催していた展示の絵を書いたり、Tシャツをデザインしたり、バンダナをデザインしたり・・・やはり何か作るのが好きでした。自分が最高学年だった高2の文化祭では、幼少期から好きだったファイナルファンタジーに関する有志展示を行い、雑誌と称して同人誌を3冊作るなど、振り返ると今コミティアなどの即売会に出てやっていることの源流が文化祭にあったんだなと感じます。問題を起こしてしまった時の対応なども大変真摯かつ寄り添ってくれるもので、心底この学校に入ってよかったな、と思っています。
──漫画はいつから描いているのですか?
芦藻 幼少期から日めくりの裏に見よう見まねで漫画を書いていました。(ドラえもんやどこでもいっしょなどの既存のキャラクターを使って・・・)
宇宙やロボットといった科学も好きで、科学者兼漫画家になりたい、などといっていた気がします。水泳、そろばん、英語などの習い事に通わせてもらい、忙しくも楽しい日々を送っていました。中学受験勉強は少しスロースタートだったのですが、下のクラスから入れたことで伸びる楽しさを得ながら勉強できたので、とにかく塾が楽しかったのを覚えています。塾の合間に、やはり当時ハマっていたドラゴンボールの二次創作漫画を描いていました。
一番しっかり漫画を描こう、完成させようと思ったのは、中学3年生の頃に「G戦場ヘヴンズドア」という日本橋ヨヲコ先生の漫画(https://www.shogakukan.co.jp/books/09187809)を読んだことがきっかけです。同級生に相当本腰を入れて小説を書いていた友人がいたことも大きかったと思います(G戦場ヘヴンズドアも彼が教えてくれました)。自分もきちんと作品を完成させなければという意識が生まれ、お話の作り方など本当に色々とリードしてもらいながら、中3の後半に描いて高1の文化祭で発表したのが第1作目の漫画でした。
──自己分析するとどんな子でしたか?
芦藻 漫画家一本じゃ生きてはいけないから、漫画家とあと何になろうかな……などと考える嫌な子供でした。恐竜、宇宙、科学などに興味がある時期は、科学者兼漫画家になる!と言い、文章を書くのにハマった時はジャーナリストとかライター兼漫画家、そろばんの先生…なんて時期もあったと思います。笑 漫画家だけは、なぜが変わらなかったのですが、本気で一本で食べられる作家になれるという感覚はあまりなかったんですよね。
また、絵を書くことも好きでしたが、どちらかというと工作が好きで、暇を見つけてはダンボールやセロハンテープを駆使して何かしら作っている子供でした。絵を描くのも、工作で作るものの完成予想図を描くためだったと言いますか。その辺りは、建築学科で立体を作るようになった時、模型製作などに活きているなと感じます。
──建築を学ぼうと思ったきっかけは?
芦藻 大学進学を考えるにあたって、美大に行くか悩んで美術の相羽先生に相談したところ、「漫画は美大に行かなくても描ける。個性を活かすなら、勉強もできるところを活かして何か大学で専門的なことを学んだ方がいいのではないか。建築学科は美大的な側面もあるし、絵も描くから楽しめるかもよ」というありがたい助言をいただきました。当時から街を歩くのは好きで、休みの日に友人たちとビルや街中の建築を見ながらひたすら歩く、というようなこともやっていたので、建築学科、いいかもしれないなと。入ってから色々今まで自分がやってきた創作とのギャップに直面するのですが、それも含めて建築学科に入って本当に良かったなと思っております。
──そんなに麻布の先生って親切でしたっけ?笑
芦藻 教養総合という授業があって、相羽先生の授業を取っていたので、親身に相談に乗っていただきました。
──うらやましいです、笑。美大に行かず建築学科でもちゃんと賞を受賞していたりしてすごいじゃないですか!でもそちらの話は置いておいて、漫画家になるまでの流れみたいなことを教えてください!
芦藻 中高では同人誌サイズで原稿を書いていたので、賞への応募ができませんでした。そこで大学に入ってからはきちんと商業サイズで描いて賞に応募しようとしていたのですが、大学でもサークルや学科や学生団体など余計なものに色々手を出してフラフラしていたため、初めての賞の応募は3年の夏でした。そこでありがたいことに講談社アフタヌーンの四季賞で佳作を頂くことができ、担当さんと共同作業での作品作りが始まりました。
しかし商業漫画で何を書けば良いのかよくわからず、自分の打ち合わせの下手さ、コミュニケーションの不足も相まって迷走してしまい・・・4年生になると卒制、卒論に追われることとなり、制作の時間が取れなくなってしまいました。その時、建築の卒制に無理やり漫画表現をねじ込み、そうして描いた作品を引っさげてプロアマ広く漫画家が集まる合同即売会「COMITIA」に出展するようになりました。すると、幸いなことに色々な編集部の方からお声がけいただくことができ、その中の御一方がちょうど新しいレーベル「ジヘン」を立ち上げたばかりの編集長さんで、とんとん拍子に企画が進んで連載が決まったという流れです。
実はイタリアへ留学に行くことが声をかけていただいたときから決まっておりました。編集長さんの「いいじゃないですか、海外で連載!新しい!」という発言を聞いたときは、まさかそんなの無理だろう…あるわけがない、と思っていました。しかしとんとん拍子に話が進み、本当に留学と並行して連載が始まったときは自分でも驚きました。漫画家ってそんなに自由な職業なのか…と、笑 そんな状況でも、連載を任せてくださったジヘン編集部には今でも本当に感謝しております。
──なるほど、講談社アフタヌーンではそのチャンスをモノにできなかったのですね。やはり編集者が重要なんでしょうか?
芦藻 講談社の時は学業との兼ね合い的なタイミングが悪かったこともあり、残念ながらまだお仕事までは繋げられておりません…。とはいえやはり憧れの雑誌なので、書き続けていく中でいずれリベンジを果たせたら…!と思っております。はい、漫画制作において編集さんの存在は本当に重要だと思います。色々なスタイルがありますので一概には言えませんが、企画が編集さんのアイデアからスタートしている漫画も多くありますし、プロットや展開も一緒に考える、まさに二人三脚で一緒に作っているんだということがプロになってよくわかりました。
──『微分、積分、世界の終わり』という作品をマンガZEROで読んだことがあるのですが、こちら学校が出てきますけど、麻布ですか?
芦藻 学校が出てきますが、麻布時代の話ではないです。笑 ドラえもんを意識して描いたとんち小噺SFです。
こちらの作品は、初めて賞をいただき、次の作品をと編集さんと仕込みをしていたときに描いた作品でした。当時自分が商業作品のイロハを持たず、何を描きたいのかも全然わからず五里霧中だった時、一般的な商業とはだいぶ異なる方向の作家さん(panpanya先生)に影響を受けてしまい、「これだ!!これなら描けるかもしれない!!」と意気込んで一人で勝手に描いてしまったという、実はイタイ()作品です…。
とはいえワンアイデアの面白さには非常に自信があったので、意気揚々と賞に送りました。結果は惨敗、一次選考で落とされてしまいました。(このときに編集さんから伺った商業漫画についての話が後々非常に腑に落ちて大きな学びとなりました…)
とはいえ、当時の自分はあまり納得がいっておらず、「面白いのに!」と頑固炸裂で自費出版、アマチュア即売会にて頒布していました。それで声をかけてくださった編集さんもおりましたので、その辺りも色々学びになったなと思います。そして、先ほど書いた連載が決まった編集部で、たまたま打ち合わせに持っていった原稿ケースの中に古い「微分、積分、世界の終わり」の原稿が入っており、編集長から「この漫画やっぱり面白いですよね。連載の前にこれ読み切りとして乗せてデビューします?」という、涙が出るようなありがたいお言葉をいただき、図らずも報われる運びとなりました。捨てる神あれば拾う神あり・・・(のちに、「新人賞と私」という同レーベルの企画でこの内容を簡単な漫画にするなどしました。
(同じものですが、こちらでも公開されています(https://manga-zero.com/product/3160 ※第10話)
──大変お待たせしました!それでは『バベルの設計士』について、著者自ら語ってください!
芦藻 ―「輝く太陽に届く塔を建てよ」。王による前代未聞の超難題に挑むため、王宮の設計士ガガは、ノアの末裔であるニムロデを探すことに。王宮に連れてこられなければ待ち受けるのは無情なまでの刑罰。4,000年前に、栄華を極めた都市を舞台に繰り広げられる、天才設計士たちの歴史浪漫譚ここに開幕!!―
現役東工大大学院の建築学科に所属する作家と、講談社で長年編集として活躍され、のちに独立された建築学科出身の編集長が、最初の案出しから協業し、粘り強く進めた筋金入りの企画です!連載開始前には、1年間NHK文化センターに通って「古代オリエント史」を受講し、メソポタミアに関する書籍を多数出版されている講師の方に直接様々なことを取材させていただきました。時代考証をしっかり抑えつつ、ベテラン編集さんの力を借りてしっかりエンターテインメントに仕上げておりますので、歴史好きの方もそうでない方にもお勧めできる1冊となっております。1冊で270p超と、特厚のボリュームも見どころです!全国書店で展開中ですので、ぜひぜひお手に取ってお読みいただければ幸いです!
──なるほど、麻布時代にメソポタミアのことを学んだとかそういうことを期待していたのですが、違うのですね?笑
芦藻 今思うと歴史も面白くてもっと勉強しておけばよかったですが、一応僕、理系なので歴史はあまり学ばなかったんですよ!
──建築ですから確かに理系ですね、笑。せっかくなので麻布時代のこと、創作活動のことを最後にもう一声!
芦藻 麻布時代の創作仲間(小説書き、漫画描き、曲作りマンなど)は、本当に掛け替えのない宝です。彼らがいなければ、麻布在学時あんなに熱を入れて漫画を描かなかったでしょうし、いまも漫画家になっていたかわかりません。クラスが違っても毎休み時間や放課後にはしょっちゅう創作の話をし、作品を見せ合い、批評し合い、名作を紹介し合ったのは、間違いなく青春と言える一コマでした。結局大学に入ってもそのメンバーで旅行したり、執筆合宿をしたり、飲みにいったり、映画を見たり…麻布時代とそこまで変わらない頻度で会っていたように思います。「微分、積分、世界の終わり」も、「バベルの設計士」も、企画時点では集まるたびにみんなが意見を出してくれ、ときに叱咤、ときに背中を押してくれたことで、最終的に今の形で発表できています。今後もそういう会は続けていきたいです。
徐々にみんな社会に出る年になり、商業の世界でも活動できるようになってきましたので、今度は身内だけじゃなく、広く世の中に発表できる形で色々とコラボレーションしていきたいという野望もあります。麻布の教室でやっていたことと本質は変わっていませんが、根っこの部分は変えずにこの先も共に生きていけたら、本当に幸せなことだなと思います。実現できるよう、手を動かし続けます!
──あ、最後にと言いながら、そう言えば同期でもう一人今度漫画家いるって本当ですか?それがそのお仲間?
芦藻 そうなんですよ、同期に辻次っていう奴がいるのですが、なんなら彼は僕よりずっと前に賞をとってデビューしています。大学前半はよく手伝いに行きました笑(彼にもたくさん手伝ってもらってます!笑)
──なんか2013年卒は漫画家当たり年ですかね!?驚きですが、今後、対談とかも検討していきましょう!今日はありがとうございました。また近いうちに話しましょう。あ、そうだ、ちなみに下巻がいつ出るんですか?
芦藻 下巻はなんとか年内には発売できるかと思います。ありがとうございました!
ぜひ、芦藻さんの「バベルの設計士」お買い求めください!下巻も年内には出るようなので注目しましょう!
平成22年卒四柳さんの動画を紹介!
以前、麻布流儀で紹介しております、平成22年卒の四柳智惟さん。
以前の記事↓
https://azabu.style/news_cat2/1411
お笑いトリオ「ピーチ」は残念ながら解散してしまったそうですが、今は完全フリーとして、役者や作家業、動画制作などやっているとのことです。
最近のプロフィールを教えていただきました。
四柳智惟
自作コントを行うコントライブを軸として活動する。 シアターコモンズ’18 シュウ・ジャウェイ「黒と白ーパンダ」において、コント台本の執筆と出演を担当。 俳優としてはジョナサン・マンビィ演出「民衆の敵」、劇団かもめんたる「宇宙人はクラゲがきらい」、水素74%「ロマンティック・ラブ」に出演。
先日こんな動画↓(リンク先参照)をアップしてヤフーニュースでも取り上げられていました。
https://spice.eplus.jp/articles/268942
上のwindowから見れない人はこちら
https://youtu.be/QCApKqypOyc
https://twitter.com/remotemoviefes/status/1289565568027123714
松竹主催の映画祭にエントリーした『Great Teacher オンライン』という作品だそうです(^^)
7/22麻布流儀祭り速報レポ
麻布流儀編集部です。
7/22麻布流儀のオンラインイベント「麻布流儀まつり」なるものが開催されました。
ゆるく参加募集したところ30名を超えるOBが参加してくださいました。
このイベントはコロナ禍でリアルなイベントが実施できない中でも、交流は進めたいと考え行なわれたもので、
2017年9月下旬から動き始めた「麻布流儀」の約3年間を振り返り、イベントに参加いただいたOBと交流をはかるものとなりました。予定では1時間でしたが、盛り上がったので約1.5時間の開催となりました。
冒頭から麻布教諭OBの加藤史朗先生の参加に続き、平校長も自宅から参加いただき、参加者のテンションが上がる中、代表の平成4年卒前田慎一郎より今までの活動を麻布流儀Webサイトを使用して紹介しました。
今までのインタビューやレポート、イベントなどの様々な活動について具体的に言及し様々な活動に参加OBは耳を傾けてくださいました。(この麻布流儀の解説部分などは後日動画として公開予定)
麻布流儀は、麻布OBの交流促進と、その英知から生まれた「何か」で、麻布学園への貢献、そして社会貢献ということを説明しました。すべてで群れようということではなく、OBそれぞれが興味のあること、面白いと感じることで細かく絡んでいくことで、楽しみながら交流していくことがテーマです。同期、部活動などそれぞれ交流しているものはあるはずだが、さらに「斜め」というかそれを越えていくイメージです。
インタビューなどは、すでに有名なOBだけでなく、様々な分野で活躍するOBを掘り起こしていくのが麻布流儀の面白さでもあります。また、インタビューでハイ終わりではなく、ここまでしてきたように、それがイベントに発展したり、AZABO Projectのように「大人の部活動」のようなグループに発展するなどこれからも、何か一つにとらわれるのではなく、様々な交流の可能性を広げたいところです。
麻布流儀はOBの交流の場。
単発のイベント、インタビューで終わるのではなく、その交流からイベントや大人の部活動的なプロジェクトに発展するなど、麻布ならではの展開を模索していくことなどを改めて宣言させていただきました。
最年長参加の昭和32年卒中西淳博さんは、先日コロナ禍に麻布OBとして同期と100万円を超える募金をされたことなどを話されていました。
省略してしまってすみませんが(卒業年がわかる範囲で)昭和32年卒、昭和46年卒、昭和54年卒、昭和57年卒、昭和58年卒、昭和62年卒、平成3年卒、平成4年卒、平成13年卒、平成25年卒などなど30名を超えるOBが参加してくださいました。途中参加、途中抜けなどで常時接続は20数名という感じでしたが、少ない参加かも、という予想を上回り多数の参加は有難かったです。
シンガポールやアメリカからの参加者もありがとうございました。
また北海道のご自宅より参加いただいた加藤史朗先生からは元顧問をされていたチェス部50周年の話題や、肩の力を抜いて自然体で今やられていることを着実にやっていっていただけたら良い、と激励いただきました。
平校長もお忙しいところ最初から最後まで参加いただき、麻布流儀のこれまでの活動に耳を傾けていただきました。最近の麻布の状況をお話ししてくれました。また麻布流儀から知った情報を学校へ報告するなど活用していることなども話してくださいました。
「バベルの設計士」を書いた漫画家が麻布OBであることなどを教えてくださいました。平成25年卒で芦藻 彬というペンネームで活動されているそうです。こちら校長にご紹介いただき、今後インタビューなどを実施して応援していきたいと思います!
最後に「リアルなイベントはなかなか難しいところですが、しばらくはオンラインをベースで、今後10月ごろにイベントを計画中でで二月の勝者という漫画とコラボした教育ジャーナリストでおなじみのおおたとしまさ氏がイベント出演を快諾してくれています」
「麻布流儀インタビューとして、次回、株式会社カインズの高家正行さんにご登場いただく予定」
など具体的な動きも公表。
また、麻布流儀は完全にボランティア活動でかなり持ち出しが続いているので可能な範囲での協力金のお願いもさせていただきました。
https://azabu.style/katsudoukyouryokukin/
過去の記事ですが情報いただきました。
*写真はサイトのスクリーンショットです。すべての著作権は週刊現代さんです。
麻布流儀編集部です。
つい先日、ザ世界仰天ニュースの富久さんの話題を通じて当サイトをご覧いただきました麻布OBより、こんな情報をいただきましたので掲載しておきます。
週刊現代 2020年2月1日・8日号に1981年卒の河東泰之さんの記事が掲載されていたということで、本誌のP56〜59「奇人・変人・天才紙一重東大理学部数学科の人々」という記事で中学時代のエピソードなども紹介されていたそうです。
ネット記事では見つからなかったのですがこちらですね。
https://gendai.ismedia.jp/list/books/wgendai/4910206420204
ただ、別の記事ですが、こちらのネット記事にほぼ同じ内容なことが書かれているとも情報提供いただきましたので、ご紹介。
情報提供いただきましてありがとうございました。
皆様も何かこんな記事があった!などございましたらまた教えてください。
麻布流儀のFacebookページなどのメッセージなどへもおしらせください!
https://www.facebook.com/azabu.ryuugi/