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マツゲン先生旅日記「バルカン半島の旅」2015その3

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2017/11/6

麻布流儀編集部です。「バルカン半島の旅」2015その3となります。

マツゲン先生旅日記「バルカン半島の旅」2015その1はこちらをクリック!

マツゲン先生旅日記「バルカン半島の旅」2015その2はこちらをクリック! 

これで最終回となります。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

海岸から内陸へ向かい、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルに着く。400万人に満たないこの小さな国は20年前の激しい内戦が続き、20万人の死者と200万人以上の難民を出したという。バスからは戦死者の広い墓地がところどころに見える。いまだに、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦とセルビア人共和国に分かれていて、国内は自由な通行が確保されていないという。モスタルの象徴、500年ほど前、オスマン朝時代に建てられたアーチの美しい石橋も爆撃された。10年前に復元されて、今また観光客を呼んでいる。夕方、橋の頂上から15メートルはあろう川面に青年がダイビングするのは見ものだった。

 

2000メートル級の山々が連なる地帯を北上、垂直に切り立つ岩場の間を進む。モスグリーン色の谷川が流れている。暗いトンネルがいくつも続く。サラエボのボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦側バスターミナルに到着して、今度はそこから13キロ離れたセルビア人共和国側バスターミナルへ移動する。クロアチア辺りから、20年前の紛争跡を辿っている思いがする。サラエボの建物には弾痕がまだある。1984年ここで冬季オリンピックが開催されて7年後に勃発した紛争は遠い過去ではない。ターミナルに着くと、ヴィシェグラード行きのバスが出るところだった。逃すと、次のバスはいつ出るのか分からない。1分でも遅れたらバスを逃していたので、運が良かった。国境近くの町ヴィシェグラードについたのが夕方の6時、人通りがほとんどなく、素朴で寂しい町に見える。とはいえ、ここにもオスマン朝時代の11のアーチからなる石橋がある。イヴォ・アンドリッチというノーベル賞作家がいたことも知った。ただ、町といえる賑わいはない。

 

 

 

 

 

 

 

セルビア

そこから国境を越え、セルビアのウジツェに行く。山の険しさが消えて、スイスのような田園風景が広がる。今日は頑張ってニシュという町まで行く予定だが、貨幣ディナールを手に入れていない。どうにか日本円の換金できる銀行を見つけたが、そこの銀行員は日本の貨幣を見たことがない。差し出した1万円札の鑑定するのに電話やらなんやらで確認に時間がかかること、それでも最後には2万円で1700ディナールいただいた。ニシュに着いたのは午後の8時半だった。この地は見るべきものはないが、中継地点として旅行客に利用される。

 

マケドニア

旅は急ぎ足になる。ニシュからコソヴォ共和国の横を通ってマケドニアへ向かう。コソヴォはセルビアの自治州であったが、今から7年前に独立を宣言した。だが、セルビアは承認していないという複雑な関係が続いている。マケドニアの首都スコピエまで5時間のバス旅、午後の3時に着く。強い日差しのなか、目指すホステルの方向を間違えてしばらく歩いたところで通りがかりの女性に道を聞き、英語の分かる人で助かった。夜は街を見てまわる。あちらこちらに銅像が立っていてその数の多さに驚いた。街の中心には、アレキサンダー大王のどでかい像がある。あたりはクラッシックが流れ、その音楽に合わせるかのように照明に照らされカラフルな噴水が踊っている。そこにいるだけで、じつに楽しい気分になった。帰りにまた道に迷った。何度も通行人に道を尋ねたが、指示された道を行くうちにまた迷ってしまう。ところが、方向が定まらずとにかく歩いていると、突如僕らが泊まっているホステルが現れた。なぜここに出たのか、不思議でならなかった。





ブルガリア

マケドニアからブルガリアの国境を渡る。山道から国境へでると、そこは閑散としている。乗用車2台、トラック1台、バイク1台を見ただけである。8時40分にスコピエを出て、ソフィアに着いたのが午後の2時であった。一つ目のホテルは満室、隣のホステルが空いていたのでそこへ投宿する。後でわかったのだが、ホステルの下にある路上喫茶店にいるとき、背が非常に高いアイルランドの少年たちが来たので声をかけたところ、今ヨーロッパ・バスケット大会が行われているとのこと。24か国から16歳の代表選手たちが集まり、試合は2週間続くという。

この地に2泊する間、山奥にあるリラの僧院にスケッチしに行った。そこで、一人旅の日本人女性に出会った。彼女は会社を辞め、ヨーロッパの旅を始めて1か月、来年の2月まで旅を続けるそうである。アフリカにも行くという。彼女は過去にインドやラオスも旅している。今回は日本人に出会うことがほとんどなかっただけに、そんな若者をみて頼もしく思った。彼女の話を聞いていると、旅行スタイルがぼくとはかなり違った。大事な持ち物はスマホと銀行カード5枚だけで旅行すべての用が足りていた。ぼくは重たいガイドブック3冊と文庫本、それに日本円の現金も身に着けている。ぼくの旅行装備は時代遅れだとつくづく思わされた。

さて、この旅の最後の訪問地はプロヴディフであった。ブルガリア第2の都市と言われているが、町はこじんまりしている。歴史的にはかなり古くから開けたところらしく、ローマの円形競技場跡が地下にある。翌日、一路イスタンブールへ向かうが、泊まったゲストハウスで食べた朝食が実にうまかった。今回の旅で、最高の食事ではなかったろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、マツゲンこと松元先生の旅日記をお送りしました。

2017年の旅日記もまた近日公開いたします。松元先生、ありがとうございました。

*一部キャプションなど入れると見えにくいなどあり、カットさせて掲載させていただいております。