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駅弁の立ち売り

福岡健一
date:2019/5/28

 岐阜県のJR高山本線美濃太田駅で実施されている駅弁の立ち売りが、2019(令和元)年5月31日限りで終了、駅での駅弁の販売も同日で終わるという。

 駅弁の立ち売りとはなにか。1970年代(昭和40~50年代)までに鉄道旅行を経験しているか、駅弁の立ち売りが続いたごく一部の駅の利用者でなければ、用語の説明が必要だろう。鉄道の駅のプラットホーム上で、鉄道事業者の許可を得た人が、首あるいは肩にかけた大きな箱に商品を収めて、ホーム上を移動しながら客に販売するスタイルを「立売」と称し、これで駅弁を売れば駅弁の立ち売りという。プロ野球のスタジアムで試合中にビールを売りに来る光景をイメージするとよい。

 かつては、具体的には日本国内に鉄道や駅弁が出現した1880年代頃から1970年代くらいまでは、駅弁は立ち売りで売られた。東京から大阪まで汽車で半日かけて旅をした時代、東京駅から約3時間で沼津駅に着く。この鉄道の要衝では機関車を付け替えたので、列車が十数分も停車する。そろそろ腹が減ってきた。すると車窓に駅弁の立ち売りが「べんと~、べんと~」と叫びながらやってくる。汽車の窓を上げて開け、売り子さんを呼んで、弁当1個と伝えて窓越しに現金を渡せば、弁当とお釣りを突き出してくれる。昔の映画やニュース映像などに時々、そんな光景が記録されている。沼津駅では特に駅弁がよく売れたようで、「沼津までヌマヅクワズ(飲まず食わず)で行こう」などという駄洒落も記録されている。

 1960年代、特別急行列車が日本全国を走るようになり、新幹線が出現した。特急や新幹線は空調完備で窓が開かない。駅弁を立ち売りで売れないため、駅弁屋は駅に売店を構えたり、車内販売に進出するといった対策をした。昭和の終わりとともに、駅弁の立ち売りはほぼ見られなくなった。駅弁は売店で、あるいはスーパーやデパートで買うものになった。

 駅弁の立ち売りは意外にも、一部の駅では21世紀にも残っていた。しかし売り子さんの高齢化や駅弁屋の廃業などで漸減した。稚内駅、酒田駅、宇都宮駅、下今市駅など、具体的な駅名を挙げると、懐かしむ人がいるかもしれない。今も駅弁を駅で立ち売りする駅は、岐阜県の美濃太田駅、福岡県の折尾駅、熊本県の人吉駅の3駅。他に夏場に限り北海道の森駅、観光列車発着時に限り新潟県の直江津駅、あるいは不定期で駅弁の立ち売りを実演する駅がいくつかある。

 美濃太田駅で駅弁の立ち売りが続いたことと、駅弁の立ち売りがなくなることが、テレビや新聞やネットのニュースになったことは、驚くべきことかもしれない。

 高山や下呂などの観光地を縦貫する高山本線が長良川鉄道と太多線を分け、日本ライン観光の玄関口であった美濃太田駅は、もうふた昔かそれ以上前から、名古屋や岐阜の近郊にある通勤通学の駅であり、駅弁を買うような客が来たり乗り換える駅でない。最盛期には一日あたり300~400個も売れた駅弁「松茸の釜飯」も、今では10個に満たないと今回報道されている。ふた昔前に駅弁そのものがなくなっていて不思議でない駅で、昭和時代の駅弁が古風な方法で売られていた。

 また、駅弁の立ち売りは、かつて当たり前の光景であったためか、どの駅でいつなくなったか、ほとんど記録されていないうえ、話題になることもない。最近でも2018(平成30)年9月限りで鹿児島県の吉松駅での立ち売りが終了したが、情報がツイッター上に少し出回った程度であった。

 多くの人が目にする場で紹介されたことにより、駅弁のこと、駅弁の立ち売りのこと、美濃太田駅で「松茸の釜飯」が立ち売りで売られたことが、少しは知られるようになった。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

駅弁資料館 http://kfm.sakura.ne.jp/ekiben/