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妓夫太郎と『ナナメの夕暮れ』

高橋宏和(H4卒)
date:2022/2/15

〈いつもの散歩コースの神社の階段を降りて大通りに出た。
すると、頭にすっぽりと黒いフードをかぶった暗い目をした男とすれ違った。
一瞬目があったけど、世界への恨みを募らせたような目つきが怖くて思わず目を背けた。
もう少し目を合わせている時間が長かったら、殴りかかってきていたのではないだろうかというような目つきだった。
「誰でもいいから殴りたい」。目がそう言っていた。
世界への恨みは歩き方にも現れていた。
歩行速度が遅く、あまり足を上げずに擦るように足を出す。
その足音が「ここには居たくない」ことと「行き先がない」ことを同時にあらわしていた。〉(若林正恭『ナナメの夕暮れ』文春E-BOOK 2018年あとがきkindle版1889/2037)
 
「たまたまだよな」
最近、友人たちが口々に言う。
「ほんと、俺たちがここにいるのはたまたまだよな。なんとか生き残ってこうしていられるのも、たまたまだよ」
ドリョクやサイノウやキモチノモチカタ、そうしたことの積み重ねで人と差をつけましょう。
本屋に行けばネットを開けばそんな言葉が溢れている。生き残りのために熾烈な戦いが要求される世の中だ。
なんとかかんとか40代後半まで泳いできて、広い意味では生き残ってきたといってよいのだろう。
だが、若林正恭氏のいう「黒いフードをかぶった暗い目をした男」と自分は、紙一重だった。そしてこれからも紙一重だ。
何が彼と自分を分けたのだろう?
答えはそう、「たまたま」だ。
 
『鬼滅の刃』遊郭編では、鬼の兄弟、妓夫太郎と堕姫に、炭治郎と禰豆子の兄妹が対峙する。
「もしかしたら、あいつがオレで、オレがあいつだったかもしれない」。
炭治郎と、おそらく妓夫太郎の心中に芽生えただろうそんな感情に、一部の視聴者はこころを揺さぶられただろう。
そう、紙一重で、たまたまが、あんなにも大きく二組の兄妹の道を分けてしまった。
 
〈違う、違う。
お前と俺は多分話が合うんだよ。
きっと苦しくて、なんでこんなに苦しいんだろう?ってずっと考えていたらそれは外の世界全体のせいのような気がしてるんだろ?
それでもし「誰でもいいから揉めたい」ってイラついているんだとしたら君と僕は話が合うんだよ。〉
若林正恭氏のエッセイはこう続く。
 
炭治郎は「誰でもいいから揉めたい」とは思っていないだろうし、僕だって「黒いフードをかぶった暗い目の男」と話が合うと思うほど楽観的ではない。人と人とは、分かり合えない。
だが、「黒いフードをかぶった暗い目の男」と自分は「紙一重」で、自分がこうしていられるのはほんとうに「たまたま」だったと思える人と、話がしたいと思う。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2022年2月15日より加筆修正