麻布OBメンバーの方はログインすることで限定記事の閲覧が可能となります。
麻布流儀参加者 現在 382

アニメとRAPの素敵な関係。

高橋宏和(H4卒)
date:2026/2/16

J-POPやJ-RAPとアニメとの幸せな関係について考えている。

90年代を駆け抜けた昭和48年生まれなので、CDが大量に売れた時代に何が起こったかは知っている。

あの時代、大ヒットの多くはドラマやCMのタイアップ曲で、手っ取り早く効果的に曲を売るためにはタイアップが必要だったようだ。その裏で「あの曲が売れたのはタイアップのおかげだよね」とコソコソと言われ、特にハーコー、アンダーグラウンドなアーティストとかには「アイツもセルアウトしやがって」とこき下ろされたりした(と思う)。

時は流れ、特にアニメのOP、EDとかはJ-POPやJ-RAPの独壇場となった。そしてそれを悪く言う者はいない。

これはなぜか。

もちろんアニメとのコラボが、特に世界進出への勝利のフォーマットであるのは言うまでもない。

だがもう一点、アーティスト側にメリットがあるのではないかと気がついた。

モチーフ、世界観の提供である。

〈ラップの詞のむずかしさって、一回作った内容については二度とできないっていうことだよね。ラブソングだったら、ラブソングっていう大前提のなかで、手を替え、品を替え、同じ内容のことをいい回しだけで、作れるんだけど……。

ラップって、次の回には、ちがうタイトルで、ちがう内容じゃないと、自分でやっててつまんないわけですよ。

技術以前の問題として、〈なにを今回テーマにするか〉っていう、テーマの見つけ方に一番苦労した。しかも、最初のうちに大きなテーマを歌っちゃったりすると、総論みたいなものを歌っちゃってるから、各論みたいな部分についてはもう歌えなくなっちゃう。〉(後藤明夫・編『Jラップ以前』TOKYO FM出版1997年  p.88)と近田春夫氏が語っている。

実際、近田氏がビブラストーンを辞めたのはそういった歌うべきことは全て歌ってしまったことも一因だという(近田春夫(『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』リトルモア2021年kindle版214/365)。

聞き手側は気づかないけれど、この「歌うべきモチーフ、テーマの喪失」というのは作り手、歌い手にとって、かなり根源的な問題なのではないか。

売れっ子アーティストほど、ライブやツアーとスタジオ作業の繰り返しとなる。新しいテーマに出会う機会は減る。

一方で、売れっ子アーティストほど技術の向上には熱心だから、スキルは上がっていく。

スキルは上がっていく。歌うべきテーマは枯渇する。

〈言葉のジグゾーパズルのためだったら 辞書だって引くぞ〉なラッパーも、歌うべきテーマを求めて〈朝から瓦版に目を通す山田マン〉となる。

かつてある書き手が、〈表現したいことは山ほどある。言いたいことは別に無い〉と書いていた。

表現者としてのスキルはぐんぐん上がるのに、歌うべきテーマは喪失してしまう。

そんなアーティストにとって、アニメとのコラボは渡りに船なのではないか。

「この世界を曲で表現してください」という依頼が来たら、「よしきた任せとけ!」みたいな感じで曲作りに没頭する。

コラボのアニメの世界観をガツガツと咀嚼し、有り余るスキルでアニメのテーマや世界を描き尽くす。

アニメの世界観と、アーティストのスキルが完全にマッチングして素敵な関係が生まれる。

そんなことが起こっているのではないだろうか。

『カエル先生 高橋宏和ブログ』2025年7月7日を加筆修正)