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宮沢賢治に見捨てられた者の矜持。

高橋宏和(H4卒)
date:2026/7/17

少年時代からずいぶんと時が経った。

最近よく思うのは、「宮沢賢治に見捨てられた者の矜持」というもの。

宮沢賢治『告別』にこんな一節がある。


FIND/47より




〈けれどもちゃうどおまへの年ごろで

おまへの素質と力をもってゐるものは

町と村との一万人のなかになら

おそらく五人はあるだらう

それらのひとのどの人もまたどのひとも

五年のあひだにそれを大抵無くすのだ

生活のためにけづられたり

自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは

ひとにとどまるものでない

ひとさへひとにとどまらぬ〉


かつてこの詩を読んだ時は、怠惰や惰性で人は五年のうちに才や力や材を失うのだろうと恐れた。

しかしゆるゆると生きているうちに、才や力や材を失くした者たちの中には、あえてそれらを手放した者たちや、手放さざるを得なかった者たちもいるのだろうと思うようになった。たとえば何か、守るべきものを守るために。


そうした、五年のうちに才や力や材を失った者たちに対し賢治は辛辣だ。

〈(略)おまへのいまのちからがにぶり

きれいな音の正しい調子とその明るさを失って

ふたたび回復できないならば

おれはおまへをもう見ない〉

そうした者たちはもう相手にしない、と賢治は言う。


まあでもみんなそれぞれ事情もあるし。みんないろいろあんのよいろいろ。

だからさ、おい、ちょっとはこっち見ろよ賢治。



『カエル先生・高橋宏和ブログ』2026年7月2日を加筆・修正)