新技術と「何を学ぶか」
date:2026/10/19

photoACより
「フランスに来た時にね、最初は日本の会社健診の仕組みをこっちに導入しようとしたんです。でもダメみたいこっちの人、そういうの」
フランスで活躍しているOさんが言った。
AIやビッグデータ、さまざまな新技術が次々に現れる。
新技術に夢中な人は、魔法のような新技術によって社会は変わると説く。社会は変わる。夢のように、悪夢のように。
だが新技術に夢中な人が見落としがちなことは、新技術のことではなく、新技術を受け入れる社会のことや、新技術で作られる新世界の中に入る人間のことだ。
社会とは何か、人間とは何か。
そんなことを置き去りにして、新技術のことばかり話していると、現実と乖離する。
冒頭の話に戻る。
日本社会で生まれ育った者として、会社健診というのは良い仕組みだと思う。
だが、人類史上比類なき、芸術と文化と美食と、それからコネと暴動と革命の国のフランスの人にとっては、被雇用者が究極の個人情報である健康状態を雇用者に握られるというのは耐えがたいことなのだろう。
「忘れ去られる権利」などの概念も出てくる欧州社会には、そういうところがある。
逆に中国社会では、個人の情報の感覚がまた違うから、10数億人の個人情報をまとめ上げて活用するということが爆速で進む。
新技術というのは、新技術のことだけではなく、その新技術を受け入れる、あるいは拒否する社会についての知識も無ければ語れない。
自動運転車などもそうである。
こういうのは良い悪いではない。
国情を変えようとするのも、社会の感覚を変えようとするのも、多くの場合徒労に終わる。
順応するにせよ変革するにせよ、その社会というものをよく知らねばならぬ。
人間についても同じだ。
AIは便利だが、若者のオンザジョブトレーニングの機会を奪う。
我々医者は、職業人生の中でもなんでもかんでもサマリーを書いて育つが、サマリーをAIが完全に書くようになれば、大きな流れの中でエッセンスをつかみサマライズするというオンザジョブトレーニングの機会が若い医者から奪われる。
その他の職業でも、たとえば若い弁護士はかつては先輩弁護士の下で、前例となる判例を調べまくるというオンザジョブトレーニングをした。だがそうしたオンザジョブトレーニングの機会は、AIに奪われた。
駆け出しのイラストレーターやライターなども、小口の仕事を受けてオンザジョブトレーニングするという機会をAIに奪われていることだろう。
人間はオンザジョブトレーニングしながら成長する存在であるということを認識すれば、AIの実装の仕方も変わってくるかもしれない。
新技術を学ぶことは大切だ。
だが一方で、社会とは何か、あるいは新技術が実装される新しい社会の中に入る人間とはどのような存在かを真摯に追求することは、新技術を学ぶことと同じくらい大切なことなのだ。
<私は靴屋(シューマッハ)という名前なので、よい靴屋は靴づくりの知識を十分もっているだけではだめなことをよく心得ている。足の知識が要るのである。>(『スモールイズビューティフル再論』(2000年 講談社学術文庫p.149)
(『カエル先生 髙橋宏和ブログ』2026年10月11日を加筆・修正)














