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新型コロナと「大過なく」

高橋宏和(H4卒)
date:2020/4/15

月舟さんによる写真ACからの写真



〈「おかげさまで数十年間、大過なく仕事をしてこられまして、本日、無事に退職となりました」

とある官僚の退職パーティでの挨拶を聞いて、リスクを回避し、減点を避ける我が国の役人の傾向を痛感した。リスクをとりにいく人物なら、「大過なく」などと言わないはずだからだ。〉

どこぞの評論家のそんな論説を読んだのは数十年前。

そんなもんかと思って暮らしてきたが、この新型コロナ禍の中で、唐突に自分の思い違いに気づいた。「大過なく」の言葉の重みと凄みにやっとのことで思い至ったのだ。

 

ぼくが生業としている医療の世界では、「予防は治療に勝る」という言葉がある。長野で農村医学を打ち立てた、若月俊一先生の言葉かと思う。

若月先生らは、健康づくりのため自ら脚本を書いた演劇を地域で上演して意識啓発したり、お茶受けを漬物から果物に変えることで塩分摂取を減らし血圧を下げ、ひいては脳出血になる人を減らすという地道な活動を行い、長野の健康づくりに貢献した。

まさに、「予防は治療に勝る」を実践したのだ。

 

脳出血の患者さんを華々しく治療する脳外科医は世間から賞賛される。だが、脳出血に至る前に危険のタネを一つ一つ丁寧に潰して、「大過なく」地域の患者さんの人生を全うさせる医者には誰も気づかない。そして、それでよい。

被害が大きくなってから迅速に対応するクライシスコントロールは世間から喝采を浴びるが、クライシスに至る前にリスクに気づき、それを対処するリスクコントロールは、専門家以外には気づかれない。それでよいのだ。

 

1914年、ボスニアの一青年がピストルを取り出す前に取り押さえられていたら、もしかしたら第一次世界大戦は起こらなかったかもしれない。あるいはそれより前に、彼がピストルを入手できないような手を打てていてもしかりである。

小さな小さな危険の目に気づいて手を打つことで戦争やパニックを防げたことは歴史上無数にあって、現代でもそれは現在進行形で起こっているはすだ。

 

そう考えると冒頭の官僚氏の挨拶の見え方が変わってくる。

「大過なく過ごせた」というのはけして受け身な話ではなく、「大過に至る前にリスクを察知してうまいことコントロールすることが出来たぞ」という密やかな自負と誇りに満ちた言葉として聞くべきだったのだ。

 

2020年4月7日、安倍総理大臣から緊急事態宣言が発出された(「発令」ではなく「発出」としていることに、日本は民主主義国家であるという担当者の思いが滲む。誰か独裁者が国民に命令を発する、という国ではないということだ)。

多くの人々が外出を控え、経済も大打撃を受けている。しかし幸いなことに、4月15日現在、ほかの先進国と比べて死者数ははるかに低く抑えられている。

今この瞬間も、新型コロナウイルス感染で社会が大きく崩れることのないよう、この騒動を「大過なく」収束できるよう奔走尽力している方々がいる。

そうした方々に敬意を表しつつ、ぼくはぼくで職務を全うしたいと思う。



(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2020年2月17日https://www.hirokatz.jp/entry/2020/02/17/080044 を加筆修正)