『人生の幸福度は47~48歳が最低』とのこと~47歳に思う(その2)
人生には3つの坂がある。
上り坂。下り坂。まさか。
47歳になったことをとある後輩に言ったら、「じゃあ『下り坂47』ですね」と言われた。まさか自分が47歳になった途端に『下り坂47』に選抜されるとは思ってもみなかった。
デビュー曲は『新型インフルエンザー』(宮下あきら作詞作曲)、カップリングは『frying nugget』(愛称「フナゲ」。KFCとのタイアップ曲です)。センター目指して頑張ります!
さてと。
中学高校からはるかに月日が経ち、47歳で思うものといえばこんなこと。すなわち、我々が後世に遺せるものは何か。
内村鑑三はかつて、このテーマに対してまず第一に「金」を挙げた(『後世への最大遺物』)。
巨万の富を後世に遺せば、世界一の孤児院を建てることができる、たくさんの人に教育の機会を与えることができる。
内村は言った。
〈(略)われわれの今日の実際問題は社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうとも、それを煎じつめてみれば、やはり金銭問題です。ここにいたって誰が金が不要だなぞというものがありますか。ドウゾ、キリスト信者のなかに金持が起こってもらいたいです、実業家が起こってもらいたいです。〉(『後世への最大遺物』岩波文庫p.21)
しかし。
しかしですよ諸君。
内村は続ける。
金を作る溜める遺すというのはやはり一種の才能、geniusであって、誰にでもできるわけではない。残念ながら私(内村)にはその才は無い。
ではどうするか。
後世に金を遺すことができなければ、金よりも良いものを遺そう。
それは、金を使うこと、すなわち「事業」。「事業」を遺すのがもっと良いのではないか。そう内村は話したのだ。
例えば土木事業。
ある人が運河を遺せば、後世の人は永きに渡って移動しものを運ぶことが出来る。
橋を遺せば人が渡れる。トンネルを遺せばたくさんの人が行き来できる。
土木事業に限らず、金を遺せないならば、事業を遺せばよい。
後世に事業を遺す。〈(略)「わが愛する友よ、われわれが死ぬときは、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」(略)〉(天文学者ハーシェルの言葉。前掲書p.18)
この話、まだまだ続きます。下り坂ってのは意外に長いのです。
内村鑑三の話に戻ります。
内村鑑三は、明治27年に箱根のキリスト教徒第六夏期学校において若きキリスト者たちに講話を行なった。題して、『後世への最大遺物』。
われわれはみな、いつの日かこの世を去る。そのときに、この地上に何を遺して逝けるだろうか。それがこの講話のテーマです。
後世へ遺していけるもの、まず第一に「金」。
いきなり「金」といわれた若者たちはさぞギョッとしたと思うが内村の真意はこうです。正しく稼いだ金を遺せば、たくさんの人が救える。何しろこの地上の問題の根っこの多くは、つきつめれば金銭問題なのだから。
しかし誰もが「金」を遺せるわけではない。
正しく「金」を遺すにはやはり、才覚がいるのだ。
「金」を遺すことができる人が限られる以上、もっとよいのは「事業」を遺すことだ、と内村は続けます。
事業を遺せば、やはりこれは後世の人の役に立つ。
しかしまた、誰もが事業を遺せるわけでもない。事業を遺すにも、やはり天が与えたもうた才が要る。
私(内村)自身も、「事業」を遺せないかもしれない。
だが、それでもまだ、人には遺せるものがある。「思想」である。
〈もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。〉(前掲書p.35-36)
著述と教育により、自らの「思想」を後世に遺し、〈少しなりともこの世の中を善くして往きたい(略)〉(前掲書 p.18)という思いを果たすことができる、と内村は語った。
思想を後世に遺す一形態が文学であり、〈文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。〉(前掲書p.41)とまで言い切ります。ここでいう「戦争」は敵をせん滅するとかではなく、よいことばかりではない世を渡っていくための、そしてこの地上を良きものにするための「戦い」というふうにとるべきでしょう。
後世に遺せるものは何か。金か事業か思想なのか。
しかしやはり誰もが金を遺せるわけでもなく事業を遺せるわけでもなく思想を遺せるわけでもない。何を遺すことも出来ない者は価値がないのだろうか、と思うかもしれない。しかし全くもってそれは間違いである。
金より事業より思想よりはるかに大事で、それでいて誰しもが遺すことが出来るものがまだ存在するのであります、と内村は説く。それこそがまさに『後世の最大遺物』。
その最大遺物とは諸君、と内村は続けるのであります。
金を遺すも良し事業を遺すも良し、思想や文学を後世に遺すのもなお良し。
しかし諸君、誰にでも遺すことが出来てさらに後世に害なく益ばかりある最大遺物がある。それはなにかといえば、〈勇ましい高尚なる生涯〉である、と内村は説いた。
生きていればさまざまなハードルがある。
生まれついた境遇や巡り合わせ、置かれた環境に降ってくる災難。家族や隣人たちに時に足を引っ張っられ、信頼していた人に裏切られ、仕事では次から次へと厄介ごとが押し寄せる。
まことにもって、生きていればありとあらゆる災厄がこの身に降り注いでくる。
だがしかし、にもかかわらず、われわれは〈勇ましい高尚なる生涯〉を送ることができ、その姿を後世に遺すことが出来るのだ。
二宮尊徳を見たまえ、彼は窮乏の中から自らの意志で学び人を助けたではないか。その生涯を見て、後世のわれわれは勇気づけられるのだ、と内村は言った。
我々が〈勇ましい高尚なる生涯〉を後世に遺せばどうなるか。それを見た後世の人々に伝わるものは何か。
〈勇ましい高尚なる生涯〉を遺すということはなんなのか。
〈すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。〉(前掲書p.54)
そしてそのためには、境遇や環境やハンデが大きいのは嘆くことではない。大変な境遇であればあるほど、「dennoch,にもかかわらず」、〈勇ましい高尚なる生涯〉を送ることは偉業になるのだから。
そんなことを、内村鑑三は言った。
47歳、人生の幸福度が最も低いといわれる40代後半のミドルエイジクライシスまっただ中のぼくにとって、今の指針はこの『後世への最大遺物』である。
勇ましく高尚なる生涯なるものを送れるかどうかはわからないが、いろいろあるけど「dennoch,にもかかわらず」、小さな音で口笛でも吹きながら、せいぜい喜びにあふれた楽しく誇り高い生涯くらいは後世に遺していきたいものである。