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ふるさと納税は自己肯定感の夢を見るか。

高橋宏和(H4卒)
date:2024/3/17

大都市と地方の格差是正のためとして「ふるさと納税」が導入されたのが2008年。かれこれ16年になる。

この政策の良しあしを専門家がどう評価するかはわからぬ。万物と同じく功罪両方あるだろうが、プラスの面、特に心理的なプラスの面についてかんがえた。

山口県柳井市の元市長の河内山哲朗氏がこんなことを述べている。
〈日本の地方行政は(場合によっては国政もそうですが)、施策のスタートは課題、欠点、短所になってしまうのです。日本のメディアも含めて、いかにある部分が弱いか、ある部分がダメか、ある部分が欠点であるかということを前提に施策を考える。これは予算を取るための手法としては間違いではない。(略)笑い話で、例えば市長が東京に行って予算の陳情をやります。それは結局「私のところはいかにダメか」を言うわけです。そうすると予算がつくのです。人間というのは、そんなことを繰り返し言っていますと、いつの間にか自分の頭の中に「自分たちはダメだ」ということを刷り込んでしまうのです。これが、地方をダメにしている原因でもあるのです。〉
(小宮一夫/新嶋聡 編 河内山哲朗著『自律と自立のまちづくり』吉田書店2024年 p.135)
 
通常の陳情というのは我が市我が町のここがダメだから税金回してくれということで、これを繰り返していると自分で自分に「ダメだ」という自己暗示をかけてしまうということだろう。地域の自己肯定感が下がってしまうのだ。
 
これに対し、ふるさと納税、そしてインバウンド政策は真逆のベクトルを与える。
我が市我が町のこれが良いここが良いからふるさと納税してくれとか観光に来てくれとやるわけで、これは逆に地域の自己肯定感を上げることになる(かもしれない)。
もちろん税の公平性とかそもそもの税の意義とか効率性の問題点がふるさと納税制度にはあるし、オーバーツーリズムなどなどの問題がインバウンド政策にはある。
 
さはさりながら、今まで「我が市我が町のここがダメだから予算つけてほしい」という地域の自己肯定感を下げる陳情が首長の仕事であったのが、それに加えて「我が市我が町のここが良いから予算つけてほしい」という地域の自己肯定感を上げるふるさと納税などのシティセールス、シティアイデンティティの仕事が新たに加わったというのは非常に面白いことだと思う。

いいことだけしか書かないのは知的にフェアではないので引っかかる点も書く。

実は、「ふるさと納税」制度には引っかかる点は3つある。

「ふるさと納税」制度では、本来居住地に納税されるはずのお金がほかの自治体に行ってしまうことで居住地の税収が減り、そのぶん住民サービスが低下するor「ふるさと納税」してない住民がその分を補てんすることになること。「ふるさと納税」していない納税者が割を喰うわけだ。これはよく言われている

 

また、「ふるさと納税」の「お礼」が高額になることで、実質税金逃れ的にも運用できてしまうことなどの問題点は以前より指摘されている。

たとえば仮に、「お礼」を商品券にして、ふるさと納税」の95パーセントの「お礼」を返すような制度にすると合法的な節税ががっつりできちゃいますね。ここらへんは導入当初と比べ返礼品の率を下げることである程度対応されている。


地味だけど大事なのは、「ふるさと納税」と間接民主主義の相性がいいのかどうかというところ。

どういうことかというと、

 ①間接民主主義では、有権者は納税額に関わらず一人一票の発言権を持ち、その発言権を代表(代議士とか)に預ける。リタイアして所得税払ってなくても一人一票、経営者で高額納税していても一人一票。

 ②預かった発言権を根拠に、代議士などはみんなで税金の使い道(=予算)を相談し決める。実質的には予算案は大筋で役所が作ったものではあるが、しくみ上は代表が話し合って「こういうふうに予算を使おう」「この分野は手厚く予算配分しよう」と決めることになっている。

 ③ふるさと納税はそのプロセスをすっとばし、税金の使い道を納税者が直接決める。

 ④しかもその裁量は納税額が大きいほど大きい。出所は自分の税金ではあるが、たくさん「ふるさと納税」する人は、自治体・国の予算の一部をどこに割り振るか決める権限が多いことになる。

 ⑤民主主義では発言権・裁量は出したお金の額と比例しない。出したお金の額が多いほど発言権・裁量が大きいのは一人一票の民主主義・選挙じゃなくて一株一票の株主総会。

 ⑥だから本当は「AKB総選挙」じゃなくて「AKB株主総会」が正しい。

最後のほうはふるさと納税の話でなくなっているが、税制の研究者などからみればふるさと納税はキメラのごとき制度なのであろう。

さはさりながら(業界用語)しかし実際には、大義名分と実利、さらに「自分が関与することで状況が変わる感」がセットになったこの制度は、まだまだ広がっていくのだろう。外資系企業が仲介事業に参入するとのことで、徴税業務の手数料が外資に流れてよいのかという問題提起もされているし。一方で納税者が直接税金の使い道を決める云々については、もともと寄付金控除という制度もあるしなあ。

 

そういうわけで、「ふるさと納税」は民主主義を考える上でも非常に興味深い。

アメリカなんかでは議員に有権者が意見するときには「As a tax payer、納税者として」なんて前置きをして話すそうでけれど、国民と有権者と納税者はイコールではないんですね。国民は未成年も含むし、有権者は納税していない人も含むわけで。

いずれにせよ、もし自分が新しくなにか制度を作るときには、大義名分と実利、さらに「自分が関与することで状況が変わる感」を意識して制度設計するといいようですね。

それにしても、和牛とお米、どっちがいいかなあ。

(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2016年12月5日2024年3月14日を編集・加筆)