2ステップの関係性。

イラストACより
ここ10年くらい意識してやめたことがある。「2ステップの関係性」の人と何かしようとすること、「2ステップの関係性」の人とために何かしようとすることをやめた。
「2ステップの関係性」はぼくの造語だ。
友人知人、家族に知り合い。
直接自分が関わりのある人を「1ステップの関係性」とする。
そして、友人知人のそのまた友人知人、みたいな人を「2ステップの関係性」とする。
たとえば友人知人から「知り合いがこれこれこういう症状なんだけど、どこか病院紹介して」と頼まれたとする。
そうした場合、かつては必死になってツテをたどってそこの医者に連絡をとって、受診できるようにした。
でも、今はそういうのはやめた。
あるいは何か勉強会や研究会みたいなものの講師をお願いするのに、かつてなら友人知人や知り合いに声をかけまくって、「誰か講師にいい人いない?」と探したりした。
でも、今はそういうのはやめた。
前者の行動、友人知人のそのまた友人知人を助けようとする行動は、良い人でいたい、正確には、友人知人に良い人と思われたいという気持ちに基づく。
でも、今はそういうのはやめた。
「2ステップの関係性」からの卒業の理由はいくつもある。
成長の段階で、「1ステップの関係性」の友人知人に十分恵まれた、というのが大きいと思う。
その上で、「2ステップの関係性」は不確定要素が多く、コントローラブルな要素が少ないのも理由だ。
たとえば一例目の、「友人知人のそのまた友人知人のために病院を探す」みたいなのも、「紹介してもらった病院、結局行かなかったみたい。なんかYahoo!口コミの良い民間治療のセンセイにかかったって」みたいなことが多すぎる。
あるいは二例目の「友人知人のそのまた友人知人に勉強会の講師を頼む」みたいなのも、「なんかよくわからないけど、あの人お前の勉強会の講師やったあとすごく怒ってたぞ」みたいなことがある。
いずれも「1ステップの関係性」なら直接「なんだよーせっかく紹介したのに病院行かなかったのかよ。今度、一杯おごれよ」とか「ごめんねーなんか不手際あったみたいで。今度、一杯おごるよ」で済む話だが、「2ステップの関係性」だとそうもいかずモヤモヤしたまま終わる。
待てよ、一例目の友人知人におごってもらうかわりに一例目の友人知人に二例目の友人知人におごらせればぼくは何もしないで済むな。
まあ地球上の人は最大6ステップの関係性を経ればみんなつながるという「スモール・ワールド仮説」もあるし、その仮説に基づく『私に近い6人の他人/Six degrees of separation』という舞台や映画もあるから、そう深く考えずにこれからもステップとか地団駄とかいろんなものを踏みながら生きていきたいと思う。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2025年10月4日を加筆修正)











