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麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/10/27

ホームセンター業界のトップに躍り出たカインズを率いる高家正行社長インタビュー

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/10/21

麻布流儀編集部です。

今回は、1981年麻布卒で株式会社カインズの代表取締役社長の高家正行さんが登場。

カインズがホームページ上で発表した2020年2月期の売上高は4410億円で、前年までトップだったDCMホールディングスを上回りホームセンター業界のトップに躍り出た。カインズの高家正行社長は麻布のOBで、このコロナ禍でも力強くその手腕を発揮されていて、様々なニュースサイトなどでも取り上げられています。この度高家さんにお時間をいただきインタビューしました。



高家社長がプロ経営者になるまでの歩み

前田「本日はありがとうございます。麻布流儀は様々な分野で活躍されている有名なOBや、それぞれの分野でフロンティアと言いますか、先駆者というか群れるのが嫌いだからこそその道を極めていく人がたくさんいると思いますが、まさに高家社長も経営のプロだと思います。」

前川「高家さんのプロフィールについては経済紙その他業界紙などでもちろん存じ上げておりますが、せっかくですので、自己紹介というかプロフィールをご自身からご紹介いただければと思います。」

高家1981年に麻布を卒業して、現役で慶應義塾大学に入学しました。麻布での成績は大体100番前後とか良くて二桁番。当時の麻布生はみんな東大を受けるので僕も受けたのですが受からず、早慶は合格。ずっと受験勉強ばかりの浪人生活を1年間送るのは耐えられそうもないと思い、慶應大学に進学しました。

当時の麻布はそこそこ真面目に勉強してきた人間は皆東大受験するだろうとか、一浪するくらいは普通だったので「え〜そのまま慶應行くの?」みたいな空気はありました。

大学を4年で卒業して、就職したのが三井銀行でした。

その後三井銀行は、太陽神戸銀行と合併して太陽神戸三井になり、銀行名が「さくら銀行」に変わり、さらに住友と一緒になって三井住友銀行になってという歴史でしたが、三井住友銀行になる前に僕は銀行を辞めました。

三井銀行とさくら銀行時代、ちょうど35歳の時に転職したので13年程在籍したことになります。

銀行に就職したのは、経済学部で所属したマクロ経済・財政金融ゼミの先輩たちの多くが金融機関に就職していたから、という自然な流れでした。

今と違って、当時は都市銀行+興銀、長銀、日債銀で14行の都市銀行があった時代。給料が高くて、業界としても安定しているというイメージが強く、金融危機なんて全く想像できる時代ではなかった。経済を学ぶ中で、金融は産業を強くしていく血液みたいなもので、金融機関はその日本の産業や企業を強くするという使命感がある業界というのが就職を決めた理由でしたが、正直言って、当時はそれ以上に確固たる問題意識はありませんでした。

入行してからの主な仕事は企業融資でした。バブルの時代、更にバブルがはじけていく時代も見ていく中で、本当に金融機関が企業の成長に貢献することができているのか、という疑問を感じるようになっていきました。金融機関は「晴れの日に傘を貸して、雨の日には傘を取り上げる」なんて揶揄されていた時代でもありました。

自分が担当した中でも倒産していく企業があり、それを目の当たりにして、銀行の使命って一体何なのだろうと、考えさせられた20代の後半でした。

そんな時期に、ちょうどプロフェッショナルな経営者というものの存在を知りました。アメリカで、経営難に陥ったIBMを再生させたマッキンゼー出身のルイス・ガースナーが華やかに取り上げられていて、「こういう職業、役割ってあるんだ」と自分の中で意識し始めたのが30歳前後のことです。」

高家「当時の日本の大企業では、基本的に新卒入社の中で出世競争に勝ち残った人が社長や頭取になるということが当たり前の時代で、外部から「職業経営者」を招き入れて会社を成長させたり、再生させたりっていうのは想像が難しい時代でした。

戦前の財閥時代にはそのような事例はあったものの、戦後の高度成長期を過ぎた頃には影も形も無かったのだと思います。アメリカでの「職業経営者」の活躍を見て「こういう職業は魅力的だ」というのが、「プロ経営者」を目指すきっかけでした。

その頃ちょうど現場の企業融資の仕事から、従業員組合の専従になるタイミングがあり、書記長になりました。大企業の労働組合は基本的に労使協調路線ですから、戦後のような思想が強い組合とは違います。むしろ、当時の専従経験者はエリートコースと言われ、同期からは「これで役員になれるな」と冷やかされる時代でした。もちろん現実は違いますが。

そんな仕事にたまたま就いたことから、定期的に頭取をはじめとした経営陣と労使協議会のような顔を合わせる機会がありました。30歳そこそこで頭取と会うという機会は、一般的にはなかなかありませんが、組合の代表なので労使対等な立場で協議する、そんな貴重な経験ができた一年でした。

銀行の頭取はじめ経営陣は皆、見識があって人格的にも優れた人たちばかりでした。一方で、僕自身が経営というものに興味を持ち始めた時期だったので、銀行はどのように経営されているのか?に関心がありました。そうしてみると、銀行って誰が「経営」しているのか、銀行の独自の経営戦略とは何か、銀行が社会や企業に発揮している価値は何か、そういう事が経営陣を通してもよく見えてこなかったのです。

このまま銀行に残って熾烈な出世争いに万に一、千に一でも勝ち残って経営幹部になれたとして、そこで銀行の経営ができるのか、ということに残念ながら疑問を感じるようになっていきました。

同時に、職業としてのプロフェッショナルな経営者というものに挑戦してみたいという想いがどんどん高まり、このまま銀行に残るのか、あるいは外に出てプロ経営者を目指すのかというのをいろいろ悩んだ挙句、自分の描くプロ経営者を目指すために35歳の時に転職しました。」



プロ経営者を目指しはじめての転職

高家 「目的はプロの経営者になることだったのですが、大銀行の看板がなくなるとただの人間です。経営の何かができるわけでもなく、起業して経営者になるというアイデアもありませんでした。

当時、グローバルな経営コンサルティングファームが、日本の大企業の経営トップの黒子役として、戦略を一緒に考え実行し企業価値をあげていく役割を担っていたので、経営経験を積んだり、マネジメント手法や経営理論を勉強し実践するには最適だろうと考えA.T.カーニーという戦略ファームに転職しました。

3年から5年で自分の目的が達成できたら次のキャリアに進もうというイメージは最初から持っていました。様々な業務に携わり仕事は面白かったですが、当初の目的が一定達成できたと感じ、ちょうど40歳の時に実業に打って出ようということでミスミ(現ミスミグループ本社)に転職しました。」

前川「ミスミとはそのコンサル時代に何か担当されていたとかではないのですか?」

高家「ミスミにはコンサル時代に縁があったわけではありません。ミスミは、創業者の田口さんが会社を興し約40年で引退を決めた後、いわゆる日本のプロ経営者の草分け的存在の三枝匡さんが田口さんの後を継いで2代目の経営者となって少し経った時期でした。プロパー社員だけではなかなか思い描く成長を描けないので、広く外部から僕みたいな経営者を目指す人材をどんどん募集していた時代でした。

三枝匡さんについては、僕自身も著書も読んでいて自分と似たようなことを考えているこんな人がいたのだということは知っていました。10人程度の経営会議メンバーの経営企画室長というポジションで、しかも三枝さんの直下で経営陣として働けるという、まさに実戦にはうってつけだったのです。

その後、ミスミは世の中の景気にも押されて毎年二桁成長、積極的にM&Aや海外展開などを進めていました。僕も毎年責任範囲が広くなり肩書きが上がり、ちょうど5年経った時に三枝さんから「次の社長やってくれ」と言われ、45歳でミスミグループ本社というホールディングスの社長に就任しました。

プロ経営者になろうと30歳頃から思い始めて、転職で自分の腕を磨き続けて到達するのに15年かかりました。

それが早かったのか遅かったのかはわかりません。ミスミの経営会議メンバーになって、執行役員になって、常務になってと段々に自分のポジションが上がっていく中で、いつかは経営トップをやってみたいというのはあったので、45歳でそういう話になった時には「目指してやってきたところに、いよいよきたか」っていうワクワク感がありました」

前川「なかなか世代交代できない会社が多い世の中の現状を見て、当時45歳にきっちりとバトンタッチしたという状況をどう思いますか?」

高家「2008年10月、社長就任してすぐあのリーマンショックがきっかけの世界不況が起きて、ミスミも売り上げがガンガン下がり、営業利益ベースで何ヶ月か赤字という状況でした。

とにかく脇を締めてリーマンショックをどう乗り切るか。最初はそこに翻弄されましたが、おかげさまで1年くらい経ってそこから抜けて、社長在位通算5年の後半は次の成長戦略をどう描くかに注力できました。今振り返ると激動の社長時代5年間だったと思います。」



そして2019年3月カインズの社長へ。そしてコロナ禍へ。

前川「カインズの社長就任が2019年の3月ということで、就任1年もしないうちに陥った想像もしなかった全世界的非常事態の中でのどんな判断を下して舵取りをされているのか、少し教えてください」

高家「リーマンショックとは状況が異なりますが、未曽有の危機の時に、何を考えたか、どう行動したか、という経験がデータとして自分の中にあるのは、このコロナ禍においてもとても役に立っていると思います。

いわゆる平時と戦時という様な言い方を僕はよくしています。

平時と戦時で経営者としての動きのスイッチを切り替えなければいけないと考えています。

コロナ前には平時の経営でうまくいっていたとしてもコロナ禍やリーマンショックの時には完全にスイッチを切り替えて、経営の仕方を変えます。すなわち優先順位をガラッと大きく変えます。その切り替えをちゃんとしないと、ズルズルと判断が遅れ、時には会社が危機に直面することすらあると思います。

戦時になった瞬間にまず考えるのは企業の存続です。企業の存続リスクは、会社の状況によって、資金、人、その他経営資源などのどこに一番のリスクがあるのか違ってくるのですが、それがどこにどのくらいあるのかを真っ先に判断し手当てすることが最重要なのです。

ミスミもカインズも、幸い財務基盤は強固なので早期の資金繰りの心配はなかったものの、真っ先に計算したのは、この状態がどれだけ続くと資金繰りに問題が生じてくるかということ。これを把握することが最初の一歩でした。

今もコロナ禍での追加の資金調達は行っていませんが、予め取引金融機関には「こういった状態までいくと、このくらいの資金調達が必要になるかもしれません」ときちんと話しています。

そして、戦時において一番違うのは「権限の集中」です。普通の状態ではないので、予期せぬことがそこかしこで頻繁に起きます。平時なら過去のケースや他社動向など、それなりに検討・分析、情報収集してから動きます。しかし戦時では、時間をかけている間に機を逸したり判断を誤ってしまうので、基本的にはほとんどすべての情報を社長である私のところに集め、自分のところで現場のことまでもスピード感をもって意思決定をしていく。まさに権限の一極集中をしていかないと戦時は乗り切れないと考えています。

対策本部を設置し、その本部長に自分が就きました。そこへ現場の全ての情報が上がってきて、その場で意思決定し、会社を回していくという形をピーク時は毎日続けていました。」

前川「カインズという一万人規模の会社ですと、対策本部というと何人くらいで動かすイメージなのでしょうか」

高家「対策本部は全体で3040人です。僕の下に本部長クラスが10人くらい、それで通常会社の全ての組織をカバーします。その10人ぐらいのメンバーとその下の部長クラスで構成しました。

対策本部が常に走りながら判断する状態。そこでは朝令暮改もありです。通常であれば社長がコロコロと指示を変えるとなると、「何やっているんだ、社長は!」となりますが、そんなことを言ってる場合ではないので、間違っていたらすぐに指示を変えるというのが正しい行動です。すべての情報を集めてから判断しようとしたら、それこそ機を逸してしまう、というのが平時と全く違うことです。」

前川「コロナ収束後にどこまで生活洋式が変わるのかなどちょっと不明ですがこの先にどの様な展開を描いていますか?」

高家「今回のコロナの様な戦時真っ只中に突入すると、やっぱり自分たちの会社の存在価値ってなんだろうと改めて問われることになります。

4月の緊急事態宣言発令時、東京都が営業休止要請の対象とする業種を検討した対象の中に、当初ホームセンターも含まれていました。それをテレビで見て正直びっくりしてしまって。ホームセンターは、これまで東日本大震災はじめ昨今の台風や洪水などの災害の時に、水やブルーシート等の資材といった地域のライフラインを支える役割を担ってきたという自負がある中で、コロナ禍という“戦時”の状況で我々が営業しないのは「どうして?」と思いました。その報道が出た後すぐに幹部を集めてこの状況にどう対処すべきか、営業休止要請が出た場合それに従うのか、自分達の使命感に基づき営業継続するのか社内でも侃々諤々と議論しました。

最終的には、我々としてこういった非常時に社会のライフラインを支えてきた自負があるから、まずは営業継続する考えであると表明しようということになりました。最終判断が決まる前に我々はプレスリリースを出して、「営業を継続していく考えです」と。

DIY協会という業界団体的役割をしているところにも働きかけ、協会としても声明を出すべきだと進言しました。結果としてホームセンターは営業休止の対象から外れ、我々としては良かったなというところに落ちつきました。」

前川「ホームセンターの営業休止要請除外と決まってどう思われましたか?またコロナ失業などの雇用の問題が叫ばれる中、雇用枠3000人拡大などを発表されましたが、その辺りを教えてください。」

高家「我々ホームセンターにとって、そもそもどんな価値を社会に提供しているのかということを改めて考えさせられる良いきっかけになりました。緊急事態宣言が発令されても営業継続できることになりましたので、我々がやるべきことは、従業員の安全を確保して、来店されるお客様の安全を確保した上で地域のくらし、ライフラインを支えることだと。

3000人の雇用の話ですが、我々が営業を継続すること自体が社会に対して一つの価値を提供していくことだという自負はあったものの、もう一歩踏み込んで我々に何ができるのかと考えた時、小売業としてそれぞれの地域の雇用創出ができるのではないかと考えました。

目的がないのに雇用だけ進めるわけにもいきませんが、受け皿はありました。コロナの1年ほど前から、企業変革に取り組む中、ちょうどデジタル戦略において様々な新サービスが立ち上がっていました。例えばデジタルを使ったピックアップサービス。コロナ禍での「より安全な買物」「より短時間での買物」が可能ということから、非常に利用件数が伸びていました。そのため、予定より前倒しで店舗へのピックアップロッカー設置を進めるとともに、人員を増やそうとしていましたので、このタイミングでもう一段踏み込んで社会に対して貢献していこうと、このような新たなサービス展開なども含め3000人雇用創出を発表するに至りました。

そういう意味でも、我々の本源的価値が改めて問われたのが、このコロナだったとおもいます。」

 

高家社長の経営観と麻布

前川「オーナー企業の強みについてどうお考えですか。高家社長の考える経営判断や株主に対しての考え方など教えてください。」

高家「オーナー企業をひと括りにして論じるのは難しいです。同一企業でも、企業の変遷の中でうまくいってる時期とそうでない時期があると思います。僕はいわゆる経営者という立場を自分の職業と考えているので、そういう立場からするとオーナーや創業家はいわゆるステークホルダーです。ミスミは上場企業だったので、株主はマーケット、その中に個人投資家や機関投資家など様々な投資家がいるものの、資本市場がステークホルダーだった。それ以外の従業員や取引先、社会などは変わらないけど、上場会社とオーナー会社で大きく違うのはステークホルダーが誰かということ。

上場企業のステークホルダーが市場であるとすると、オーナー企業は創業家。経営者という立場からすると、株主というステークホルダーと連携を取って、自分が進めていこうとする経営の方向をきちんと理解してもらうというところに尽きると思います。

ミスミのような上場会社であれば、投資家向け説明会や決算説明会を開いて、会社の業績を説明するだけでなく、将来こういうところを目指しているので引き続き株を持ってください、投資してくださいということになるわけです。

その相手が創業家になってもコミュニケーションする内容は一緒です。

「こういう経営をし、将来この会社をこういう風に成長させていきたい」ということについて創業家に理解してもらう必要があることは、ステークホルダーマネジメントという観点からは同じことかと思います。

ただし、資本市場との対話は投資リターンという共通言語の中で会話ができますが、創業家との会話は投資リターンという共通言語以外の要素も重要です。企業の社会に対する本質的な価値であったり、それに基づく長期視点での企業価値向上であったり。むしろこちらのほうが、プライオリティが高かったりもします。ミスミ時代の経営経験から学んだのは、経営者も「人間の機微」に敏感にならないといけないということでした。それは必ずしも創業家だけでなく部下である幹部や社員、そしてお客様も同じです。必ずしも、経済合理性だけでは動かないということをミスミの経営時に経験できたことは、今オーナー企業の経営に携わる際にも生きていると思っています。」

前川「インタビューさせていただいております我々はいわゆる団塊ジュニアというような世代で事業承継される側の世代、で今みたいな話の論理の理論を振りかざし、上の世代と対峙してしますが、感情や人間の機微みたいなことを学んだ上で臨んでいかなくてはならないということをお話を聞いていて感じました。ここまでは高家さんのこれまでのビジネスマンとしての歩みなど色々教えていただきましたが、さらに掘り下げて学生時代、麻布時代に受けた影響などお話しいただけたらと存じます」

高家「麻布に入るきっかけは、御三家の中でも一番自由な校風が気に入ったことでした。

そして実際に入学してみると、圧倒的に自分が凡人だということに気付かされました。皆そうでしょうが、小学校ではそこそこできる生徒だったんですよね。塾でもそれなりに成績が良かったと思うんだけど入ってみたらどんなに頑張っても頭の構造が違うんじゃないかってやつがいっぱいいるなと。さらには、勉強ができるというのとは違う、当時の世の中の一般的な尺度だった学歴社会みたいものとは異なるところで、その時代から堂々と自分の価値観を貫いているやつがいっぱいいて。ただの真面目な受験生からただの真面目な麻布生になった自分がどれだけ平凡なのかということをずっと思い知らされるような6年間でした。実はこれは今でも思います(笑)」

前川「もちろんとんがったOBはたくさん目にしますが、でも麻布では超有名人とまで知られてなかったとしても、実は社会で大活躍されてる方の話を発信していきたいという思いが(麻布流儀には)あります!その道のプロ、先駆者という意味では高家社長もプロ経営者としてのフロンティアですね」

高家「麻布という強烈な個性を持つ連中の中で、自分の平凡さを痛感しながら、それがコンプレックスになる訳でなく、しっかり自己認識しながら楽しく過ごした6年でした。その後40年経った今、私は毎年新入社員に「自我作古」という言葉を送っています。意味としては自分が歩いてきた道の後はそれが普通なものとなっていく、世の中を切り拓いていくフロンティアたれということです。どれだけ有名だとか、どれだけ金が稼げるとかに関係なく、自分がこの分野ではこれをやってきたのだというようなものを持ってほしい、ということを伝えています。自分自身もそれを人生哲学として持ち続けています。今から振り返ると麻布時代の経験がそこに大きく影響しているのかなと思います。

フロンティアといっても、決して発明家や起業家ということではなく、一企業の中でも自分にしかできないこと、自分にしか作れないものを作ることに十分な意味、価値があると思ってます。」

前川「最近O Bページへの投稿、あるいはメディアへの発信はどのようなことを意識していますか?ご自身の人脈やコミュニティをどのように生かしていらっしゃいますか?」

高家「正直に言うと学校のつながりをビジネスに活かすのはあまり好きではなく、そういうところから何か頼まれるのもあまり好きではありません(笑)。でも最近麻布O Bのページに自ら発信しているのは年齢的なものもありますね。銀行時代のことですが、当時から「麻の葉会」というのがあって入行前から仲間に入れてもらいました。当時の副頭取をはじめ偉い先輩方がいらっしゃって、陰になり日向になりお世話になりました。A Tカーニー時代も56人だったものの「麻の葉会」を作って飲み会したりもしましたね。僕は麻布が好きなので、だんだん自分の年齢が上がり、社会的立場を考えたときに、麻布について発信しても良いのかなと、最近O BS N Sなんかに投稿するようになりました。麻布のO Bもこんな業界の中で元気にやってます、挑戦してますよ、と知ってもらうだけでも何かの役に立てば・・・とそんな風に思っています。

 麻布生は、自分の価値観にこだわるタイプが多いので、時にそれが社会や企業に対して斜に構えているように見えることがあります。自分の話を披露することには躊躇するし、それに対してよく思われないかもしれないけど、それはそれ。麻布のネットワークの中で何か頼まれても、やれない事はやれないし、やりたくない事はやらない、と割り切っています。一方で、自分がやっていることが少しでもヒントになったり、誰かの役に立つことがあるのであればやろうと思っています。

前川「ありがとうございます。麻布流儀も約3年細々とでも何かやっててよかったなというか、こういう風に、高家さんみたいなOBが出てきてくれることは嬉しいです。「起業」だけじゃない「○○賞」だけじゃない、それぞれの「フロンティア」にスポットを当てていきたいという願望みたいなものがありました。ただ「群れる」のは嫌いですが、でも「本物の価値」は認め合えるのが流儀のスタンスです。

エネルギー持ってる若い子達がこういったインタビューなどから何かを感じてくれたらと思います。また何か一緒に面白いことができたらと思います。最後に、高家先輩が10年先にどんなことを見ているか。後輩たちにもメッセージをください。麻布流儀に対して流儀読者に対してのメッセージをお願いします。」

高家「ミスミの社長になるときに「自分が社長になった瞬間からバトンを渡すことを考えなければいけない」と言われました。昨年、カインズの社長になった際も、すぐではなくてもきちんとバトンを渡すことを常に頭にイメージしながらやっています。

自分の後継者を育てなければいけないなという意識は強く持っていますね。

経営者は全人格的な成熟が必要です。

もちろん経営者だけがゴールではありません。自分はたまたま経営者になりたいと思い、30代から勉強しキャリアも積んできましたが、自分が考えるゴール、目線をどこに置くのかという「問い」の方が大切だと思っています。

自分の若い頃は、経営者はロジカルで、でもハートが熱く、と思っていましたが、経営経験を積み重ねる中、組織がロジックだけで、あるいは経営者の熱い心だけで動くかというとそんなに簡単ではないと感じるようになりました。

組織が大きくなればなるほど、グローバル企業になればなおさら、それだけでは人も組織も動かないでしょう。やはり経営者の持つ人格、その人の持つ歴史観や人生観、時に宗教観や世界観からにじみ出る人間力みたいなものが、最終的に先ほど話したような戦時でみんな苦しくなったときに何でこの会社で頑張るのか、何でこの経営者のもとでこんなに苦しい時にやるのか、を決めるのではないでしょうか。給料の高さだけで働く人はもっと高い給料の会社があれば転職するだろうし、上司が怖いから指示に従っているだけというのであれば、あるタイミングで指示に従わなくなってしまうだろうし。

でも苦しい時にそれでも一緒に頑張ってくれる人というのは、その会社が持つ社会的使命やビジョン、価値、その会社を引っ張っている経営者が持つ全人格的な要素が最後のよりどころになるのではないかなと思っていて。自分自身の目標の目線は、そういう経営者に置いてるんですよね。

そういう意味では、自分が10年後にまだ経営者をやれているか、そこまで知力と気力と体力とが充実しているかはわからないですが、自分の目指す高いゴールを目指し続けないといけない、目指し続けたいと思っています。

 経営者を目指している方は、目線をどこに置くかということを、是非その時々に考えて欲しいです。そして昨今、日本のベンチャーで世界に通用するという経営者が出てきていて嬉しいという気持ちの反面、既存のエスタブリッシュな組織の経営者でもグローバルに通用する発信力、影響力のある経営者が少ないとも思っています。自分自身もまだそこには到達してないですし、これから経営者を目指す若い人たちには是非そういうところを目指して欲しいなと思います。

前川「ありがとうございます。麻布流儀は先輩後輩関係なく、ちょっと生意気な言い方になりますが、頑張っている麻布O Bの方を応援したいなと思ってますので、今後も是非よろしくお願い足ます!」

高家「こういう類のメディアは必ず賛否両論あると思います。でも先ほどの人生哲学ではないですが、何かを始めるということがすごく大事で。万人から賛成を得る事はとてもできないにしてもそこに集う人が少しずつ増えてきてそこに道ができる。それが太い道であろうが、細い道であろうがそんな事は関係なくて、みたいな事なのかなと思います。」

前田「高家さんと僕らの世代は6年間で被っていなかったので同じ時期を過ごしたわけではないのですが、6年かという麻布時代を過ごしたというだけで、どうしてこんなにも同じような思考というか、世の中を俯瞰して見ているというか、どこかで先を見据えているというか、麻布時代に先生から教わったわけでもないと思いますが、ものすごく共通項があるというか、勝手に共感してしまいました。それと同時に麻布の面白さというのはまだまだ奥が深くてもっともっと色々なOBをインタビューしたいと感じました。また今回はインタビューでしたが、またの機会に実際に若い経営者を目指すOBと話す機会だったりイベントだったりにもまたご登場いただけたらと存じます。1時間半にも及ぶロングインタビューありがとうございました」

高家さんは実に和かに優しく語ってくださいましたが、まっすぐ先を見据えた力強さみたいなものを感じました。またどこで高家さんを囲んだイベントなども実施できたらと考えております。ありがとうございました

高家正行<経歴>

1963年3月東京生まれ

1981年麻布高校卒業


1985年 慶應義塾大学経済学部卒業 

1985年 三井銀行(現 三井住友銀行)入行 

1999年 A.T.カーニー入社 

2004年 株式会社ミスミ(現 株式会社ミスミグループ本社)入社 

2008年~13年 ミスミグループ本社 代表取締役社長 

2016年 株式会社カインズ入社、取締役(非常勤) 就任 

2017年 取締役副社長(常勤) 就任 

    株式会社大都 社外取締役 就任 

2019年 代表取締役社長 就任


 

10/ 29無料オンラインイベントに宮台真司さんが登場予定

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/10/15

麻布流儀オンラインイベント急遽開催決定!

10/29木曜日20時より1時間ほどの無料イベントを開催いたします。

社会学者・東京都立大学教授で1977年麻布高校卒業の宮台真司さんをお招きし、「宮台真司先生の白熱授業!」と題し、第一部はミニ講演をしていただきます。また第二部として質疑応答を行いますが、司会を教育ジャーナリストで1992年卒のおおたとしまささんにお願いします。

授業なので、予習が必要です(笑)。万が一、宮台さんのご著書をまだ読んだことがないという方には、「一夜漬け」教材として、おおたとしまささんの著書「麻布という不治の病」をおすすめします。第5章に、宮台さんのこれまで人生や活動そして麻布に関するエピソードがコンパクトにまとまっています。

「麻布という不治の病~めんどくさい超進学校~」小学館新書

https://www.amazon.co.jp/dp/B08K8CBRZW

 

「宮台真司先生の白熱授業!」

10/29木20時〜zoomのオンラインイベント

第一部 宮台真司さんによるミニ講演

第二部 質疑応答(司会・おおたとしまささん)

 

麻布OB向けの無料イベントです。麻布OBであることの確認のため、麻布流儀ウェブサイトよりメンバー登録いただくか、Facebookの麻布流儀グループに参加の上、ご参加ください。なお、当日のイベントURLはウェブサイトのメンバーオンリーの記事や麻布流儀グループなどへ後日投稿いたします。



→イベントURLについて言及された記事はこちら(ログインしないと読めません)

たくさんのOBの授業参加をお待ちしています。

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第45回 麻の葉会展11/22-28開催のご案内

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/10/12

麻布流儀編集部です。



第45回 麻の葉会展のご案内です。
事務局長をされている昭和32年卒浅田和夫様より情報をいただきました。



浅田「当会は絵を描く趣味を持つ麻布中の昭和3年卒の3名が中心となり、昭和51年(1976年)に「麻の葉会同人展」を開催し、その後紆余曲折を経まして、現在は各種材料を使用しました絵画と写真展を行っております伝統ある会であります。

先年亡くなられましたが、財務大臣をされておりました与謝野馨さんも会員として写真を出品していただいておりました。

本年には第45回展を迎えます。

現在は昭和28年卒は会長及び他2名、昭和32年卒が9名と奥様1名、残り4名の卒業生が会員となり、活動は本展覧会及びその準備活動をしております。

 
第45回 麻の葉会展
2020年11月22日(日)〜28日(土)
東京交通会館1Fギャラリーパールルーム
千代田区有楽町2-10-1
TEL03-3212-3772(会場直通)
麻の葉会 
会長 益田和雄
事務局長 浅田和夫
TEL03-3447-8487
 
 
ぜひ皆様お誘い合わせの上お越しください。
 

中野純第17回作陶展、松屋銀座にて10/21-27開催

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/10/9


麻布流儀編集部です。

以前2018年に紹介させていただきました1991年卒の陶芸家、中野純さんより作品展のお葉書をいただきましたので、紹介しておきます。

2018年の記事(当時インタビューあり)

https://azabu.style/news_cat2/1951





中野純第17回作陶展

2020年10月21日(水)〜27日(火)

松屋銀座7階遊びのギャラリー

午前10時〜午後8時

*25日は午後7時30分まで

*最終日は午後5時閉場

お問い合わせ/松屋銀座7階遊びのギャラリー 電話03-3567-1211大代表



中野 純

1972年 千葉県生まれ。1991年 麻布高校卒業。 1996年 東京大学文学部社会学科卒業。 大学1年の時に陶芸に出会い、出会ったその日にこれを生涯の仕事にすると心に決める。在学中に小さな電気窯をもち、陶芸制作を開始。 卒業後の3年半は、集英社にて雑誌編集の仕事に携わり、写真家の立木義浩氏をはじめ様々な出会いに恵まれる。 2000年より集英社を離れ作陶に専念。同年5月の松屋銀座本店での初個展を皮切りに、名古屋、神戸、岡山、広島、金沢、熊本、富山、福岡、仙台と、徐々に発表の場を広げている。 アトリエは当初東京都練馬区立野町にあったが、2006年末に千葉県長生郡長柄町に移転。緑に囲まれた静かな環境の中で制作に打ち込んでいる。

公式ウェブサイトはこちら

 

 

速報!おおたとしまさ氏・書籍「麻布という不治の病」10/1発売

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/9/15

麻布流儀編集部です。

1992年卒の教育ジャーナリストおおたとしまささんが、10/1に麻布に関する書籍を出版されるという情報を入手しました。

書籍のタイトル「麻布という不治の病:めんどくさい超進学校」

小学館新書

なんと9名の麻布OBのインタビューから構成されていて、 登場する卒業生は(敬称略)

谷垣禎一(元自民党総裁)

亀田隆明(亀田メディカルセンター理事長)


前川喜平(元文科事務次官)

湯浅卓(国際弁護士)

宮台真司(社会学者)

伊藤羊一(ヤフーアカデミア学長)

千葉功太郎(個人投資家)

吉田尚記(ニッポン放送アナウンサー)

ときど(プロゲーマー)

と超豪華です!

著名卒業生のインタビュー以外にも創立者の江原素六の逸話や、学園紛争を体験した卒業生の回想や、現役生との座談会、また著者自らの思い出など様々な視点から麻布の面白さを掘り下げている一冊です! せっかくですので、著者のおおたとしまささんに、校了日にコメントをいただきました!(以下おおたさんのコメントです)

まず、本書執筆にご協力いただいた9人の卒業生およびその他の方々に感謝の意を伝えたいと思います。

さて、今回の本は、この仕事をしている以上、いつかは書かなければいけない1冊だったと思っています。母校について書くことは、まるで自分の身体の一部を切り出して自分の目の前に置き、デッサンするような、グロテスクな経験でした。

教育ジャーナリストとしての自分と麻布生としての自分が衝突をくり返します。母校への愛を行間に込めつつ、手前味噌や我田引水や自慰行為にならないように細心の注意を払いました。

むしろ対象が母校であるが故に自己批判的な視点も強めに盛り込みました。一部の関係者からは反発があるかもしれません。その点においては、あえて嫌われる覚悟で書きました。

また、行間に私という人間のエゴを見透かされるであろうことも間違いありません。いままで60冊以上の本を書いてきましたが、これほどまでに自分という人間の本質を明らかにしてしまった本はありません。

通常、学校をテーマに1冊の本を書く場合には、学校の全面協力が必要ですが、今回はあえて学校に無断で書きました。私の筆力のなさゆえの我田引水のそしりや、私のエゴや、自己批判的な内容への反発に巻き込みたくなかったからです。母校の力を借りてしまうことで、そこに私の甘えが生じるのが嫌だったという理由もあります。よって、今回の本の内容に関するいっさいの責任は私にあります。

だから、いまの気持ちは「怖い」です。

本書において私は、母校をあえて自分からは切り離して、考察しました。今度はこの本が考察される番です。今日まさに校了日なのですが、書き終えた開放感はありません。ここからが、自分の信念が試される、本当の勝負だという気持ちです。

 

おおたとしまさ

教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ、麻布中学・高校卒業、東京外国語大学英米語学科中退、上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌の監修・企画・執筆を担当し、現在は主に書籍執筆や新聞・雑誌・web媒体への寄稿を行う。メディア出演や講演活動も多数。中高教員免許をもち、私立小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験もある。著書は『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『名門校とは何か?』など60冊以上。朝日新聞、VERYなどで連載。BSテレ東「THE名門校」、FMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」にレギュラー出演中。

 

 

 

 

 

 

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2005年卒坂本真介さんの個展のお知らせです。

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/9/11

麻布流儀編集部です。

2005年卒の坂本真介さんの個展の情報が入りましたのでお伝えいたします。



 
 

坂本真介〈BOLD AS LOVE〉
SAKAMOTO Shinsuke〈BOLD AS LOVE〉
 
2020年9月18日[金]—9月29日[火]
12:00–19:00
 
9月18日[金]_12:00–21:00
9月22日[金]_12:00–21:00
9月25日[金]_12:00–21:00
 
Close
9月23日[水]・24日[木]
 
 
Printed Union
150-0001東京都渋谷区神宮前6-32-7近藤ビル1F
 
6-32-7KondoBLDG.1F, Jingumae, Shibuya, Tokyo, 
150-0001, JAPAN.
 
www.printed-union.com
 

 
坂本真介(さかもと・しんすけ)は2009年多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、2015年にはアートプロジェクト「1 GRAPHIC A DAY」 を始動。2016年アートブック「99 GRAPHICS」を発表し、2017年にはKREVA MV「嘘と煩悩」に99 GRAPHICSを提供。現在は東京を拠点に活動しているペインターです。
過去の展覧会に〈地下備品倉庫〉2018|ANAGRA、〈I CAN’T STOP SMOKING CIGARETTES〉2018|マキイマサルファインアーツがある。
 
ーーー
 
なにかの象徴や物語の表現ではなく、もっと凡庸で未知のもの。
僕の計画を超えて、新たな調和を感じさせるもの。
自然さや本来性を証明するのではなく、人工性という事実を反映したもの。
そんなイメージを描き出したい。
 
坂本真介 Instagram▷https://www.instagram.com/shinsuke__sakamoto/
 
ーーー
 
〈BOLD AS LOVE〉と名付けられた今回の展示では、豊かな色彩でつい触ってしまいたくなるようなペインティングが並びます。
それらの作品の多様性は、作家自身が自己批判的な視線でイメージとマテリアルの境界を往還した痕跡が具現化され、関心はさらに既存の価値観や記号的なイデオロギーからの脱却、開放されたイメージそのものの生成へと向けられて行きます。
坂本が「祝祭的なイメージ」と語るように、本展覧会では、カラフルでヴィヴィッドな作品群に宿る、骨太でありながら無垢で暖かなイメージの存在を発見してみて下さい。



2013年卒の建築漫画家「芦藻 彬」さんインタビュー

麻布流儀編集部
麻布流儀編集部
date:2020/8/19

去る7/22コロナ禍で「麻布流儀まつり」なるオンラインイベントを開催したところ、急遽現校長である平秀明校長が参加してくださり、その際、平校長から耳寄りな情報をいただきました。2013年卒の篠原彬さん(著者名/芦藻 彬さん、以下せっかくなので著者名で)が書いた「バベルの設計士」なる漫画の上巻が絶賛発売中という話題でした。

そこで、平校長から直々に連絡先を教えていただき芦藻(あしも)さんにインタビューしました。

 

<漫画家/芦藻 彬(本名・篠原 彬)プロフィール>

建築漫画家。2018年、ジヘンより「微分、積分、世界の終わり」でデビュー。

執筆活動と並行して建築学を学び、2019年Universita IUAV di Veneziaに留学。古代オリエント建築漫画「バベルの設計士」連載の他、自身の主催する自家製本レーベル「羊々工社」からも建築漫画を刊行している。

・1994年6月15日、神奈川県生まれ

・2013年3月(H25年)麻布高等学校 卒業

・2013年4月 東京工業大学 工学部 第6類 入学

・2017年3月 東京工業大学 工学部 建築学科 卒業

・2018年10月~2019年9月 Universita IUAV di Venezia(イタリア共和国、ヴェネツィア)に留学(トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム9期生)

・2021年3月 東京工業大学 環境・社会理工学院 建築学系 建築学コース 卒業見込

<年表>

2015年 第116回四季賞冬のコンテスト佳作受賞

2016年 大岡山建築賞・銀賞

2016年 土木デザイン設計競技 景観開花。 佳作受賞

2017年 三大学合同講評会 岡部賞、中山賞受賞

2017年 日本建築学会にて「篠原一男の非住宅作品のスケッチにみる図形的特性」を発表

2018年 「微分、積分、世界の終わり」でデビュー 

2018年 「バベルの設計士」連載開始

2019年 表参道スパイラルにて「ヴェニスに棲む魔物」を自主施工した什器とともに展示発表(https://kuma-foundation.org/exhibition/work/2019_akira-ashimo/

2020年 「バベルの設計士」移籍再連載、6月に単行本上巻が発売

※また、2018より公益財団法人クマ財団奨学生(2020年現在継続4期生)

 

──今年6月19日にジャルダンコミックス(実業之日本社)から発売された「バベルの設計士(上)」について色々とお話をお聞きしていこうと思いますが、まずはその前に、麻布時代の話から聞いていきたいと思います。 芦藻さん、麻布時代のことを教えてください!

芦藻 麻布時代は、漫研、卓球部、軽音部、美術部同好会と無駄に多方面に手を広げて遊んでおりました。選ぶのが下手というか、欲張りな奴だったなと思います。(今もあんまり変わっていませんが・・・) その中でも、やはり同じように漫画を書いている友人、小説を書いている友人、音楽を作っている友人などと特に仲良くしており、暇さえあれば作品の話をしている(コンテンツの話以外できない)オタクでした。文化祭も大好きで、毎回友人が主催していた展示の絵を書いたり、Tシャツをデザインしたり、バンダナをデザインしたり・・・やはり何か作るのが好きでした。自分が最高学年だった高2の文化祭では、幼少期から好きだったファイナルファンタジーに関する有志展示を行い、雑誌と称して同人誌を3冊作るなど、振り返ると今コミティアなどの即売会に出てやっていることの源流が文化祭にあったんだなと感じます。問題を起こしてしまった時の対応なども大変真摯かつ寄り添ってくれるもので、心底この学校に入ってよかったな、と思っています。



──漫画はいつから描いているのですか?

芦藻 幼少期から日めくりの裏に見よう見まねで漫画を書いていました。(ドラえもんやどこでもいっしょなどの既存のキャラクターを使って・・・)

宇宙やロボットといった科学も好きで、科学者兼漫画家になりたい、などといっていた気がします。水泳、そろばん、英語などの習い事に通わせてもらい、忙しくも楽しい日々を送っていました。中学受験勉強は少しスロースタートだったのですが、下のクラスから入れたことで伸びる楽しさを得ながら勉強できたので、とにかく塾が楽しかったのを覚えています。塾の合間に、やはり当時ハマっていたドラゴンボールの二次創作漫画を描いていました。


麻布時代_中3の漫研の部誌で描いた、最初の漫画作品

麻布時代_中3の漫研の部誌で描いた、最初の漫画作品



一番しっかり漫画を描こう、完成させようと思ったのは、中学3年生の頃に「G戦場ヘヴンズドア」という日本橋ヨヲコ先生の漫画https://www.shogakukan.co.jp/books/09187809を読んだことがきっかけです。同級生に相当本腰を入れて小説を書いていた友人がいたことも大きかったと思います(G戦場ヘヴンズドアも彼が教えてくれました)。自分もきちんと作品を完成させなければという意識が生まれ、お話の作り方など本当に色々とリードしてもらいながら、中3の後半に描いて高1の文化祭で発表したのが第1作目の漫画でした。


麻布時代の文芸部誌・漫研部誌

麻布時代の文芸部誌・漫研部誌

麻布時代のTシャツデザインなど

麻布時代のTシャツデザインなど



 

──自己分析するとどんな子でしたか?

芦藻 漫画家一本じゃ生きてはいけないから、漫画家とあと何になろうかな……などと考える嫌な子供でした。恐竜、宇宙、科学などに興味がある時期は、科学者兼漫画家になる!と言い、文章を書くのにハマった時はジャーナリストとかライター兼漫画家、そろばんの先生…なんて時期もあったと思います。笑 漫画家だけは、なぜが変わらなかったのですが、本気で一本で食べられる作家になれるという感覚はあまりなかったんですよね。

また、絵を書くことも好きでしたが、どちらかというと工作が好きで、暇を見つけてはダンボールやセロハンテープを駆使して何かしら作っている子供でした。絵を描くのも、工作で作るものの完成予想図を描くためだったと言いますか。その辺りは、建築学科で立体を作るようになった時、模型製作などに活きているなと感じます。

 

──建築を学ぼうと思ったきっかけは?

芦藻 大学進学を考えるにあたって、美大に行くか悩んで美術の相羽先生に相談したところ、「漫画は美大に行かなくても描ける。個性を活かすなら、勉強もできるところを活かして何か大学で専門的なことを学んだ方がいいのではないか。建築学科は美大的な側面もあるし、絵も描くから楽しめるかもよ」というありがたい助言をいただきました。当時から街を歩くのは好きで、休みの日に友人たちとビルや街中の建築を見ながらひたすら歩く、というようなこともやっていたので、建築学科、いいかもしれないなと。入ってから色々今まで自分がやってきた創作とのギャップに直面するのですが、それも含めて建築学科に入って本当に良かったなと思っております。

 

──そんなに麻布の先生って親切でしたっけ?笑

芦藻 教養総合という授業があって、相羽先生の授業を取っていたので、親身に相談に乗っていただきました。

 

──うらやましいです、笑。美大に行かず建築学科でもちゃんと賞を受賞していたりしてすごいじゃないですか!でもそちらの話は置いておいて、漫画家になるまでの流れみたいなことを教えてください!

芦藻 中高では同人誌サイズで原稿を書いていたので、賞への応募ができませんでした。そこで大学に入ってからはきちんと商業サイズで描いて賞に応募しようとしていたのですが、大学でもサークルや学科や学生団体など余計なものに色々手を出してフラフラしていたため、初めての賞の応募は3年の夏でした。そこでありがたいことに講談社アフタヌーンの四季賞で佳作を頂くことができ、担当さんと共同作業での作品作りが始まりました。

しかし商業漫画で何を書けば良いのかよくわからず、自分の打ち合わせの下手さ、コミュニケーションの不足も相まって迷走してしまい・・・4年生になると卒制、卒論に追われることとなり、制作の時間が取れなくなってしまいました。その時、建築の卒制に無理やり漫画表現をねじ込み、そうして描いた作品を引っさげてプロアマ広く漫画家が集まる合同即売会「COMITIA」に出展するようになりました。すると、幸いなことに色々な編集部の方からお声がけいただくことができ、その中の御一方がちょうど新しいレーベル「ジヘン」を立ち上げたばかりの編集長さんで、とんとん拍子に企画が進んで連載が決まったという流れです。


卒業制作でも受賞!

卒業制作でも受賞!



実はイタリアへ留学に行くことが声をかけていただいたときから決まっておりました。編集長さんの「いいじゃないですか、海外で連載!新しい!」という発言を聞いたときは、まさかそんなの無理だろう…あるわけがない、と思っていました。しかしとんとん拍子に話が進み、本当に留学と並行して連載が始まったときは自分でも驚きました。漫画家ってそんなに自由な職業なのか…と、笑 そんな状況でも、連載を任せてくださったジヘン編集部には今でも本当に感謝しております。


トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム

トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム



 

──なるほど、講談社アフタヌーンではそのチャンスをモノにできなかったのですね。やはり編集者が重要なんでしょうか?

芦藻 講談社の時は学業との兼ね合い的なタイミングが悪かったこともあり、残念ながらまだお仕事までは繋げられておりません…。とはいえやはり憧れの雑誌なので、書き続けていく中でいずれリベンジを果たせたら…!と思っております。はい、漫画制作において編集さんの存在は本当に重要だと思います。色々なスタイルがありますので一概には言えませんが、企画が編集さんのアイデアからスタートしている漫画も多くありますし、プロットや展開も一緒に考える、まさに二人三脚で一緒に作っているんだということがプロになってよくわかりました。

 

──『微分、積分、世界の終わり』という作品をマンガZEROで読んだことがあるのですが、こちら学校が出てきますけど、麻布ですか?

デビュー作読み切り

芦藻 学校が出てきますが、麻布時代の話ではないです。笑 ドラえもんを意識して描いたとんち小噺SFです。

こちらの作品は、初めて賞をいただき、次の作品をと編集さんと仕込みをしていたときに描いた作品でした。当時自分が商業作品のイロハを持たず、何を描きたいのかも全然わからず五里霧中だった時、一般的な商業とはだいぶ異なる方向の作家さん(panpanya先生)に影響を受けてしまい、「これだ!!これなら描けるかもしれない!!」と意気込んで一人で勝手に描いてしまったという、実はイタイ()作品です…。

とはいえワンアイデアの面白さには非常に自信があったので、意気揚々と賞に送りました。結果は惨敗、一次選考で落とされてしまいました。(このときに編集さんから伺った商業漫画についての話が後々非常に腑に落ちて大きな学びとなりました…)

とはいえ、当時の自分はあまり納得がいっておらず、「面白いのに!」と頑固炸裂で自費出版、アマチュア即売会にて頒布していました。それで声をかけてくださった編集さんもおりましたので、その辺りも色々学びになったなと思います。そして、先ほど書いた連載が決まった編集部で、たまたま打ち合わせに持っていった原稿ケースの中に古い「微分、積分、世界の終わり」の原稿が入っており、編集長から「この漫画やっぱり面白いですよね。連載の前にこれ読み切りとして乗せてデビューします?」という、涙が出るようなありがたいお言葉をいただき、図らずも報われる運びとなりました。捨てる神あれば拾う神あり・・・(のちに、「新人賞と私」という同レーベルの企画でこの内容を簡単な漫画にするなどしました。




(同じものですが、こちらでも公開されています(https://manga-zero.com/product/3160  ※第10話)



──大変お待たせしました!それでは『バベルの設計士』について、著者自ら語ってください!

芦藻 ―「輝く太陽に届く塔を建てよ」。王による前代未聞の超難題に挑むため、王宮の設計士ガガは、ノアの末裔であるニムロデを探すことに。王宮に連れてこられなければ待ち受けるのは無情なまでの刑罰。4,000年前に、栄華を極めた都市を舞台に繰り広げられる、天才設計士たちの歴史浪漫譚ここに開幕!!―

現役東工大大学院の建築学科に所属する作家と、講談社で長年編集として活躍され、のちに独立された建築学科出身の編集長が、最初の案出しから協業し、粘り強く進めた筋金入りの企画です!連載開始前には、1年間NHK文化センターに通って「古代オリエント史」を受講し、メソポタミアに関する書籍多数出版されている講師の方に直接様々なことを取材させていただきました。時代考証をしっかり抑えつつ、ベテラン編集さんの力を借りてしっかりエンターテインメントに仕上げておりますので、歴史好きの方もそうでない方にもお勧めできる1冊となっております。1冊で270p超と、特厚のボリュームも見どころです!全国書店で展開中ですので、ぜひぜひお手に取ってお読みいただければ幸いです!


初連載作品「バベルの設計士」

初連載作品「バベルの設計士」



 

──なるほど、麻布時代にメソポタミアのことを学んだとかそういうことを期待していたのですが、違うのですね?笑

芦藻 今思うと歴史も面白くてもっと勉強しておけばよかったですが、一応僕、理系なので歴史はあまり学ばなかったんですよ!

 

──建築ですから確かに理系ですね、笑。せっかくなので麻布時代のこと、創作活動のことを最後にもう一声!

芦藻 麻布時代の創作仲間(小説書き、漫画描き、曲作りマンなど)は、本当に掛け替えのない宝です。彼らがいなければ、麻布在学時あんなに熱を入れて漫画を描かなかったでしょうし、いまも漫画家になっていたかわかりません。クラスが違っても毎休み時間や放課後にはしょっちゅう創作の話をし、作品を見せ合い、批評し合い、名作を紹介し合ったのは、間違いなく青春と言える一コマでした。結局大学に入ってもそのメンバーで旅行したり、執筆合宿をしたり、飲みにいったり、映画を見たり…麻布時代とそこまで変わらない頻度で会っていたように思います。「微分、積分、世界の終わり」も、「バベルの設計士」も、企画時点では集まるたびにみんなが意見を出してくれ、ときに叱咤、ときに背中を押してくれたことで、最終的に今の形で発表できています。今後もそういう会は続けていきたいです。

徐々にみんな社会に出る年になり、商業の世界でも活動できるようになってきましたので、今度は身内だけじゃなく、広く世の中に発表できる形で色々とコラボレーションしていきたいという野望もあります。麻布の教室でやっていたことと本質は変わっていませんが、根っこの部分は変えずにこの先も共に生きていけたら、本当に幸せなことだなと思います。実現できるよう、手を動かし続けます!

 

──あ、最後にと言いながら、そう言えば同期でもう一人今度漫画家いるって本当ですか?それがそのお仲間?

芦藻 そうなんですよ、同期に辻次っていう奴がいるのですが、なんなら彼は僕よりずっと前に賞をとってデビューしています。大学前半はよく手伝いに行きました笑(彼にもたくさん手伝ってもらってます!笑)

 

──なんか2013年卒は漫画家当たり年ですかね!?驚きですが、今後、対談とかも検討していきましょう!今日はありがとうございました。また近いうちに話しましょう。あ、そうだ、ちなみに下巻がいつ出るんですか?

芦藻 下巻はなんとか年内には発売できるかと思います。ありがとうございました!

 

ぜひ、芦藻さんの「バベルの設計士」お買い求めください!下巻も年内には出るようなので注目しましょう!