我らが社会と陰と陽。
「俺らの世代は撤退戦。前の世代が広げ過ぎたものをうまく畳んで、次の世代に手渡すのが俺らの世代の仕事じゃないかな」
今から10数年前、友人Oがしきりにそんなことを言っていた。
当時はそうは言ってもなにかやりようがあるのではと反論したりもしていたが、ここ最近やはりOの言葉は真実ではないかと思うようになってきた。
言うまでもなく、少子化がすべてに影響している。
何度考えても胃が痛くなるが、日本では15歳から64歳までの生産年齢人口は減り続けている。総人口も減っており、2100年には日本の総人口が4959万人まで減るという(①)。今までと同じようなやりかたの仕事、今までと同じような仕事量は不可能だ。
国土全体でみても、インフラの老朽化、全国すみずみでの公共交通網の縮小は目を覆うばかりである。
広げるだけ広げたものを、畳む局面に来ているのだろう。
だが、畳むにしてもうまい畳み方とそうでない畳み方がある。うまい畳み方とはなにか。
四書五経の一つ『易経』に、陰と陽の考え方がある。
安岡正篤氏によれば、陰とは収束、集中する力、陽とは発展、拡大する力だという。
植物をイメージして欲しい。
種から芽が出て、茎が出る。茎はやがて根を伸ばして幹となる。幹からは枝がにょきにょきと伸びて葉を茂らせ、花を咲かす。この、幹から枝を伸ばして葉を茂らせる力が陽である。
逆に、繁茂しすぎた枝葉を落とし、幹へと根へとエネルギーを集中させてゆく力が陰である。
陰と陽はともに重要であり、陰の方向性のエネルギーと陽の方向性のエネルギーを止揚し中することこそが重要だと『易経』は教えている(と安岡氏は説いている)。
冒頭の話に当てはめると、我らの世代の撤退戦は単なるダウンサイジングであってはならない。それは単なる衰退である。
そうではなく、繁茂し過ぎた枝葉を剪定し、幹や根、まさにものごとの根幹にエネルギーを集中するということだろう。
そのためには、何がこの社会の根幹であるか、どの枝葉を残すべきかをよくよく見極めなければならない。
次なる陽のために、次なる世代の種を残すために。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2022年7月15日より加筆修正)