人生が迷いの連続ならば、大切なのは”良い迷い方”。

photoACより
ある夜、友人Cが言った。
「どうせ人生は死ぬまで悩んで迷うんだ。だからさ、どうせだったら“良い迷い方”をしたいよな」
“良い迷い方”か。それはいいな。
ぼくは胡椒の効いた、外国のクラフトビールを頼んだ。
バーのカウンターにはウフマヨとポテトフライが並ぶ。
後からトンカツも来るはずだ。
昔読んだ本にこんなことが書いてあった。
フランスでは、ビネガーとワインを一緒に摂ることはない。
なぜなら両方ともブドウから出来ているものだから。彼らには、同じ材料から出来ているものを同時に摂ってはいけない、という感覚がある。
あれはほんとなんだろうか。
じゃあウフマヨはウフとマヨが共存してるけどフランス人的にはあれはokなのだろうか。
そもそもそんなこと言ったら、グラコロバーガーは全部小麦でできてるけども。
それはさておき。
人生は選択の連続だ。
選択肢を前に、人は悩んで迷う。
そして選択をし、選択肢を背後に歩み始めた時も、やはり時々後ろを振り返って「これでよかったのか」と悩んで迷うのだ。
ならばやはり人生は死ぬまで悩んで迷うことになる。たいへんだ。
ではどうしたら“良い迷い方”ができるのだろう?
その答えはたぶんシンプルで、真摯に悩む、選んだらしっかりやる、ダメなら戻る、の3つだろう。
特に、選んだらしっかりやる、というのは大事だ。
〈選べなかったほうの人生を夢見ることはできない。でも、選べなかった人生が私に微笑みかけてくれるとき、いつでもその人生に恥じないようにあることはできるかもしれない。〉(吉本ばなな『下北沢について』幻冬舎文庫 平成30年 kindle版102/140)
“良い迷い方”、“良い悩み方”があるとすれば、“良い狂い方”もあるのかもしれない。
ずいぶん前から、SNS,特に日本のXでは「人間は、40歳頃になると狂う」という言説が議論の的になっている。
ほんとかどうかは知らないが、もし本当だったら、そこにも“良い狂い方”というのがあるかもしれない。
“良い狂い方”があるならばそこに至る道もあるはずだ。
“良い迷い方”について考えているなかで、今度は“良い狂い方”というテーマが出てきた。
“良い狂い方”について考えを進めていくかどうか、いまは迷いと悩みの中にいる。
人生とは、選択の連続だ。
(『カエル先生・高橋宏和ブログ』2026年4月10日を修正・加筆)












