
#3 麻布流儀インタビュー「東京オリンピックでメダルを!」前編
川田 こんにちは
橋本 少し話が進んでいます
川田 ご無沙汰しています
橋本 ちなみに川田くん麻布の卒業年次何年?
川田 2002年
橋本 平成で何年?
川田 平成14年です。すみません、あの、スポンサーの契約上、写真写る時はロゴが入ったのを着てくださいというのがあり、着ちゃっていいですか?
― 着替えのシーンからでいいですよ(笑)
川田 じゃあ失礼します(実際着替え始める)
橋本 脱いだところを撮っておいたほうがいいんじゃないの(笑)
川田 着替えました(笑)。失礼しました。
橋本 今日は実はうちの会社の記者会見が12時から予定してます。おととい実業団リーグで女子チームが優勝したんですよ。
川田 おめでとうございます。
― では改めてスポンサーになっていただいた経緯を川田さんからお話してもらって良いでしょうか
橋本 昔、一回会ったよね?
川田 前に会いましたね。経緯としては、自分がやりたいという相談を、まずヨット部の後輩で、さらに麻布高校2005年卒の霜山元という総監督にしました。突拍子もないことを相談するのは麻布生のほうが話が通りやすいんで(笑)。
一番大事なのはスポンサーをまず探すことだったんですが、彼から東大ヨット部のつながりで、橋本さんと引き合わせて頂きました。最初は、渋谷か、中野だったか、バーみたいなところで最初お会いして、お話させていただいて。その後、とん、とん、とこう、比較的早く話を進めていただきました。
橋本 そう、それで本人はミキハウス所属で決まっていたから、梶本さんを応援してくれという話になりましたね。
― ミキハウスに決まったのはいつくらいだったんですか?
川田 2017年4月、いまから1年前ですね。
― ミキハウスはヨットに関してはスポンサーしてたんですか?
川田 していますね。
橋本 ミキハウスっておそらく日本の中で、オリンピックの選手にお金を出してる最大のスポンサーだと思います。いろんな競技のスポンサーをしていると思います。
川田 ミキハウスの方は、ロンドンあたりからウィンドサーフィンの女の子をスポンサーしています。やっぱりセーリングってお金がかかるので、例えば水泳のメダリストが沢山ひしめいている中で、彼らのおそらく何倍以上を駆け出しのチームに出さなきゃいけない状況で、厳しいと言われ、パートナーの梶本さんは他を探してくれと言われる中で、橋本さんとお会いしました。
― 具体的にどういったものにお金がかかりますか?
川田 初年度はやっぱり船ですね。日本の船とヨーロッパの船。
本当はお金があったら3つめの船をコンテナに乗せて船でアメリカに送って、次の大会はオーストラリアって、海を動かしていく3つめの船が必要なんですよ。今のところ日本とヨーロッパの2つですが。
で、他にも、コーチ用モーターボート、コーチの乗るゴムボートみたいなものが必要です。それでほぼ初年度の予算が無くなります。
次年度以降は人件費ですかね。コーチが一番。他の種目と違って、ほぼマンツーマンです。監督みたいな形で沢山のチームなり選手を一人のコーチが見れる種目じゃないんで。コーチ代でほぼ半分以上かかっちゃいます」
― やはりコーチがいる、いないでは全然違いますか?
川田 全く違います。でも、まだこの船に関しては初心者なのですが、段々選手としてレベルが上がっていく中で、最後は自分である程度走りを解析したりとか、コーチはどっちかというとビデオを撮ったり、他の船との比較を見るサポーター的な役割になっていくんですけど。
今の段階では本当に教えてもらって、既に皆が知ってる知識を吸収しなきゃいけない段階です。コーチがいるのといないでは大違いです」
― 橋本さんがスポンサーをすることになった決め手はなんですか?
橋本 JOCの河野さんがなんとかヨットも応援してよ、テニスもいいけどヨットもって。
どうやって応援したら良いかわからなかったけど、そんな時、ちょうど後輩の川田さん現れたので。それと、彼等はメダルに近いですよね、実は。
川田 (笑)
橋本 例えば、470とか、他のレガシーっていうか古い船だと、伝統的に試合もあってやってるけど、今度のナクラって始まったばかりの船だから。
逆にメダルに近いと思いますね。あと、会社として、応援している人がメダリストになるのは大きいから。ナクラという競技でのメダル獲得の可能性は、高いと思っています」
― 確率何パーセントくらいだと思いますか?
橋本 これから順次だから、まず日本の中で選ばれるのがファーストステップですよね。セカンドステップは必ずグローバルレースがあるので、その中でどのくらいになるか。