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公助の話~公助は魔法ではないが魔法使いを生んだ。

高橋宏和(H4卒)
date:2020/11/16

公助の話の続き。

すべての文章はなんらかの意図を持って書かれている。

この話は、「公助なんて甘え。自助こそ至高」という考えの人が、ちょっとだけ考えを変えてくれることを意図して書かれている。そうした自助派の人は少なくないが、そうした人たちが「やっぱり自助は必要だけど、共助・公助もあったほうがいいかもね」というふうに思想的な冒険をしてくれることを狙っている。題して『自助の奇妙な冒険』。すみませんでした。ゴゴゴゴゴゴ。

 

さて、「適切に運用された場合」、公助システムは個人と国家にとって、効率的なものとなる。

前述の人物像をターゲットに、響きそうな比喩を用いる。

 

一個人が自助のみにて犯罪から身を守る状況を想定してみる。

犯罪者がいつ何時、自らに襲いかかってくるかわからないから、格闘技の達人になるまで修行する必要がある。あるいはボディーガードを雇う手もある。24時間365日ボディーガードをつけるなら、相当な出費を覚悟しなければならない。

自宅には高い塀をつけ、近隣にも山ほど監視カメラをつけよう。

万が一、泥棒に入られたら、自分自身で捜査を進め、犯人を見つけ出す。やられたらやりかえさなければならないから、個人経営の私設刑務所も建てよう。

思考実験として、自助だけで犯罪から身を守る状況を考えてみた。とてもではないがやっていられない。

時間的金銭的コストは莫大なものとなり、自助だけではやっていられないからみんなで税金出し合って警察だの検察だのの公助システムを使っている。

 

「外からの敵」、犯罪から身を守るには、自助とともに公助システムがあったほうが効率的であるということを論じた。

さて、「内からの敵」、老いや病いから身を守る場合はどうか。

自助のみで病気から身を守るには、無数の病気について学ばなければならない。自分自身の手で山から薬草をとってきて薬を精製し、内臓に悪いところがあれば自分自身で麻酔をかけ、自分自身で手術する。仁やブラックジャックでもあるまいし、そんなのは無理だ。

自助だけでは到底まかなえないから、医療や福祉などの共助・公助システムがあるわけである。

 

言ってみれば共助・公助システムというのは、生身でか弱い個人を陰ながら守る「スタンド」みたいなものなのだ。「外からの敵」=犯罪や戦争、「内からの敵」=病いや老い、から自助のみで身を守るには、一個人というのは、貧弱貧弱ゥなものなのである。

…ちょっとなに言ってるかわからない。もちろん、公助は魔法ではないから、すべての人をすべての災厄から守ることはできない。



違う話をしてみたい。

あなたの目の前に、一人の女性が座っていると想像してほしい。

名前はジョアン。28歳のシングルマザーだ。パートナーと別れ、住む家もない。

彼女は子どもの頃から空想好きで、いろいろ楽しい話を考えるのが得意だという。今は仕事にあぶれて貧しいけれど、いつか小説を書いて人生を逆転させると言っている。

だから申し訳ないけれど、今月の生活費を69ポンドほど出してくれないだろうか、そうジョアンは言う。

あなたなら、夢見る自称小説家のジョアンに69ポンド出すだろうか。

出すわけがない?同情はするけれど、彼女の貧困は彼女の問題で、売れない小説なんか書いてないで、フィッシュ&チップスでも売って自助でなんとかしろって?

あなたはそう言って彼女を追い払うかもしれない。ジョアンはトボトボと歩いて家に帰り、絶望的な気持ちで原稿用紙を破り捨て、フィッシュ&チップス屋にバイトの面接に行った。彼女が筆を取ることは生涯二度となく、

そして、

人類は『ハリーポッター』の物語を読むことはなかった。永遠に。

 

ジョアンのペンネームはJ・K・ローリング。

実際にはジョアンはイギリスの生活保護をうけて「ハリーポッター」を書き上げ、シリーズは世界中で計4億部(!)売れた。

もちろんJ・K・ローリングは、例外事象だ。

だがイギリスに生活保護などの公助システムが無かったら『ハリーポッター』シリーズは生まれなかった。『ハリーポッター』シリーズの本や映画は人類を豊かにしたし、出版や映画、物品販売にイギリスのイメージアップなどなど、『ハリーポッター』関連で有形無形の財産を築いた人は無数にいる。そう考えるとイギリスは『ハリーポッター』を生んだだけで生活保護予算のモトは取ったんじゃなかろうか。ぼくもUSJにどれだけ貢いだか…。

ま、公助にはそんな面もある、というくらいの話だ。

公助は魔法ではないが、魔法使いを生んだ。

しつこいが、一連の話は、「自助サイコー!共助・公助は無駄無駄無駄ァっっ!」という人を想定して書いている。このため提示する話に偏りがある。

共助・公助というものは、「適切に運用されれば」、個人と国家にとって効率的なものになる。大数の法則が働き、個人が生きていく上での生涯に渡るリスクとコストを平均化できるからだ。

 

人間の一生を考えると、人生のはじめの10数年はどうしても自分で稼ぐインカムより、生存に必要なコストのほうが高い(マコーレカルキンや芦田愛菜なら別だが)。文字通りの「自助」だけでははじめの10数年は生き抜けず、親の庇護という「共助」や、保育や公教育という「公助」に助けられて成長する。

10数歳〜20代で人間は社会参加し働いてインカムを得ることが出来る。そこからの3、40年は一般に、「共助」「公助」の仕組みから得るものより、保険料・年金・税金あるいは子どもたちの教育費などの「共助」「公助」への出費のほうが多い。

だがこの生産年齢時代でも、病気やケガ、事故や破産などの人生リスクはある。

そうして人生を送り、6、70代を迎えると、年金を受け取り介護のお世話になる。この時期は幼少期と同じく「共助」「公助」からの恩恵が大きくなる。

幼少期と引退期のコストを完全に「自助」だけでやるのは困難だ。だから「共助」「公助」があるわけだ。

また、前述の通り病気やケガ、事故や破産といったリスクは確率の問題でいつ我が身に降りかかるかわからない。

 

一個人の人生で病気がいつ起こるかを予測するのは無理だが、個人をたくさん集めて集団化して統計を取ると、集団の中で年に何人くらい病気になるかは分かる。

だから集団から少しずつお金を集めて備えておけば、集団として戦略的に生存できる。これの最大のものが「公助」だ。

 

このように「公助」というものは「適切に運用されれば」大変によいものとなる。

しかしながら世界をぐるっと見回せば、そこには親切重税国家から冷淡軽税国家まで「自助」「共助」「公助」のバランスの取り方は様々だ。

要は、どれくらいの割合の「公助」が適切か、どの分野に重点的に配分すべきかは、まだ絶対的な答えはない。というよりは国や社会、時代によってベストバランスはどんどん変わる、というのが本当のところ。

 

「自助」「共助」「公助」はいずれも必要だ。だがどれくらいのバランスが適切かは、究極的には国民が決める。その意思表示をすることはとてもとても大事なので、とりあえず選挙には行っておきたい。自助であれ共助であれ公助であれ、良い国を作るのは国民なのだ。

 

「国家の価値とは、長い目で見れば、その国を構成している一人ひとりの価値にほかならない」

ージョン・スチュアート・ミル



(カエル先生・高橋宏和ブログ 2019年7月8日を加筆・修正https://www.hirokatz.jp/entry/2019/07/08/133817 )