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タイトル防衛の話

福岡健一
date:2019/6/11

 2019(平成31)年3月16日、大阪市内でJR西日本の鉄道新線「おおさか東線」新大阪駅~放出(はなてん)駅が延伸開業すると、前年の12月14日に発表された。

 新線が開業したら乗りに行く。今は「乗り鉄」と称されるようになった、全国各地あるいは世界中のあらゆる鉄道路線に乗ることが好きな人々は、何らかの機会に、あるいはこれを目的に、きっと乗りに行く。その中には、どうしても開業日に乗らなければならないと考える人がいる。全線完乗を達成した人である。

 新幹線からローカル線まで、路面電車やケーブルカーも含め、日本国内には47都道府県で約200社、約27,000kmの鉄道路線がある。そのすべてを一度以上利用することを、乗り鉄は「(全線)完乗(かんじょう)」と呼ぶ。完乗は大変なことだとは思うが、これを達成した人がどうも世の中に数千人はいるらしい。私も2007(平成19)年12月31日に岡山県のJR宇野線で完乗した。

 完乗すると何が起こるか。表面上は何も起こらない。賞状や証明書が来ることもないし、そもそも証明の必要や認証機関があるわけでもなく、自己満足の世界でしかない。しかし、新たな路線が開業したら、その瞬間に「完乗」でなくなる。日本中すべての鉄道路線に乗ったと言えなくなる。ムズムズする。だから乗りに行き、完乗である状態を維持する。これをプロボクシングなどにたとえて「(タイトル)防衛」と言うことがある。

 あいにく、おおさか東線の開業日の当日と翌日に所用が入った。所用が続く日に開業日が設定されてしまった。わずか11.0kmの通勤電車などいつでも乗れると思うものの、日が経つにつれムズムズが増え、やっぱり完乗の防衛で開業日に乗りたくなった。おおさか東線の時刻を掲載した時刻表を2月24日の発売日に購入し、旅程を組むとすぐに行き詰まる。3月16日18時に横浜駅を出発しても、タッチの差でその日のうちには横浜の自宅へ戻れない。大阪で泊まると、微妙な差で3月17日9時に千葉県の柏駅へ着けない。

 結果的には、ちゃんと行って乗って帰ってきた。3月16日の東海道新幹線のぞみ号で21時前には新大阪駅に到着、16分間の乗車で全線完乗のタイトルを防衛、日付が変わって大阪駅3月17日0時34分発の寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗り、夜が明けた7時07分に東京駅着、約1時間の余裕をもって柏駅に行けた。トリックのからくりは、夜行列車の利用だった。

 この程度の行程を組み立てることは、乗り鉄ならば初心者レベル。ただ、実行はやや難しい。鍵を握る列車「サンライズ瀬戸(東京駅~高松駅)」あるいは「サンライズ出雲(東京駅~出雲市駅)」は、時刻表に時刻を掲載する以上の宣伝や告知がないのに大人気で、1998(平成10)年7月の運行開始から20年以上も連日満席の盛況が続く。しかもすぐ運休する。東海道のどこかで台風や大雨の予報でも出た瞬間に、新幹線やJR各線が平常運行でも「サンライズ出雲・瀬戸は本日運休」旨の電光掲示が各駅に回る。大阪~東京であれば夜行列車の他に夜行バスがあるものの、今回の行程では発着の場所や時刻がうまくないうえ、事故や渋滞にはまると逃げ場がない。

 完乗を諦めかける所用を抱え、間に合わなかった御免なさいなどとは言えないから、内容は省くが乗り鉄30年のノウハウによる予防線は各所に張っておいた。こうして頑張って乗れた新線の車窓は闇の中。平坦な地面に広がる蛍光灯やLEDの星空を、開業日なのに他路線のお下がりである35年以上前に製造された古い通勤電車の中から、ここは2か月前に阪急電車でクロスした淡路のあたりか、この長い鉄橋は過去に線路際を歩いて渡れた赤川の鉄橋かと、想像しながら眺めていた。

 

福岡健一(ふくおか・けんいち)

1973年生まれ。2007年に日本の鉄道全線を完乗したほか、海外20か国以上の鉄道にも乗る。また、2001年から日本全国と海外の駅弁約6600個を食べた。日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長を務めておりメディア出演多数。

駅弁資料館 http://kfm.sakura.ne.jp/ekiben/