第18回ホーム・カミング・デイに行こう!
麻布流儀編集部です。第18回ホーム・カミング・デイの情報が麻布学園のホームページにアップされていますので、ご紹介いたします!
*麻布流儀は麻布OBの有志が始めた非公式なものであり、麻布学園とは直接関係はございませんが、今回、サイトでの宣伝活動を協力させていただきます。よって詳しい内容は下記で紹介しています公式情報へのリンクをご覧くださいますよう宜しくお願い致します。
第 18 回ホーム・カミング・デイの詳しい内容はこちら
(公式ページにリンクしています)
注意ポイント!
今年は例年と違い、日曜開催です!
2018年4月1日(日)11:00受付開始、11:30~ 於: 麻布学園
お手元に郵送されている方はご覧になっているかもしれませんが、今年は日曜開催なのでご注意ください。注目の内容などは上記の公式ページのリンクからどうぞ。
1部のゲストは平成4年卒「おおたとしまさ」さん(教育ジャーナリスト)と平秀明校長との対談会です。こちらが11:30からです!
*おおたさんの書籍紹介記事はこちら
https://azabu.style/news_cat2/924
会費はお一人様につき3000円(事前申し込み)、当日は4000円で、ご同伴者の方の会費は 2000円となっています。ただし、同伴者が新中学 1 年生以下のお子様の場合は無料とのことです。また、平成27年3月~平成30年3月卒業の方は事前登録に限り無料となるようなので、要チェックです!細かい注意事項等ありますので、下記からご確認ください。
http://www.azabu-jh.ed.jp/sotugyosei/homecomingday2018/index.html
事前申し込みは3/23(金)までです。ホーム・カミング・デイ運営委員の皆さんの人数把握のためにもなるべく事前申し込みをしましょう!
お申し込みは、郵便振替をご利用の方は郵送された案内状同封の郵便振替用紙を利用しましょう。クレジットカードまたはペイジーをご利用の方にはオンライン申し込みがオススメです!
参加登録ページはこちら
(公式ページにリンクしています)
*1点だけ、JCB、AMEXなどには対応していないようですので、それ以外のカードを利用しましょう
#3 麻布流儀インタビュー「東京オリンピックでメダルを!」前編
麻布流儀インタビュー3回目は、2020年東京オリンピックでメダル獲得を目指す麻布OBの川田貴章さん(平成14年卒)と、それを支援する橋本総業株式会社社長の橋本政昭さん(昭和44年卒)の対談です。
麻布のOBがオリンピックを目指していて、さらにそれを麻布OBが支援しているなんてワクワクしません?
麻布流儀を立ち上げ、平秀明校長にインタビューさせていただいたときにまさに、麻布からオリンピック選手を!麻布からノーベル賞受賞者を!という話も出ていました。そこで麻布流儀としても川田さんのことを調べ始めていた矢先、川田さんご本人から麻布流儀にご自身の活動をお知らせいただいたことがきっかけで、この対談が実現しました。
取材は2/13、橋本総業本社の社長室にて行われました。取材当日は、記者会見が急遽開催されるというタイミングでお邪魔してしまいました。なんと橋本総業ホールディングスのテニスチームが2月9~11日に行われた「第32回テニス日本リーグ」の決勝トーナメントで見事全勝で悲願の初V、つまり日本一を獲得。そんな記者会見前のお忙しいところだったので、川田貴章さんとの待ち合わせの30分前に先に橋本社長からインタビューをフライングしてスタートしました。
川田貴章(ミキハウス所属)
1983年生まれ。神奈川県出身。ジュニアからセーリングを始め、2001年、第56回国民体育大会で少年男子シーホッパー級スモールリグ1位、同年第27回全日本シーホッパー級ヨット選手権優勝など麻布在学中にも活躍。
2002年、麻布高校卒業。2003年、東京大学教養学部理科3類入学後、470級ヘルムとして、北京五輪を目指し世界選手権で活躍。
2011年、東京大学医学部医学科卒業。 その後、内科医として働きながら、審判として活動。
2016年、休職し、49er級のヘルムとして競技に復帰。2017年、株式会社ミキハウス所属。ロンドン五輪に出場した梶本和歌子(橋本総業所属)とタッグを組み、男女混合で乗るナクラ17級で東京オリンピックでメダル獲得を目指している。
日本セーリング連盟ルール委員会規程管理小委員会副委員長、日本470級協会理事、A級審判
日本セーリング連盟指定強化選手、東京都認定アスリート
橋本政昭
1950年生まれ。東京都出身。
1969年、麻布高校卒業。
1974年、東京大学工学部卒業。
1976年、東京大学大学院工学系研究科(機械工学)を修了。住友金属工業株式会社に入社。
1978年、橋本総業株式会社に入社。取締役、専務取締役を経て、1985年に副社長に就任。
1990年、創業100周年を期に代表取締役社長に就任し、現在に至る。
― 橋本社長、本日は記者会見前のお忙しいところお時間と場所をご提供いただき誠にありがとうございます。麻布流儀として今日は5名という大所帯で押しかけてしまいすみません。麻布流儀について改めて簡単にご説明させていただきますと、私たち平成4年卒は昨年卒業25周年の同期会を開催したのですが、その開催の幹事として関わっていた者を中心に有志11名で10月よりこの「麻布流儀」なるものをスタートさせました。麻布のOBは面白い人、すごい人がいっぱいおられて、その方々を取材しOBたちにインタビューを提供すること。麻布愛の確認です(笑)。そして、今までホームカミングデイや、部活動単位のOB会などでの麻布OBの交流はあっても、麻布OB全体としての交流が少なかったので、その交流を促進させその交流から何かを生み出し社会貢献して行こう、そんなことを考えスタートしました。そのインタビュー第3弾として今回、川田さんと橋本先輩にご登場いただきました。
― 橋本社長がどういう経緯で川田貴章さんの支援にいたったか、またせっかくなので橋本総業としてのテニスの支援についても教えてください。
橋本 私、もともと東京大学のヨット部に所属していたんです。東大は昭和45年入学の昭和49年卒。大学院が昭和51年卒。
大学生の時は現役ヨット部の一員として活動し、卒業から昭和51年までの2年間はコーチやって、昭和58、59年は監督をやったんです。
そういう意味でも、共通項として、麻布高校卒で、東大ヨット部があって、しかも東大ヨット部の監督をやった川田くんに関して、応援してくれないかっていうメールがきたので、本人に会って、じゃ、もう応援してあげるかと。
テニスの方は、14人メンバーがいます。女子は国の代表になったんですよ、二宮真琴選手と穂積絵莉選手。
穂積選手はオーストラリアオープンで去年ダブルスベスト4に、二宮選手はウィンブルドンダブルスでベスト4という実績を持つ選手です。
先週、フェドカップという国別対抗戦をやっていたんですが、二宮選手が国の代表になってインドに行ってたんです。女子チームのレベルは、日本のトップレベルまで上がってきました。
ヨットの方は、先輩である日本セーリング連盟会長の河野博文さんという方が、もともとはJOCの副会長をやっていたんですけど、その方からヨットのほうも応援しろよって言われて、川田貴章さんと会うことになりました。彼自身はミキハウス所属になっているんだけれど、一緒に乗っている梶本和歌子さんの方のスポンサーが見つかっておらず、依頼を受け、梶本さんは橋本総業所属となりました
近日対談記事公開予定の2002年卒川田貴章さんからのメッセージです
麻布流儀編集部です。
予告と川田さんからのメッセージです。
インタビュー記事第3弾、東京オリンピックのメダル獲得を目指しているミキハウス所属の平成14年卒の川田貴章さんと、それを応援する橋本総業社長で昭和44年卒の橋本政昭さんの対談を2月中に公開を予定しております。
その予告を兼ねまして川田さんより麻布OBの皆様にメッセージをいただきました。
麻布OBのみなさん、
セーリング競技(ヨット)で、東京オリンピックのメダル獲得を目指している、平成14年卒の川田です。
2人乗りのナクラ17級は、最新技術の詰まった、オリンピック史上最速の船です。元ワールドランキング1位の相方、金メダリストのスペイン人コーチ、世界有数の技術サポート体制を整え、いよいよ世界相手に打って出るところです。
が、実際、資金不足は深刻です。
一緒にオリンピックを目指して頂けるスポンサー企業を募集しておりますとともに、今年の国際大会出場資金とコーチ代確保のため、クラウドファンディングでご支援をお願いしております。
2月末のクラウドファンディング終了目前にして、目標額まであと少し足りません。本当は、目標額を超えて資金が集まれば、メダル獲得をより確実にするため、やってみたいことが沢山あります。
ご支援頂いた方々やスポンサー企業が、一緒に楽しみながら、東京オリンピックを迎えられるよう、色々なイベント・お礼を企画しておりますので、ぜひ、お手伝い頂けないでしょうか?
よろしくお願いします。
ミキハウス所属 川田貴章
クラウドファンディングページはこちら
2018年02月28日23:59までです!
https://a-port.asahi.com/projects/nacra17_japan/
ぜひ、川田さんの応援をよろしくお願いします!麻布流儀でも川田さんの活躍を追い続け、今後イベントなどへの参加も計画してまいります。
麻布OBをオリンピックに!
対談記事は途中まではメンバー申請なしでご覧いただけますが、
お早めにメンバー申請を麻布のOBの皆様はお願いします。
麻布の入試問題はやっぱり面白いですね
*写真はヤンバルクイナ
麻布流儀編集部です。
2018/2/3土曜日、今年の合格者が発表となり、合格されたみなさん、おめでとうございます。
麻布流儀でも後日忘れた頃(?)に今年の麻布入試問題について改めて取り上げてみたいと思っていますが、近年、麻布の入試問題で話題となったといえば、ちょっと有名になった話題ですが、2013年の理科の問題の「ドラえもん問題」と言われているやつです。
「麻布」「ドラえもん」で検索いただければ、たくさんヒットすると思います。
問7
右図は、99年後に誕生する予定のネコ型ロボット、「ドラえもん」です。この「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。
「右図」というのはまさにドラえもんの絵が出ていました、これを見て、受験生たちは思わず、笑みを浮かべた人もいたのではと想像してしまいます(笑)。
麻布ってやっぱりすげえーな、っていう意見もあれば、なにやら批判なども上がったようですが、そもそもこれ文章題だったので、前段の文章を読めば解けるような問題なので、そこまで話題になるような問題でもない気もしますね、、、
とにかくいろんなところで話題になっていたので、改めて取り上げるほどでもないとも思いますので、解答も解説も省略失礼します(笑)。下記のこちらより気になった人は見てみてください。
ググって見て頂ければと思いますが、一応検索結果はこちら。
麻布流儀編集部では、麻布の入試問題について分析されている方のブログなどちょっと読み漁ってみたのですが、3年前のものになりますが、この方など麻布へのリスペクト、麻布の先生へのリスペクトを感じますね。
http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/201561-0897.html
(勝手にご紹介しています、m(_ _)m)
大人になって改めて見てみてもよくできた問題が多く、単純に楽しめますね(笑)。自分の受験当時にそんな余裕はなかったとは思いますが。
またインターネットがなかった時代の者からすると、今は過去問の解説まで出回ってますし、それも速報として、試験当日に出てたりしますから驚きですよね。
今年の理科の問題もちらっと見てみましたが、ヤンバルクイナで始まり、シャボン玉、お天気と行って、エアコンで終わるなどいろいろ興味深いですね。
この入試問題はネットだけではなく、麻布学園で購入できるって知っていましたか?麻布流儀編集部でも購入しに行きたいと思っています。
以上、話にオチもまとまりもないですが、今年の麻布の入試も終わったなぁ、という話題でした。
#2 麻布流儀インタビュー「インダストリー4.0 その最前線で」<後編>
麻布流儀インタビュー2回目は今、日本の製造業では誰もが知っているという有名人で、日本のインダストリー4.0を牽引する麻布OBにインタビューいたしました。その後編をお届けいたします。
前編をまだお読みになっていない方はこちら↓
#2 麻布流儀インタビュー「インダストリー4.0 その最前線で」<前編>
川野俊充
1992年、麻布高校卒業。1998年、東京大学理学部物理学科卒業後、日本ヒューレットパッカード社入社。
2003年、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院経営学修士(MBA)を取得。
日本ナショナルインスツルメンツ社を経て、2011年よりベッコフオートメーションの日本法人の代表取締役社長に就任。
2017年より在日ドイツ商工会議所理事。
ここまでのあらすじ。
インダストリー4.0を川野さんの口で解説いただいた上、今リアルなI4.0の成果として、日本のロボット&AIの今を語っていただきました。そして、後半戦として、川野さんの人物像に迫ろうと麻布時代の話をし始めたところまででした。中学からベーマガ編集部にアルバイトで入り浸っていた川野さんが、あまりにも家に帰ってこないのでお母さんが編集部殴り込みに入って、、、というところまででした。
それでは後半スタートです
ベーマガ編集部を出禁に
川野「編集部の当時担当してくれた編集者の方々が、大変申し訳ありません、息子さんを返しますという感じで、結局出禁みたいになってしまって。そこでベーマガ人生は一旦終わっちゃったんだよね」
前田「同期の荒木(潤)くんと粟田くん、とは示し合わせてバイトしてたの?」
川野「粟田くんは僕が誘った、一緒に行かない?って。彼もパソコン持ってたから。一緒にパソコンのプログラム作ったりとか、音楽のプログラム作ったりとかしてて、で、興味持ってたから一緒に行こうよって。荒木くんは粟田くんが誘ったんだけど、ただ、荒木くんが入ってくる時期と、自分が辞めさせられた時期が被ってて、三人で一緒というのはそんなになかったかな。こないだのイベントでなんと30年前のビデオテープが出てきて、編集部に見学に来ていた人が撮ったビデオが編集部の様子とか開発室の様子とか写ってて、自分が写ってたの。粟田と二人でパソコンの画面にじーっと難しそうな顔して睨んでる顔が写ってて、今とやってることと変わんねえなあって(笑)」
会田「それすごいなぁ。周りはどういう人だったの?」
川野「ベーマガ時代の後を見てみると、そのままプロのミュージシャンになっちゃった人もいるし、有名なゲーム作家になった人もいる。一回やめて大検受けなおして医者になった人とか、他にも実は開成卒とか、武蔵卒とか、お互い全然そういうのは知らないんだけど、なんかやっぱりはみ出ちゃったというか、尖っちゃった人がそういうところにはたむろしてたっていうのは、なんかあったような気はするけど。進学校だし、みんな勉強できるし、成績いい人たちも多かったから、みんな東大行くし、みたいな。でも別に好きなことみんなそれぞれ好きなようにやってて平気みたいな雰囲気あったからね。勉強勉強勉強みたいな感じだったら、そもそも編集部行ってバイトして原稿料もらってスピーカー買っていえーいみたいなことなかったと思うし」
会田「バイトに行けなくなってしまったら楽しみなくなっちゃったね?」
川野「ああ、そう、だから、そういう意味では苦労したは苦労したかな。結局2年ずっと浪人してたし、東大5回受けた経験ある人ってなかなかいないから」
前田「5回って?」
川野「2浪だから前期後期、前期後期、前期。ふふふ(笑)。その経験がありますって言うと、大学生になってから塾の講師のバイトってだいたい通る(笑)。『確かにそうですね、そんなに経験ある人いません』とか言われて。なんのこっちゃって感じなんだけど(笑)。大学生になってからまたパソコン買って、それこそ当時ちょうどMacとか出てきて6100AVとか、PowerPCの時代。それまで使ってたDOSベースのパソコンとは全然違う世界で。わ、3次元のレンダリングこんなに出来るんだ、みたいな」
前田「あー思い出した!川野って俺らの卒業アルバムの裏表紙のCGとかやってたよね!」
川野「おおよく覚えてるね!カクテルグラスに光を当てたCGなんだけど、でも自機が遅くて全然レンダリング出来なかったから、ベーマガ時代のデザイナーさんの家に無理やり押しかけて、これレンダリングしてください!みたいな感じで(笑)。レートレーシングといって、光の屈折とか反射をちゃんと全部計算して、リアルな3次元の絵を書き出すという技術が、コンシューマーのパソコンに出てきたほんとの走りで。これ、面白い!でもパソコンどんなにぶん回しても、1個1個ドッ、ドッ、みたいな点々が出てくるのに死ぬほど時間かかるみたいな感じだったから。光源から出る光の通る先を全部たどって計算して、最後目に入ってきた時に、何色になるか、明度がどれくらいを全通り計算して、その画像作るみたいな(笑)」
前田「やっぱりすげぇ最先端行ってたよね」
川野「パソコンは大学生になってからまた戻ったんだけど、だいぶ時代が先進んじゃってたという感じはあった。3年くらいブランクがあって、ユーザーになっちゃった感じかな。自分で作ったりとかあんまりできなくなって。そもそも学費を稼がないといけなかったから、またバイトしてた(笑)。塾講のバイトずっとしてて。そうそう、夏期講習1日8時間、10日連チャンとかやって、死にそうになったりとか(笑)。医歯薬専門の少人数でお金持ちのご子息たちばかりの塾だったんだけど。『すみません先生遅刻します、これからヘリに乗るんで』みたいな(笑)。みんな一癖二癖あるような生徒たちが多かったけど、逆にそういう人たちと触れ合うことで、世の中すごい人いっぱいいるんだなあって、実感したりとか」
川野氏のコンプレックスに迫る
会田「MBA取得とか、事業立ち上げ経験とか、今に至るまでの話を。ちょっと強引だけど、自分が麻布っぽいっていう話なんかをお願いします」
川野「コンプレックスの話と表裏一体で、結局パソコンもそうだったし、大学の専攻である物理もそうだったんだけど、その世界で突き抜けてそれで食っていくっていうのは、これツラいなって。あらゆる所で挫折の連続なわけですよ。結局、パソコンもプログラマーになれた訳でもないし、物理学の人たちも頭良すぎて、この人達と戦うの無理〜って。好きだったから、興味持って勉強して進学もしたんだけど、実際この人達と勝負して、食っていくって無理だなと。東大の理学部の物理学科って80人いて78人大学院に進学して、就職するのは落ちこぼれの2人くらい。2人のうちの1人が自分、みたいな(笑)」
会田「そんなふうには見えません」
川野「いや、落ちこぼれですよ。同期の大学院に進学した人から見ると、あいつは落ちこぼれて就職した、とは言わないけどそういう位置づけ。」
前田「いまは一気に逆転なんでは?」
川野「いやいやそんなことはないよ。それでも理系で勉強したことが役立つ業界に就職しようと思って、計測器の会社、ヒューレットパッカードが昔、日本でも計測器の開発をやっていて、ハードウェアのR&D(研究開発)に入ったんだけど、そこでも挫折するわけですよ。それこそその道20年くらいの理物の大先輩がいて、その人の話とか聞いてても全然分かんない。図面開いて見てもらったら、うーんって唸って、『この辺ちょっとなんか浮遊容量10pF(ピコファラッド)ぐらいありそうな気がする』とか言われて『えーっ!』みたいな。『なんですかそれ?』ってビックリして、実際回路組んで計ってみると、ほんとに浮いてる!みたいな。『なんでこんなの分かるんですか?』って聞いたら、『あのな、電子の気持ちが分からないとダメなんだ。たとえば音楽家っていうのは楽譜見たら、音符の気持ちが分かるから頭の中でオーケストラ鳴るだろ。それと同じで、この仕事をやるためには電子の気持ちが分からないとダメ』って言われて、あ、俺無理。って思ったわけ。あっはっは。超頑張ったらいけるかもしれないけど、無理な可能性の方がデカイなあって」
会田「でもその人とても経験のある人だったんだよね?」
川野「もちろんもちろん。その世界では神様みたいな人で。若手の人たちがいろんな回路設計して、その図面をちょっと見てくださいって恐る恐る行って、大体けちょんけちょんに言われて帰ってくるっていう感じなんだけど」
会田「けっこう見極めるの早いタイプ?」
川野「そうかもしれない(笑)。これ、無理とか思って、でもどうしようって悩んでたら、業績が悪くなっちゃって、ヒューレットパッカードが分社する事になり、計測器の部隊が分社の対象になった。一緒に出て行くか、残って別の仕事をするかという選択になり、あ、ちょうどいいや、って思って別の部署に転部したのね。それでITコンサルの部門に移って。当時ドコモのiモードが出てきた時代で、携帯を使ってインターネットにつなぐ新しいシステムを構築しよう、というプロジェクトがあって。たまたまパソコンに近いIT系の仕事だったから、出来るかもしれないなと思って。最新のITは分からないけど、昔はパソコン少年だったし(笑)まあちょっと勉強すればなんとかなるかな?って思って行ってみたら、IT土方の厳しい世界で。2時からミーティングですって言うと、すみません、それ朝ですか?昼ですか?聞かないと分からないみたいな、厳しい世界で。俺、体育会系無理!みたいな感じで、それもまた挫折して(笑)。R&D(Research and development、研究開発)とかどっちかっていうとインテリジェントな人たちが多いところで仕事してたんで、元ラグビー部ですとか、24時間いくらでも働けます!みたいな人たちがわんさかいると、とてもじゃないけどこりゃ無理だーって(笑)。人生、ずっと蟹歩きっていうか、横に横に逃げていくような(笑)。その時に理系はツラいから文転しようと思って、それでビジネススクールを受験し始めたっていう。でも、その時もバークレーに受かりましたっていうとすごそうに見えるけど、12校受けて10校落ちて、たまたま受かった2校の1つ。結局留学中も学費稼がないといけないから、大学院留学アドバイザーみたいなバイト始めて、12校受けた人なかなかいないんで、もうアドバイザー出来ます!みたいな。結局同じこと繰り返してるだけ(笑)。その後も、マクロ経済学の単位落としちゃって、2年目に同じ授業を取ったんだけど、これ落とすと超やばいからってなんとかしてもらえませんか?って先生にめっちゃお願いしに行って、『Bでいい?』『Bでいいです!』みたいな(笑)しかもその時の先生がのちのFRB議長のジャネット・イエレンさんという。」
前田「川野でもそういう感じなんだぁ」
川野「こうやって経歴は華々しく見えるかもしれないけど、実は挫折とコンプレックスの塊というか。ただ、やっぱり感謝しているのは、4.0の話とか出てきて、アナログとデジタルを融合していきましょうとか、計測と制御は融合していきましょうとか、ITと製造業は融合していきましょうとかいう話になってくると、あれ?自分たまたま全部やってきたなあって。結局、計測器の開発やってきた時はアナログのハードウェアのエンジニアだったし、その後ITやってたし、MBA卒業した後は計測器の会社に入って、いま制御の会社だから、それぞれの分野で専門家として最前線の人と戦う事は出来なくても、組み合わせとか掛け算で頑張る。ソフトの人にはハードのこと分かるんですよって言ったり、ハードの人にはソフトのこと分かるんですよって言えたり、誰とでも話せる。ビジネスでも、会計とか文系の話も、その道の専門家と張り合うことは出来ないけど、その人と話をして、別の業界の人とか、別の分野の人たちとの間をつないでいくとか。さっきのロボットの話も、本当にそれの象徴的なところがあって。ロボット屋さんはVRとか聞いたことも、体験した事も無くて。彼らにとってVRはゲームの世界なんです」
会田「専門家はのめり込んでやっていくと周りが見えなくなってるってこと?」
川野「見えないというか、何かを極めるためには専門性を深める必要があって、そのために費やすリソースやエネルギーが大きい。さっきの図でいくと、ここはゲームの開発エンジン。ゲームの世界の人たちは、例えば同期の渡辺大祐とかは、この世界の仕事をしている。こっちはロボットの制御をする人たちが使ってるPLC言語。PythonはAIのロジックを組む言語。みんなそれぞれ専門の、ゲームの言語とか、AIの言語とか、機械の言語とか、違う言語なんだけど、その今まで相容れない言語を一個にまとめると、これ新しいこと出来んじゃん!みたいな事は、いろいろつまみ食いしたから言えるんだと思う(笑)。だから、実は全部分かる人そんなにいないですよね、って言われると、確かにいないと思うし、それぞれの専門ではないんだけど、集めてインテグレーションする時には、力を発揮出来るのかもしれない。例えば、このHTC VIVEというデバイスがスゴイのは、3次元空間の中の座標の位置をミリメートルの精度で計測する事が出来るんだけど、それと同じ3次元測定器を産業用途で買うと何千万とかしたわけ。でも、こっちのコンシューマ機器だと5万円で売ってる。いいじゃん!これで!みたいな。だって、ぜんぜん精度は遜色ないし、ゲーム開発用の言語を使わないといけないけど、できちゃうじゃん。業界越えて、パズルのように組み合わせて、だからこそようやく出来るのかもしれないけど。コンプレックスだったんだけど、最終的に振りかえってみると、たまたま色々なものの掛け算が出来るという所で、人の役に立てる事が少し出来てきたかな、みたいな感じだね」
川野氏、麻布を語る
前田「麻布時代の自由にやらせてもらったことが、ここで大きかった?」
川野「そういうことだと思う。多様性を良しとする前提というか、変な奴の方がすごいとか、あったじゃない。たぶん、組織によってカルチャー違うけど、優等生がいっぱいいる所もあれば、麻布みたいな動物園は、なんか変な奴がいっぱいいる!みたいな。優等生は専門家の道を目指していくにはいいかもしれないけど、学際的というか、クロスボーダーというか、組み合わせや接点の数で付加価値を出していこうという価値観においては、麻布動物園のほうがなりやすいし。異質であることを価値と考えることとか。普通はね、言葉が違うとか、肌の色が違うとか、バックグランドが違うとか、性別が違うとかで相容れないことになっても、異なるということが実はいいことだっていう、多様性を重んじたり、受け止めてしまえるのは、あの時代のおかげかも。今でもある意味そうだけど、あの時にパソコンやってる奴らはキモいっていうそういう感覚だったと思うんだよね。何、そんなキモいことやってんの?っていう。そう見られても、まいっかみたいな(笑)。粟田くんとか荒木くんとか、一緒にやりたいとか、自分が興味持ってることを共有できる人たちが身近にいたっていうのも事実だし。他にもこないだのイベントのときに、VRの道では第一人者とか、AIの第一人者とか、それこそGoogleでリードエンジニアをやってる人が当時の読者として来てるとか。慶応大学の研究所の所長さんが感激して来ましたとか。総務省の官僚が、ベーマガ愛読者でした!って来たりとか。みんなそれぞれ専門家ならではのコンプレックス持っていて、キモいって言われてたという黒歴史があって。今でこそITかっこいいとか、VRオシャレ〜とか、それこそヘッドマウントディスプレイを合コンに持っていくと、JK、JDに大モテするらしいよ」
会田「本当に〜?」
川野「いや本当にそうらしいんだけど(笑)。雑誌で何か書いたりとか発表するくらい入れ込むことが出来たというのは、例えキモくても、なんて言うんだろう、『好かれなくても嫌われない』じゃないけど(笑)。とりあえず生かしてもらえた、みたいな。いろんな領域でアーティストになってる人もいるし、弁護士になってる人もいるし、医者になってる人もいるし、ミュージシャンになってる人もいるわけで。そういう多様性を許してもらえるっていうあの雰囲気が無かったら、違う人生を送ってただろうなとは、間違いなく思う」
会田「ちょっと話戻っちゃうけど、そういえばパソコンとの出会いと、麻布が面白そうだなっていうきっかけは?」
川野「パソコンとの出会いは、すがやみつるの漫画。『こんにちはマイコン』っていう漫画読んで。あ、やってみたい、ゲーム作ってみたいと思って。89,800円の当時はとても高価なPC-6001という機種の解説が載ってて、それが欲しいと思って、親にねだっても買ってくれなかったので、今は亡き祖父にねだりまくって、買ってもらったんだけど。小学校3年生だったか、4年だったか。訳も分からず三角関数をプロットしたりして、6時間くらいかかるんだけど、おーなんか曲線が出て来た!みたいな。麻布については残念ながら親に受験させられたっていうか。日能研に入れられて、これやりなさいと言われ、自分から実行した訳ではなかったんだよね。麻布を受験できたのは親のおかげ。本当に感謝しています」
前田「すがやみつるって言ったら俺にとって『ゲームセンターあらし』なんだけど、すげぇ、そんな小学生の時にそう興味を持ったのかぁ」
会田「川野は横浜の方だったから、日能研であり、麻布だったのかな?」
川野「僕は日能研の上岡校だった。是津がいたかな。是津は全国1位とか、いまいちだった時で3位とか、そういう世界で。ぶっちぎりに成績良かった。そういう意味ではあんまり受かる気もしなかった」
会田「自分の親とそういう話ってする?」
川野「あんまりないね……。 教育ママだったので、だからこそ、高校生にもなって編集部に息子を返してくださいっていうのも、ちょっとトゥーマッチな感じするじゃない。いまだに30年経っても、その当時の編集部の担当だった、それこそ母ちゃんの前に座って頭下げてた方々、編集長も含めていまだに話題に上がるからね(笑)」
前田「しかし、その世界に中学生が入り込んでるってのがスゴイよなぁ」
川野「電波新聞社の人たちがよく中学生に原稿書かせたりとかさせてくれたなあって。でも、多分、体の良い青田刈りというか、そこまでしてくる子どもたちは今のうちに仕込んでおけば後々手足になるって思ってた所があるんじゃないのかな?って言ったら怒られるかもしれないけど。だって募集したってなかなかバイト来ないもの。当時ゲームの記事を書くには、テレビの前に簡易暗室みたいなのを作って露出が一定になるようにして、ゲームのスクリーンショットをフィルム写真で撮って、一歩進んだら写真撮って、また一歩で撮って、36枚現像して、はさみで切って、糊で貼りあわせてマップ作るとか。そういうのを人の手でやってて、バイトが必要なわけ(笑)。データ吸いだしとか、スクリーンショットとか、簡単な作業だけど。だけど、好きで寄ってくる人たちは、なんかやらせとけ〜みたいな。今だったら訴えられちゃうかもしれないけど、当時はゆるかったというのもあって、いろいろ体験させてもらえる。原稿書くのも、200文字の原稿用紙だったしね。赤入れを編集の人たちが本当に真っ赤になるまでダメ出しされて。かなり鍛えられて、今も原稿書いたり、記事書いたり、仕込まれたのが本当に役に立っている」
会田「麻布流儀の連載決定ですね(笑)」
川野「こんな話がどれくらい面白いか全然分からないけど(笑)」
前田「インダストリー4.0のその後(仮)、とか、リアル初音ミクができるまで(仮)、とか(笑)」
会田「たぶん響く人たちが確実にいて、上下20年ずついけば、突拍子もない人たちがいると思うんだよね。つながっていき、広がっていけば、面白いんじゃないかな」
前田「前半は真面目なインダストリー4.0の話、後半は無理やりコンプレックス話にしちゃったけど、川野さん、ありがとうございました。まだまだいろんな話を引き出したいけど、今回はここまで!ありがとうございました」
川野「でもやっぱりいいね、身内に話してる感じで。身構える必要も無いし」
会田「またよろしくお願いします。ありがとうございました」
最後におまけ、麻布動物園(良い意味ですよ!)について語る川野氏の動画。
以上、インダストリー4.0の最前線を行く業界のトップの川野俊充さんにお話を聞きました。ちょっと後半は同期ネタに走ってしまいましたが、おそらく、その他の代の皆様にも似たような何かを感じていただけたら幸いです。途中、麻布動物園などの表現がありましたが、これも麻布愛を感じました。今回の麻布流儀インタビューはここまで!お読み頂きまして誠にありがとうございます!次回インタビュー企画もお楽しみに。
次回は東京オリンピックを目指す麻布2002卒 川田貴章さんとそれを応援する橋本総業株式会社代表取締役社長の橋本政昭さん(昭和44年卒)との対談を予定しております。
#2 麻布流儀インタビュー「インダストリー4.0 その最前線で」<前編>
麻布流儀インタビュー2回目は今、日本の製造業では誰もが知っているという有名人で、日本のインダストリー4.0を牽引する麻布OBにインタビューいたしました。
麻布→東大→バークレー校MBA取得→ベッコフオートメーションの日本法人社長と輝かしい経歴の上、まさに日本の産業界でインダストリー4.0といえばこの人!川野俊充さんです。川野さんは内閣官房で数回に渡り、インダストリー4.0や製造業でのAI活用についてアドバイザーを務めるなどまさにこの業界の第一人者です!そんな最前線の麻布OBにお話をお聞きします!今回は前編・後編の2回に分けてお送りいたします。
*上記のサインは川野さんの直筆です。
I4.0(インダストリー4.0)という言葉をご存じでしょうか?
もともとは2011年に発表されたドイツ政府が推進する製造業のデジタル化・コンピューター化を目指すコンセプト、ドイツの国家的戦略的プロジェクトのことです。 なんだ、ドイツの話か。そんな風に思った人はちょっと産業界に疎すぎますね(笑)
「インダストリー4.0」という言葉はともかくとして「IoT」「AI」などの言葉はさすがにご存じだと思いますが、日本の産業界にもこの波は押し寄せていて、工場のあり方がまさに変わろうとしています。
丁寧に説明しておきますと、IoT とはInternet of Thingsの略で、センサーやデバイスがインターネットを通じてクラウドやサーバーに接続し情報交換することで相互に制御する仕組みのことです。AIとは人工知能のことで、昨今よく耳にしますね。
インダストリー4.0は、生産工程のデジタル化・自動化・バーチャル化のレベルを現在よりも大幅に高めることにより、コストの極小化を目指すというものなのでまさに、このIoTやAIによって工場自体が「自ら考える工場(スマート工場)」として自動化していくというもので、ドイツ発のこの流れを日本でも注目されていて、大手を中心に工場のIoT化の波が進行しているところです。 2016年4月のハノバーメッセでトヨタ自動車が同社の工場内で使用する産業用ネットワークとしてEtherCATを全面的に採用することを発表し注目が集まったのですが、まさにインダストリー4.0の動きです。
ここで出てきました「EtherCAT」というイーサネット(Ethernet)と互換性のあるオープンなフィールドネットワークを開発したドイツのベッコフオートメーション。その日本法人の代表取締役社長の川野俊充さんが麻布の卒業生で、川野さんはインダストリー4.0というと日本ではこの人!と必ず名前が出てくるこの業界の有名人なのです。
麻布→東大→米バークレー校MBA取得→ベッコフオートメーションの日本法人の代表取締役社長就任ととにかく輝かしい経歴の川野俊充さんに、インダストリー4.0並びに麻布についてなどなど様々な話題についてインタビューしました。
川野俊充
1992年、麻布高校卒業。1998年、東京大学理学部物理学科卒業後、日本ヒューレットパッカード社入社。
2003年、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院経営学修士(MBA)を取得。
日本ナショナルインスツルメンツ社を経て、2011年よりベッコフオートメーションの日本法人の代表取締役社長に就任。
2017年より在日ドイツ商工会議所理事。
インダストリー4.0とは結局なんなんですか
前田「インダストリー4.0については様々なところでインタビュー並びに講演などゲストスピーカーとして話されていますし、ネット検索すれば色々知ることができると思うので、ものすごい難しすぎる話はそちらに譲ってしまって(笑)。せっかくなので、川野社長からわかりやすく説明してください。同期のよしみで、ここからはタメ口失礼します(笑)」
川野「インダストリー4.0は、もともとドイツの国家戦略。ドイツも日本と同じで製造業が強く、良い職人さんによるモノ作りが強みで、世界にいろいろなものを輸出してきた国なんだよね。たとえば自動車もそうだし、工芸品とかもドイツといったら有名で一流。ただ昨今IT企業とか、クラウド企業とかが台頭してきて、ビッグ4と呼ばれるGoogle、Apple、Amazon、Facebookは、みなクラウドの上でバーチャルなビジネスが中心なんだけど、最近色々なロボット企業を買収したりとか、それこそ製品を自動走行でドローンで運んでみたいな、リアルの製造業に近いビジネスを始めてきているのは周知の通り。このままだと、製造業がITジャイアント企業に飲み込まれるんじゃないかという危機感があって、それで2011年くらいに国が絡んで動き始めた。ドイツは製造業を守っていくのか、製造業の競争力を維持していくのか、高めていくのか等々。ITの進化・進歩は、それはそれで享受すべきだが、一方製造業の強みは守っていくべき。製造業やものづくりにITの力をうまく借りて、FA(ファクトリーオートメーション)とITの融合とは良くいうけど、融合することで全体としての生産性を高めようと動いたのがインダストリー4.0なんだよね」
前田「ふむふむ、素晴らしく、分かりやすい説明です。ただ製造業のIT利用や自動化なんて別にインダストリー4.0からではないのでは?」
川野「そうだね、結局何がいままでと違うのってところを話しましょう。一言でいうと、『マスカスタマイゼーション』です。日本語では変量変種生産と言ったりする概念なんだけど、いままでは製造業って同じものを大量生産することで、コストも安く、納期も短く、品質も高く、というのがものづくりの一般的なやり方でした。だからカスタマイズ品なんていったら時間もかかるし、コストが高かったよね?インダストリー4.0では、一品物のカスタマイズ品でも量産品と同じコストや納期や品質で届けられるようにものづくりの仕組みを考えれば、同じものを作っていても付加価値も上がるし、生産性もあがるし、世の中変わるというところに着目したことかな。カスタマイズ品というのは手作りしなければいけないし、オプションを全部変えたり色を変えたり、デザインを変えたりとかすると、時間もかかるしすごい高いし。でもやっぱり自分仕様だからとても嬉しいみたいなものだったでしょ。もしそれが量産品と同じ価格で出来たらこれ嬉しいじゃんというシンプルな考え方で」
会田「安いの嬉しいです。カスタマイズ品大好きです」
I4.0の具体例として「ハーレーダビッドソン」
川野「でも、それを技術的に実現するには今までと同じ大量生産の自動化ラインを使うだけでは当然できなくて、そこにITの力を使っていきましょうと。いろんな事例あるんだけど、ハーレーダビッドソンの例にしましょう。アプリをダウンロードして、バイクのベースモデルを選んで、タンクのデザインだとか、色だとか、フェンダーのオプションだとか、まさにレーシングゲームで自分が運転する車をデザインするみたいに選ぶと、選ぶたびにそれがいくらになるか、どれくらいの納期になるかがその場で分かるんです。ある程度自分のカスタマイズ品が作れちゃう。ちょっとハーレーは高いからクレジットの限度額クリアする人は少ないかもだけど(笑)、限度額さえクリアできればクレジットカードで買えちゃう。デザインしている間に情報はすべてクラウド越しに工場に送られて、こういうデザインや色の部品がいつどこでどれだけ必要か、リアルタイムに積算する。部品単位でトレーサビリティ(品質マネージメントとしてその在庫などの追跡履歴)が取れるようになるから、この部品はいま生産工程のどこにあるだとか、いつごろまでに組み立てが終わりそうだとか、商品はまだそこまで作ってないから、今だったらまだこのデザイン変えられるよっていうのを注文者まで情報を戻せる。やっぱり気が変わったとか、そういう気まぐれにも対応可能になるんだよね。これはバイクの例だけど、ドイツで有名な事例はシステムキッチンだね。お母さんの気が変わったとか、子供が反対したから引き出しの数変えるだとか、蛇口をもう一個増やしたいとか。もちろん制約はあるけれども、一旦発注した後でも、デザイン変えられるというのがものすごく受けたんだよね」
参考/画像は現在のものではありません
前田「このいま見せてくれているハーレーダビッドソンの事例は実際にやっているの?」
川野「実際にやっているの。実現しちゃった例だね。なんでハーレーが出来たかっていうと、すべて内製だったからかな。もともとカスタムメイドのバイクを作るっていうところに近いものづくりをやっていたからだね。そういうことをやる素地があったというのと、ほぼ全ての部品とか、コンポーネントを自社で生産しているのと、やっぱり流通網とかも自社で持っている。他社とつながったりとか、他の業界と連携しての情報標準化をそんなにしなくても自社で完結できた、というのがあるんだけれど、そういうところかな。あと、単価が高いからできたんだと思う。最初こういう仕組みを作るのって設備投資がすごくかかるよね。それをやってでも利益が出るような高級品だという背景があったからだね。結局こういうのは一回出来てしまうと、仕組みそのものが、ITと工場のファクトリーオートメーションをつなぐ事例になる。この事例を他の商材とか、業界だとかに横展開していくとか、自動車業界でやるならどうするとか。さらに言うならば、小売店も関係してくる。物流や小売店もつないで、メンテナンスでディーラーに戻ってきたらその瞬間に、いつどこでどういう部品が付けられたか全部わかります、みたいな。ちょっと空気圧を見て欲しかっただけなんだけど、そろそろこのパーツも変えた方が良いですよ、なんてことを教えてくれるとか。そういうのが色々な業界が使えるだろうということで、今までこういうことは出来なかったし、パソコンとかでもBTO(Build To Order)である程度いろんなスペックを組み合わせたりとか選択できたんだけど、それって3つくらいのオプションから選ぶとか、そのくらいの自由度しかなかったよね。これは本当に全てのパーツを自分で選べるという自由度があって、自分で設計しているという気分に近づくので、愛着も増えるし、いやあちょっと高くなるけどでもいっか!という気になってくる。それでいて、納期が何倍になるとかではなく、ちゃんと品質も担保されますとかを、ITの力を借りてやっていきましょうということだね。バイク業界だけではなくて、ありとあらゆる業界で、サプライヤーと工場がつながったりとか、物流につながったりとか、輸出入の手続きとか、オンラインでつながって、世界中に広めていきましょうというのが、4.0の構想だね」
会田「お客さんがやっぱり色変えますとなったらその情報は工場の生産ラインのところまでリアルタイムに届くことになっちゃうの?」
川野「どのくらいリアルタイムかっていうのは当然あるし、お客さんからの情報を生産ラインが待っているというよりは、ある程度貯めて、逐次この注文は工場のこのラインのこの機械に落としこんで行こうとか、ここらへん今いっぱいだから中国の方に情報を飛ばして作った部品を送ったほうが納期短くなるとか、計算しながらだね。だから、リアルタイムというよりはオンデマンド的に、どこで何作るとか、どういう順番にするかとか、そろそろこの機械で使っている金属の材料が足りなくなりそうだから自動的に発注しようとか、いままでみな匠の人手で、メモ書きをしながら手配したりとか。需要予測や稼働率を見てたんだけど、全自動にしてしまえば、そもそも人的ミスが減るし、それこそ24時間稼働できるしね」
人不足の課題もテーマ
前田「ハーレーをいままで売ってた営業マンとかが職が奪われたりとかありえるよね?」
川野「そういう話はいっぱいある。営業マンだけではないなぁ。それこそ現場で工作機械で匠のチューニングをしていた職人さんが、全部そういうのはオートチューニングされるようになると、自分たちの仕事なくなるじゃないのかという話は山ほどあって。結論としては、人に求められる仕事の質が変わってくる。よりクリエイティビティが求められるようになってくるというだけで」
前田「AIに仕事が奪われるって話は昨今よく耳にする話題だよね」
川野「ドイツも日本と同じ高齢化社会なので、人不足の課題もテーマなんだよね。それこそ食品工場とか行くと、3交代で延べ3,000人くらいで、食品を包装したり、お弁当詰めたり作業してる人たちが沢山いて、人なのにロボット的な仕事をする必要があるケースが多いので、だからやっぱりそういう人たちはより人間的なというか、とにかく作業でしかないものはロボット化とか自動化していきましょうと。もっと考えたりとか、想像力とかクリエイティビティを出していくとか。さっきのオートチューニングはある程度出来るようになってきているけど、より早くできるとか、より品質が高く出来るような加工法を見出したりとかは、人じゃないと出来ないので、そういう付加価値の高い仕事を人間はやっていくということかな。決してなんでもかんでも人をAIに置き換えちゃおうってことではない。これから人口も減っていくし、高齢化していくし、技術も伝承とか継承とか時間もかかるし、人不足の来たるべき将来に備えてデジタル化しておくべきところはやっておこうという考え方だね。さらには、作業をやるだけで仕事ができていた人達は、きちんと時間的な余裕を作って、教育の機会を与えて、付加価値の高い仕事を出来るようになりましょう、という考え方も。もともとこういうカスタマイズも、もとのデザインがないと始まらないし、デザインをゼロからAIが作り出すのは難しいので、そもそものデザインを出来る人を増やしていこうとか。人の仕事を奪うという文脈では実際に組合からすごい反発があったし、これは技術的な話というよりは、政治というか、政策の一つとしてやっているのは正しいアプローチだと思ったね。だから、でもやっぱり必要だろうと、不可欠な課題だということで、いま日本でも注目されているのだと思ってる」
楽しいインダストリー4.0のお話
会田「第四次産業革命なんて言われたりしているけど、本当にドイツでは政策なのだと聞いてて実感しました。こう聞いていくと分かりやい話なんだけど、やはり難しいテーマがあるんだなぁと。インタビューとしてもちょっと固くなってきてしまったので、ここいらでちょっと楽しい話というかもっとリアルなインダストリー4.0の話を聞きたいなぁ」
前田「それでは、インダストリー4.0の楽しい部分というか、川野が体験したもので、これはすげぇ!というものはありますか?」
川野「やっぱりAIだね。AI、うん。AIは、やっぱり触ってみると分かるんだけど、なんかね、人間の子供みたい。いま、デンソーとか、AIのベンチャーと組んでやっていることがあるんだ。VRで教えてあげると、AIが動作を覚えてくれるというロボットを一緒に作ってるんだよ。学習がうまくいかないとフラフラしちゃったりとか、それこそトチ狂って自分の手首折っちゃったりとか、子供だって歩けないうちは転んで怪我しちゃうのと同じで、なかなか思い通り学習が進まなかったりして。コツをつかんだり、教え方を変えたり、教えるデータの中身そのものを綺麗に学びやすいものにしてあげたりとか、工夫をするとちゃんと学んでくれるようになってきて、なめらかに動くようになってくる。そうすると、おお!成長したなあ!みたいな、もうほとんどね、機械じゃないような、感情が芽生えてくるっていうのがすごいなあって」
会田「どの部分に川野は関わってたの?」
川野「全体のとりまとめかな。座組としては、メカ・体のところはデンソー。VRのところはVRのベンチャーBOX VRさん。AIは早稲田大学の尾形先生と、尾形先生がアドバイザーになってるエクサウィザーズというベンチャー企業、あとハンドの部分で、ティーチングをするための触覚デバイスはイクシーという東大発のベンチャーだね。いろいろ考えて判断するような認知系の処理と、反射神経的に危ないと言ったら止めるような神経系の処理、両方の処理をベッコフのコントローラーに実装して、一つのシステムにしたっていう感じなので、異なる分野の計7社が、それこそ『こういのやりたい!』って言って、集まってきてくれたんだよ」
前田「開発の部分の中心にいるわけだね、つなぐ間の部分として」
川野「うちの製品のようなコントローラーって中身は単なるパソコンだけれども、インテリジェンスを実装するにはソフトウェアが必要。ハコだけでは意味がなく、自社だけでは賄えないソフトウェアは全部外から集めてくる必要がある。最初になんかこういうことやりたいなあと思って、いろんな所で講演しまくったりとか、飲み会しまくったりとかしていたら、ポツポツと、それ面白そうだから、うちもちょっとやってみたいなあって集まってきてくれたんだよね」
会田「このプロジェクトのきっかけはなんだったの?」
川野「インダストリー4.0の講演を昨年6月に精密工学会というのに呼ばれて話したんだけど、その時、早稲田大学の尾形先生が研究されているAIロボットの動作原理を解説するという講演があって、これを聞いて衝撃を受けたわけですよ。まさに、これだと!!ロボットの未来はこれだと!AIをロボットに使うというのはこういうことなんだっていうのをすごい感銘を受けて。で、その講演後すぐ会いに行って、是非やりたいですって言って。産学連携で一緒にやりませんか?とお願いしたら、研究室はいま学生さんたちが忙しいので、尾形先生がアドバイザーを務めているAIのベンチャーを紹介してあげると言ってくれて。さっきの図のエクサウィザーズという会社を紹介してくれて。それから、頭だけでは、体が無いとダメだから、昔から付き合いのあったデンソーさんにぜひ一緒にやりませんか?って言って。とにかく尾形先生にお会いしたのがきっかけですね」
会田「感銘を受けたのはどういった部分?」
川野「いままでAIって、将棋をやったりとか、囲碁をやったりとか、画像処理をやったりとか。100万枚画像を見せたら猫が分かるようになったとか(笑)。なんか、まあそうだけど、そんなに役に立つのかなあ(笑)って。囲碁とかすごいけど、生活に大きな変化を与えるようなものかって言ったら、技術的にはすごいけどそうでは無いかなって思ってたんだよね。そこに身体があるロボットを動かす原理としてAIが使えるんだってということを知って「キター!」と(笑)。SFではなく、理論的にしかもすごく分かりやすく説明してくれて。AIはぜんぜん知らなかったんだけど、それを聞いて、これだったら本当に出来るかもしれないなっていう風に直感したっていうか」
前田「鉄腕アトムが好きだった僕としては、イメージではロボットとAIって同時というイメージだったんだけど、バラバラなんだ!」
川野「そう!ぜんぜん別。尾形先生は実は業界ではロボット工学も出来て、AIも研究しているという、両方研究している恐らく唯一の人で。だいたいね、AI学会とか行くと、なんだロボットのやつらは、とか(笑)。ロボット学会行くと、AIなんてって言って(笑)。お互い犬猿の仲で。尾形先生はいい意味で異端の方だったんだけど、いよいよ技術的に両方が融合できるようになってきて、今まで理論的にはそうかもしれないけど、実際やると時間かかりすぎるとか、コストかかりすぎるとか、パフォーマンス出ないとか」
前田「AIとロボットなんて同義だと思ったのに意外だよ!」
川野「ちょっとこの動画を見てもらおうかな。汎用技術の組み合わせでも、AIで直接ロボット動かすっていうのが出来るようになったのはまだ最近なんだよね。この動画は、何やってるかというとカメラから映像を撮ると、自分がこれを見てる時には腕はこういう姿勢にするべきで、指はこういう角度をとるべきで、次に時間が進むと、それぞれ関節の角度をどう動かすべきかを、時系列の姿勢として覚えているのね、自分の見てる映像と関連させて。だから、これはタオルを畳むという簡単な作業なんだけど、自分が作業をして、タオルの形や見え方が変わると、お!変わった!じゃあオレは次こういう形をしなきゃいけないっていうのが連続していく。次は右手で持ってとか。この動画は実際展示会に出す前夜のもので、ここで上手くいかなかったらヤバいっていう時のものなんだよね(笑)我々が少し意地悪して、タオル戻したりすると、AIが、あれ!おかしい!って(笑)。あ、でもこの形知ってるから、ここまで腕を戻して続きやれば出来るはずだとか。動画の中で皆んなが、『いい子!いい子!』って呼んでますね。もうほんとね、みな自分の子供くらいに思ってるわけ。開発期間3ヶ月くらいなんだけど、知能としては3歳児未満というか、チンパンジーよりちょっと上かなっていう位。でも、3ヶ月でここまで出来るってことは、結局この後いろんな行動を教えてあげれば、いくらでも学習できる。そのうち二十歳くらいのインテリジェンスになったらいよいよ現場にデビューも出来るだろうと。今までは全部プログラミングをしないとロボット動かせなかったのが、このやり方では人間の行動を教えてあげると、自分の学習した時間軸に沿って、間違っちゃったとか、戻っちゃったとか、結構ちゃんと気がついている。これがAI×ロボットの先端だね。もちろん、自分の学習した範囲内でしかインテリジェンスというか、ロバストネスが無いんだけどね。つまり想定外の環境変化に対応できるのはロボットが学習の過程で経験している時間軸の周辺だけなんだけど、全ての状況を場合分けしてプログラミングする必要があったこれまでのロボット制御の世界とは全く次元が異なる」
麻布的発想から進む日本のI4.0
前田「これはいまこういう研究開発をするために皆組んで集まっただけ?それとも実際に最終的にどんどんリリースしていこうぜみたいな所まで行ってるのかしら?」
川野「最終的にはやっぱりビジネスにしていこうとか、当然の目論見はあるけれども、まだ三歳児だし、実際に売れるのは成人のパフォーマンスとインテリジェンスがないと売れないから、もう少し進めていくなかで、どうビジネスにしていくか見えてくるのかな」
前田「この辺のことってのは、ドイツの本社から来た流れっていうよりは、いま日本で川野が自分でやってるってことなんだよね?」
川野「当然インスピレーションは身近な顧客やパートナーから得た上で、後は勝手に(笑)。そういうのは、わりとこう麻布的ていうか、とりあえず面白いからやっちゃえみたいな(笑)。もう一つ動画を見てもらおうかな」
川野「これは実際に動作を教えているところで、いまヘッドマウントディスプレイをかぶっているのが山浦さんさんというロボットハンドの部分を開発したイクシーというベンチャーの社長さん。だいぶ動くようになったから一回見てくださいよってお願いして、名古屋に来てもらって、生まれて初めて遠隔側のロボット操作してるわけ。ロボットについてるカメラから見えてる映像がこれで、彼にはちょうどロボットが見てる視点が見えてて、モビルスーツのコックピットに乗ってるようなそんなイメージ。実際にリンゴ掴んで大喜びみたいな(笑)。この人は本物のロボットは見えてなくて、カメラからの映像しか見えてないんだけど。ニュータイプ扱い。そしてりんごを置くことに成功して皆盛り上がっているね。りんご置いただけじゃん、て感じなんだけど(笑)。左にいる方がデンソーにいる匠のロボットエンジニアで、彼がこの動きをロボットにさせるためにプログラミングするとしたら、ものすごい工数がかかったり調整が必要だったりするのに、いきなり初めてこのロボット見た人がやってきて、りんご掴めたっていうだけで、もうすごいインパクトがあるっていうのも本人分かってて。やっぱりAIを単純にゲームに使ったりとか、画像処理で監視カメラに活用したりとかだけでなく、物理的に社会に対して役立つようにしたい。自動運転のようなAIの話も出てきてるから、車はそのうち社会に出てくると思うけど、人にとって人の代わりに作業してくれる身体のあるロボットとして、AIが活用できるようになるかもしれない実感を持ったのが、一番衝撃的で。これはやっぱり世の中変わるなっていうか、それに少し自分が携われている興奮というか。もし、タオル畳んでるだけじゃんとか、あんなのオレが畳んだ方が早いよとか、りんご掴めて何がそんなに嬉しいの?って見えちゃうと、たぶん興奮なんかしないと思うんだけど、その先に来たるべきイノベーションみたいなのにちょっと触れてる感じってのがたまらない。」
最終的にはドラえもん、初音ミク
前田「しつこいけど、鉄腕アトム好きとしてはAIとロボットは組み合ってるのが当たり前だと思ってたんだけど、実は川野がそういうことを始めているのが僕は衝撃を受けたんだけど。」
川野「最終的にはドラえもん作りたいとか、思ってたりする。こんなことを言うと頭おかしいやつと思われるかもだけど(笑)、俺は個人的には初音ミクにリアル身体与えたいっていうそっち側なんだけど(笑)」
前田「はいはいはい!」
会田「バーチャルだったものをちゃんとあの動きをロボットでやりたい?」
川野「ちゃんとこう踊って歌ってくれるリアルミクさん作りたいなっていう風に思ってる。まあ、こういう話始めるとまた頭おかしいとか思われるからあまり言わないようにしてるんだけど」
会田「できればそれをもう少し聞かせて欲しいです(笑)。これは交渉なんですが、今後時々連載コーナーを持っていただいて、麻布流儀のもとでリアル初音ミクプロジェクトの旗振り役でやってくれたら(笑)たぶんいっぱい色んな人が集まるんじゃ?(笑)」
川野「ちょっとキワモノコンテンツな気がするけど(笑)」
前田「よし調子が出てきたから、麻布の話もしていこう!つい先日とあるイベントに別に本当は麻布は関係ないんだけど、麻布OBが三人登場したというイベントがあったんだよね?ベーシックマガジンっていう雑誌のイベントだったんだよね?」
参照/https://basicmagazine.wixsite.com/aabm2018
前田「ちょっと読者の皆さんのために説明しておきますと、『ベーマガ』の愛称で呼ばれていたパソコン雑誌の『マイコンBASICマガジン』は、電波新聞社が1982年から2003年まで刊行していたもので、なんとその編集部に出入りしていた麻布生、僕ら1992卒の同期が中学高校時代になんと3人もいたんですが、その一人が川野だったんです!つい先日、1月14日に『ALL ABOUT マイコンBASIC Magazine II』というトークイベントがあったのですが、(この川野氏のインタビューは1月17日)そこで、元読者1100人が集まったイベントがあってそこにその麻布生3人が呼ばれたんです。ちょっと話が逸れたように聞こえるかもしれませんが、このアルバイトの話、ちょっと麻布っぽい(?)ので聞いていきたいと思います!」
会田「麻布流儀の立ち上げを考えてた時に、麻布の流儀、スタイルってなんだろうって話を集まった数人でしていて、意外と多かった意見として、みんな『なにかしらコンプレックスを抱えている』って話になったんだよね。麻布から東大、バークレー校でMBA、そして今はインダストリー4.0を引っ張る社長という華々しい経歴!そんな川野の個人的な麻布話が聞きたいです!」
川野「コンプレックスありまくり(笑)。麻布は自由だったからね。うん、だからやっぱり、あの、普通にバイトしまくってても怒られたりしないからそんなに困らなかったっていうか(笑)。やりたいこと、やりたい放題やってて。まあ、親はたぶん超心配してたりとか。最終的に現役時代は受験勉強も殆どしなかったし」
会田「いつからバイト始めたの?」
川野「中2の終わりくらいかな」
*昔の話です、良い子は真似しないでください(笑)
前田「あーなんか麻布時代ひと悶着あったって聞いたことある!バイトからあまりに帰ってこなくてお母さんが乗り込んだっていうの川野だっけ!?」
川野「そうそう(笑)。息子を返してください事案っていうのが、実は自分だった。全然受験勉強もしてなかったし、しかも編集部に入り浸って帰ってこないから、母親が業を煮やして怒鳴り込みに行って、息子を返してくださいって言って。」
会田・前田「すげぇー」
ーーーーーーー後編に続くーーーーーーー
前編はここまで!
おまけ動画です!ロボット話で盛り上がっていますが、この後、もっとディープな麻布話へと、、、、
インタビュアー 前田 慎一郎
1992年麻布高校卒業。 日本大学芸術学部映画学科脚本コース卒業。 麻布流儀アートディレクター。 デザイン事務所「ナルーデザイン」並びにワンダフルデイカフェを経営。
インタビュアー 会田 高茂
1992年麻布高校卒業。 東京大学工学部建築学科卒業。 麻布流儀ライター。 原宿の美容室du mielを経営。
後編、ここからは川野さんの麻布中学高校時代の話を中心に、そこから始まったコンプレックスが今に繋がっているというマル秘話です、笑。閲覧にはメンバー申請が必要です。ぜひ申請のうえご覧ください。
メンバーになるには
https://azabu.style/provisional_registration
予告「インダストリー4.0 その最前線にいる麻布OBにインタビュー」近日公開
麻布流儀編集部です。予告です!
麻布流儀では卒業後活躍する麻布OBインタビューを不定期ながら約月1回程度公開してまいります。
第1回目は現校長の平秀明校長のロングインタビューでしたが、第2回目のインタビューを近日公開予定です。
今、日本の製造業では誰もが知っているという有名人で、日本のインダストリー4.0を牽引する麻布OBにインタビューいたしました。
麻布→東大→バークレー校MBA取得→ベッコフオートメーションの日本法人社長と輝かしい経歴の上、まさに日本の産業界でインダストリー4.0といえばこの人!川野俊充さんです。川野さんは内閣官房で数回に渡り、インダストリー4.0や製造業でのAI活用についてアドバイザーを務めるなどまさにこの業界の第一人者です!そんな最前線の麻布OBにお話をお聞きします!
川野俊充
1992年、麻布高校卒業。1998年、東京大学理学部物理学科卒業後、日本ヒューレットパッカード社入社。
2003年、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院経営学修士(MBA)を取得。
日本ナショナルインスツルメンツ社を経て、2011年よりベッコフオートメーションの日本法人の代表取締役社長に就任。
ベッコフオートメーションはドイツのヴェストファーレン、フェアルに本社を置く、PCベースFA制御ソリューションの専業メーカです。
産業用PC、各種フィールドバス対応I/O、ドライブ、サーボモータそしてソフトウエアPLCまで制御システム構築に必要な豊富な製品ラインナップを取りそろえあらゆるアプリケーションに対応。特にEtherCATの実力を引き出すマルチコアCPUを搭載した産業用PCや組み込み型PCを多数揃えています。2015年売上高6億1000万ユーロ、総従業員数3,000名[2016年04月現在](世界の子会社数34、世界代理店75以上)。その日本法人の社長を務めるOBのインタビューです。
ベッコフオートメーションといえば、2016年4月のハノバーメッセでトヨタ自動車が同社の工場内で使用する産業用ネットワークとしてベッコフ社のEtherCATを全面的に採用することが発表され注目が集まったインダストリー4.0にベッコフあり!と言われているグローバル企業です。
ぜひご期待ください!
こちらの記事はかなり後半麻布らしい(?)人物像に迫っていることもあり、後半はメンバー限定記事の予定です。ぜひ、今のうちにメンバー申請いただき、お読みください。(2018年9月末までは無料でご利用いただけます)
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ゲストが正式決定!4/1日曜開催のホームカミングデーに行こう!
麻布流儀編集部より、ホームカミングデーの最新情報をお伝えします!
ホームカミングデー4/1日曜開催については以前速報としてお伝えしましたが、昨日当日の企画内容の一部の情報を教えていただきました!
第一部 「おおたとしまさ×平秀明校長」対談に決定したようです!
今年は入学式などの都合により、4/1日曜開催が決定しているホームカミングデー、ぜひみなさん足を運びましょう!
*ホームカミングデーの正式案内は2月ごろとのことです。
麻布流儀は非公式なOBプロジェクトではありますが、今回ホームカミングデーの<非公式>宣伝担当をさせていただき、ホームカミングデー当日のレポートなどをさせていただきますので、ぜひいまのうちから、メンバー加入をおすすめします!(^^)
おおたとしまさ
1973年東京生まれ。1992年麻布高校卒業。東京外国語大学中退、上智大学卒業。
「子どもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。今、子どもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。中高の教員免許、私立小学校での教員経験、心理カウンセラーの資格も。
育児・教育に関する執筆・講演活動や新聞・雑誌・webメディアへのコメントなど注目の麻布卒業生です。著書は50冊以上。
平 秀明 校長
麻布中学校・麻布高等学校校長。昭和35年、東京都港区生まれ。麻布中学校・高等学校出身。昭和58年3月、東京大学工学部卒。昭和60年3月、東京大学教育学部卒。昭和60年4月、数学科教員として母校に勤務。平成25年4月、校長に就任