HCD対談会レポ「麻布という不治の病」
*麻布の校章の麻の葉マーク。
麻布学園に似た校章
スライドでは4つの麻布学園と思われる校章が映し出され、おおた氏が地方の公立名門校を取材していて発見した、麻布学園に似た校章を紹介。麻布の卒業生にとってはこれは麻の葉をモチーフにした俺らの校章!という意識でいるが実はポピュラーなものだと語り笑いを誘う。大阪府立北野高校、北海道立札幌南高校、福井県立藤島高校、福岡県立修猷館高校などの校章だと解説。北野高校の校長から聞いた話として、元々旧制一中の中の字を形どって作ったマークで、名門校である旧制一中の多くはこれをモチーフにしていたと想像できるとおおた氏。
先ほど話していた公立の旭丘高校など、旧制一中、二中などの言わゆるご当地名門校と呼ばれる学校は私服のところが多いこと、そして校則がないなど麻布とそっくりな学校が多いことを示唆。おおた氏は全国の学校を取材しているが、当初は東京の私学を中心に取材したところ、休み時間にコンビニに行ってはいけないんだ!帰りにラーメン屋寄ってはいけないんだ!ということを麻布の常識からしてびっくりしましたと笑いを誘う。
しかし逆に地方の公立名門校は麻布と同じように休み時間のコンビニも、ラーメン屋も寄っていいとか、校則も制服もないようなところもあって、どうして、そういう差が生まれたのかを解説。
教育ジャーナリストの先輩の小林哲夫さんの『高校紛争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』を例に挙げて、高校紛争をどう乗り切ったかでそのあとの校風が異なっていることを指摘。そこで生徒が管理される側になってしまったのか、そこで、生徒たちの自由があってこその学校だというのと分岐していることを説明。
おおた氏は小林哲夫さんにインタビューする機会があって、印象深い話を聞いたという。小林さんは自分が制服のある学校だったので、麻布や名門の学校で私服で通学している生徒をみてコンプレックスを感じていたとのことで、それは高校紛争の時、旧制一中二中やレベルの高い東京の私学などの生徒は弁が立ち、自分たちの自由などの権利を勝ち取ったのだろうと。そうじゃない学校の生徒たちは大人に丸め込まれたのだろうと。知性が足りなかったゆえに得られなかったのではないかと話されたとのこと。
おおた氏は麻布は自由だったともちろん感じるが、一方でそれは自分が偉かったからではなく、やはり先輩たちが築いてきてくれた財産の上を歩いているんだと気付いたと語る。