HCD対談会レポ「麻布という不治の病」
最近の麻布や校歌について語る平校長
中田 はい、ありがとうございます。それではまたテーマを変えまして、平先生が校長になられてからの最近の麻布、あるいは麻布の校歌に託された意味について考察していただいていますのでスライドを見ながらまた進めてまいります
蓬(よもぎ)にすさぶ 人の心を
矯(た)めむ麻の葉 かざしにさして
愛と誠を もといとたてつ
新しき道 先きがけ行かむ
平 ありがとうございます。私がちょっと考えていることをお話しさせていただきます。校歌の2番、蓬にすさぶ人の心を矯めむ麻の葉かざしにさして、この部分ですが、蓬っていうことから荀子という古代中国の思想家ですが、孟子は性善説、荀子は性悪説で、生まれながらに人間は性が悪いというやつです
荀子
蓬生麻中、不扶而直
白沙在涅、与之俱黒
平 蓬、麻中に生ずれば、たすけずして直し。蓬という植物はまっすぐ生える麻の中に育てば、周りから支えてやらなくても自分からまっすぐ育って行くよということです。この蓬、我々がお餅で食べる蓬とはちょっと違うんではないかということですが、蓬は下にこうやって広がって育つ植物ですが、砂漠地帯に生え、風に吹かれると根が抜けて転がりとぶ草みたいですね。この続く言葉があって
白き砂も土にあれば、これとともに黒し。白い砂、清い心を持っていても、土と一緒にまみれちゃうとだんだん悪くなっちゃうよという対句なんですよね
「麻」考
麻 麿 摩 磨 魔
平 続けて、麻という字について考えました。麻という字がつく、ま、と読む漢字がいくつもあるんですよね。麿という字は麻っていう字に呂をつけた日本で作った国字らしいですね。摩は多摩のまですが、手が付いているというのは撫でるという意味で、按摩、摩擦などそんな意味ですね。で、次の磨、これを私は一番言いたかったのですが、麻の下に石と書いて、みがく。学校というのはこの磨(みがく)というものに非常に関係していると思うんです。いろいろな性格や特徴、とんがっている子供たちがですね、麻布という学校の中で6年間過ごす間に、ぶつかったり、自分でセーブしたり、違ったところを出したりしながら、6年間の間にカドが取れて人間的に出来てくるのではないか。そういう意味で学校というのは勉強を教えるところというよりは、私は人間同士が磨き合う場なんじゃないかと思うんですよね。勉強はネットや書物で自分でもできますけれども、人間が育つという意味では学校でしかできないのではないかと思います。あ、最後に鬼がついた魔っていう漢字もありますね
「麻」考
麻のように乱れる→快刀乱麻を断つ
平 麻のように乱れる、まさに麻布を象徴している言葉のように聞こえますが(笑)」
観客(笑)
平 これはですね、麻というの磨くという字がありましたが、繊維を石でこすり落として、繊維を落として麻の糸を作るんですが、その糸がこんがらがってしまう。その状態を、麻のように乱れるっていうんですね
それを断ち切るのが、快刀乱麻を断つということで、私が今その役割をやっているわけです
観客(笑)
平 麻のように乱れるに対しては、一糸乱れぬ、全部みんな揃っているということで、こうありたいなぁと思ってるんですが、麻布生は一糸纏わぬ、になってしまうんですね(笑)
観客(笑)