HCD対談会レポ「麻布という不治の病」
麻布学園第18回ホーム・カミング・デイが2018年4月1日日曜日に開催され、晴天にも恵まれたくさんの卒業生が参加。麻布流儀では「麻布流儀新聞」なるものを配布し、ホーム・カミング・デイ運営委員会の皆様が企画した対談会などの企画を盛り上げようと微力ながら参加してまいりました。
開催全体の模様は麻布学園の公式ページに公開されることと思いますので、麻布流儀では取材した対談会の模様を中心にレポートいたします。
*麻布流儀は非公式団体です。麻布学園と直接関係はありませんのでご注意の上、お読みください。
ホーム・カミング・デイ運営委員会の皆様がその人脈と時代を先取りして企画した第一部は、教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏(1992年卒)をゲストに平秀明校長(1979年卒)との対談会が大視聴覚室で実施されました。
今回の対談タイトルである「麻布という不治の病」について冒頭で平校長がマル秘エピソードを披露。
元々おおた氏が今回の対談会に用意したタイトルが「麻布という病」だったそうで、何回か行われた運営員会の中で、それだとちょっとインパクトが弱いので、病は病だけど、決して治ることのない病ということで「不治の」となったとのこと。
拍手と笑いに包まれながら対談会がスタート。
最初に今回の司会を務める中田太一氏(1985年卒)を平校長が紹介。この度バトンタッチしましたが、中田氏は長くホーム・カミング・デイの運営委員長をつとめてきた方で、お仕事は銀行マン。2017年より麻布の最年少理事をされている方です。続けて今回のゲストであるおおたとしまさ氏も平校長から紹介。おおた氏の生まれた1973年が平校長が麻布に入学した年であること、教育ジャーナリストでたくさんの著書があることなど校長室に置いてあるおおた氏の書籍写真を使って紹介。また新聞の広告欄などでちょうど取り上げられていたおおた氏の最新刊である「ルポ東大女子」についても言及。
おおた氏も簡単な解説として「東京大学出身の女子は当然優秀な方が多いのに、それでも生きづらさを感じてしまう、そこに世の中の矛盾が凝縮されているんじゃないか。東大女子の赤裸々ナントカとかそういのではありません(笑)。まじめなルポです」と語り観客の笑いを誘う。
平校長が週刊朝日、週刊現代、週刊新潮と昨年9月3週連続で、麻布が取り上げられた話題を紹介。
1週めは週刊朝日のタイトル上になった「灘、麻布・・・右派に脅された名門進学校」。歴史の教科書で唯一、従軍慰安婦について書かれた学び舎の教科書を使っている灘、麻布、慶應義塾普通部、筑駒などに脅迫状が届いたこと。
2週めは週刊現代では、麻布高校卒の官僚と開成高校卒の官僚の違いを面白おかしく取り上げた記事が掲載。
3週めは週刊新潮に今回のゲストのおおたとしまさ氏が書かれた、日本一自由な学校「麻布中高」の「自由」の授け方という記事が5ページにわたり取り上げられました。前川喜平氏など何かと卒業生が話題に取り上げられていることから、どうして麻布が自由な学校と言われるようになったかを、学園紛争の頃の当事者に取材したり、平校長を取材しておおた氏がまとめたものだそうです。
おおた「どうしても外から見た麻布は東大にこんなに入っているのに、自由で頭髪が緑というイメージだけで語られがちなところがありますが、もうちょっと深いところに麻布らしい痛々しさみたいなものがあるんじゃないかというところを表現できるのではないかと思い書いたものです」と解説していただきました。
そしておおた氏が用意したスライドを見ながら対談会は進みます。
『「謎」の進学校 麻布の教え 』(集英社新書/神田 憲行著)という本が売れて、その著者と間違われて、「おおたさん、読みましたよあの本」と言われ聞いてみたら神田さんの本だったということがよくあってというエピソードを披露して場内にも笑いが。おおた氏は神田さんと対談などもされているそうです。『「謎」の進学校 麻布の教え 』の帯に名前の挙がっていたおおた氏と同世代で女子学院卒の漫画家、辛酸なめ子さんがこの帯で「麻布病」という言葉をつけていて、麻布生がこの麻布病にかかったら一生治らないということをここで指摘していること、そして今回の対談タイトル「麻布という不治の病」の元ネタであることを語る。